勇者の条件

 ニャンゴロンは後ろ足に力を入れて,バネが伸びるようにして飛びかかってきた。

 構えた剣を,ニャンゴロンが射程圏内に入ったタイミングで振り抜いた。剣を握った手首に鋭い衝撃がのしかかる。


「いってえ!」


 見事な空振りだった。剣はかすりもせずに空を切り,そのまま空振りして無防備になった手元に噛みついてきた。涙目になりながら必死に手を振り払う。なんとかニャンゴロンを払いきると,手元を見る。痛みはない。それでも,確かに重さは感じるし牙が皮膚に食い込む感触もわずかではあるが感じる。思わず身体がひるんだり避けんdなりしてしまっていた。

 目の前にゲージが表示された。さっき十分の一減った状態から,さらに同じ量のゲージが減った。これがぼくの命,いわゆるライフゲージというやつだ。ニャンゴロンは三日月のような目をしてうまい獲物を見つけたと口に出さんばかりに余裕そうな表情を見せている。こんな旅の始まりで出会うモンスターに苦戦していて自分が情けない。ぼくは本当に勇者になれるのだろうか。

 また飛びかかってきた。攻撃を与えると言うより,なんとか避けるために剣を振るう。いや,振るうというよりも振り回している。事態が好転しそうにないことは明らかだった。


「剣は気持ちの通りに動く。心が折れれば剣も折れる。折れた心が繋がれば,剣も再び力を発揮するぞ」


 老人が鋭く言い放つ。決して手出しはしない。いきなり実践じゃなくて,もっと手取り足取り教えてくれたって良いのに。もう,どうにでもなれ!

 吹っ切れた。投げやりな気持ちも半分あったが,決して諦めとは違う青い炎のような強い意志が内側から湧いてきた。

 ぼくは戦うという選択をした。自分で決めたからには最後までやらないと。こんなところで逃げていたら,現実世界と一つも変わらないじゃないか。ぼくはゲームで成長して,勇者になるんだ。

 剣を構え直した。呼吸が落ち着き,身体の深いところから不思議な力がみなぎってくるようだ。ニャンゴロンがいつ襲いかかってきても反応出来るように,肩の力を抜いて剣を構える。一歩目がスムーズに出せるように肩幅に開いた足を前後にずらす。

 警戒していたのにもかかわらず,ニャンゴロンは攻撃してこない。それどころか,どこかおびえている様子にも見える。


「好機を逃すな。今だ」


 合図と同時に軸足に力を込め,大きく足を踏み出した。同時に剣を振り抜く。剣は見事にニャンゴロンに命中し,そのまま蒸気のように消えていった。



「やればできるじゃないか。相手が子猫一匹だったことに目をつぶっても,良い集中力だった」


 短く伸びたあごひげをなでつけながら,小バカにしたような口調で老人は言った。


「何だったですか最初の演技は。あなた実はめちゃくちゃ強いんじゃないですか? いったい何者ですか?」


 わしは,と老人が遠くを見つめる目をして言った。その口元は緩み,明らかに過去の甘い思い出に浸っている様子だった。弱者を演じたり,風格を漂わせたり,子どものような幼い一面を見せたり,つかみ所の無い人だ。


「わしは,かつて勇者と呼ばれていた」


 ほっほっ,と笑いながら老人は歩みを進めた。気付けば村が目の前に見えてきていた。




「ま,待ってください!」


 先へ先へと進んでいく老人の前に回り込むようにして立ち塞がり,頭を下げた。


「教えてください。ぼくに,勇者のなり方を教えてください」


 老人は見下すような目でぼくを見つめた。ひるみそうになったが,ここで負けてはいけない。変わるんだ。ぼくは勇者になるんだ。

 心底がっかり,うんざりしたような調子で薄くなった髪の毛をかきながら語り始めた。


「二つ,勘違いをしている」

「何をですか? 教えてください」

「まあ落ち着け」


 焦らすようにして老人は間を取り,じっと目を見つめて問いかけた。


「お前さんは勇者をなんだと思っている?」


 答えに一瞬詰まった。勇者ってなんだろう。思いついたことを口に出した。


「勇者とは,世界を守る人です。かっこよくて,強くて,優しくて。・・・・・・違いますか?」


 老人は大きく,ゆっくりと首を左右に振った。


「全く勘違いをしている。すくなくともわしの考えていることとはな。そんな根本的なところが違うんだから,教えてくれと言っても無理な話だ」

「教えてください!」


 自分でもびっくりするぐらい,大きな声を出していた。身体全身が自分の声帯の振動で震えるのを感じるくらい,大きな声だった。変わりたい。今までの自分とは違う何者かになりたい。自分にとってそれが勇者になると言うことだった。自分が知らないことをとにかく一つでも吸収する。それしか今の自分に出来ることはない。勇者と呼ばれていた人が目の前にいることは願ってもないチャンスだった。

 観念したように老人は肩を大きく上下させた。


「勇者とは,なろうとしてなれるものではない。人に認められて与えられる称号だ。たとえどんな功績を残そうとも,人に認められ,称えられなければ勇者にはなれない。時には残酷なこともある」


 冷たい声だ。気温が急に下がったように,身体が縮こまる。


「同じ事をしても,ある人はあがめ奉られるが,一方ではひがまれ,憎まれる。挑戦することに対して応援されるものがいれば,他方で妨害されたり,関心さえ持たれないものもいる。この意味が分かるか?」


 深くうなずいた。そのことは,実感を持って身にしみている。生まれながらにして人を惹きつける力を持っている人がいる。学校という閉鎖的な空間の中で,一度その立ち位置が決まってくるとその後は大きく変わることはない。何かの拍子でリーダーシップを発揮して頼りにされる人がいる反面、何をやっても笑われ,しまいには集団で陥れることによって自分たちの立場を保証して権威づけるためにいじめられる者もいる。ぼくのように。

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