心地よい疲労と忍び寄る影


 老人から話を聞いた後,のどがつっかえるように息苦しくなった。水の中で溺れているみたいに,地上を目指して泳いでも泳いでも太陽が見えないような深い悲しみが襲ってきた。結局,どこの世界も同じだ。上に立てる人と虐げられる人がいて,日の目を見る人を恨めしく思っても,その人からあふれ出る雰囲気や人望はなかなか変えられない。自分には持っているものがない。そのことは常々思ってきたことだ。

 うつむいていてはだめだ。,眉間にしわを寄せるようにキッと力を込めて顔を上げる。老人を睨み付けるようにして向かい合った。


「それでも・・・・・・」


 息を整えた。


「それでもぼくは,人に応援されるか分からないけど,挑戦したい。勇者になりたいだなんてもう言わない。地球に住む大切な人たちを守るために,ぼくは進みたい」


 胸を張る。話しながらつばが飛ぶのも気にせず言い切った。誰かに向かって宣言したり,主張をしたのなんていつぶりだろう。もしかしたら初めてのことかも知れない。

 時おり顔につばがかかっているのを意にも介さず真剣な顔で聞いていた老人が,表情を崩した。


「良い顔だ。少しの間,稽古をつけてやろう」


 ありがとうございます,と深く,何度も頭を下げた。待て待て,と老人は笑いながら制止した。


「分かっていないことがもう一つある」


 ごくりとのどを鳴らした。何を言われるのだろう。どんなことを言われようとも覚悟は決まっている。それでも少しだけ,怖い。


「この老いぼれを敬え。上達は師をあがめることからだ。私の名前はライアン。以後、敬意を持って呼ぶこと」


 そんなことかよ,と内心ツッコミを入れながら,はいと胸を張って返事をした。



 村に着くと,まずは宿に入った。受付の人に部屋まで案内されている途中で村のことや宿の設備についていろいろと話が聞けた。。とにかくゆっくりしたかったので,布団と大浴場が用意してあるというのはありがたい。荷物を整理したらとにかく湯船で汚れを落として,ゆっくりと疲れを取ろう。食事はそれからだ。

 部屋について荷物をまとめ,着替えを持って部屋を出ようとしたとき,背後から呼び止められた。


「どこへ行く」

「どこって。汗を流してきます。砂地を走り回って汚れているし,傷口が化膿してはいけないので・・・・・・」


 最後まで言い切る前に「ばかもの!」と大きな声で怒鳴られた。


「何をたるんだことを言っているんだ。最後の構えからの太刀筋、なかなか良かった。だが,今やれと言われたらやれるか?」


 ライアンは杖を持って立ち上がった。そして,ぼくの剣を投げて渡し,やってみろ,といった。


「いや,ここ室内ですし,それに危ないですよ」

「何が危ない? チャンバラみたいに振り回して壁を傷つけそうか? それとも,まさか相手がけがをするとでも思っているんじゃないだろうな?」


 うっ,みぞおちが殴られたような声が漏れた。確かにそうだ。相手はいくら年を取っているとはいえ,勇者と呼ばれた剣の持ち主だ。それに,壁を傷つけるような剣さばきなんて,自分が剣を扱えていない何よりの証拠じゃないか。

 さっきの再現をしてやろうと,目の前に集中した。でも,やれる気がしない。ライアンからニャンゴロンとは違う異質な雰囲気が出ているのはもちろんだが,それ以前に自分がどのようにして剣を振るったのかまるで分からない。レベルや実力が上がったものだと思っていた。でも,ただ無心で集中する中でゾーンのような状態に入り,自分の力以上のものがたまたま発揮されただけなのかも知れない。


「分かるか? 何も身についてはいない。思い過ごすな。あんなのはただの会心の一撃,クリティカルヒットみたいなものだ。たまたま急所を突いたようなものでよくそうあぐらをかいていられるもんだ」


 ぐうの音も出ない。剣を下ろして,握っていた手のひらを見つめた。苦労を知らない,綺麗な手のひらだった。


「分かったら剣を持って広場にでも行ってこい。一万回剣を振ったら汗を流しても良いだろう」

「一万回!?」

「やかましい! 敵がいるつもりで構えからたたき込んでこい。弱音を吐いたら切るぞ」


 はい! と返事をして逃げるように部屋を飛び出した。


 宿舎を出てすぐの所に,丁度いい空き地があった。太陽はすっかりと沈んで,あたりはひっそりとしていた。人の気配を感じさせない空間が集中力を高めさせてくれる。街灯もない片田舎なため,家の中の明かり以外は光が当たらない。おかげで空に光る星がいつも見ているものよりも何倍も輝いていた。

 何度素振りを繰り返しただろうか。始めは逐一数をカウントしていたが,途中で何本振ったのかも分からなくなるほど疲労が全身を覆った。力を込めて振るのはもちろん,相手がそこにいることを意識して足運びと型を大切にしてひたすら振りこむ。疲れが限界を超えると,脳みそが疲れてくるのだと初めて知った。肉体的な疲労を感じたことはあっても,頭まで疲れを感じた経験は無い。やればやるほど疲れれるが,考えながらやっているため作業のような苦痛は感じなかったし,何よりやりながら成長している自分を感じることが出来た。長距離ランナーは気が遠くなるほどの長い距離を走り込むのだと聞いたことがある。それは,ただ体力を付けるためではなく,疲労困憊の極限な状況でこそ無駄のない効率的な身体の使い方を身に付けることが出来るからだ。千本ノックなんかもボールを捕球する技術を身に付けるためだけではなく同じような意味合いがあると聞いたことがある。頭の中をフル回転させながらひたすら振り込んでいると,自分の動きが洗練されているような気がした。

 あまりにも深く集中していたため,背後に忍び寄る影に気付かなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る