10:路地裏の老人

 ピケルはカケルが追いついたのを確認すると、複雑に入り組んで迷路のようになっている薄暗い路地を迷うこともなく、奥へ奥へと突き進んでいった。

 ピケルが再び立ち止まったのは、傷だらけ穴だらけの古いマットが敷かれただけの、小さなスペースの前だった。

 とても店とは思えないような、怪しげなその場所の中心には、薄汚れた灰緑色の髪とひげをぼうぼうに伸ばした、怪しげな老人が鎮座している。

 老人は、目を閉じて口を薄く開け、こくりこくりと船をこいでいる。

 表の住人であれば見て見ぬ振りをして通り過ぎるような老人の肩をトントンと叩き、こちらに気づいた彼と目が合ったのを確認すると、仲の良さそうな雰囲気で話し出した。

「よお、じいさん! ……生きてるか?」

「ピケルか……縁起でもないことを。見ての通り、ピンピンしとるわい!」

「そいつは良かった! あんたが死んでたら、俺が困るからな! っつうわけで、今日はあんたに見せたいものがあるんだ!」

「……じゃろうな。ふんっ……まあよい、それで用事ってのは? いくらワシでも、人身売買には手を出しとらんぞ?」

 そう言って老人は、濁った瞳をカケルに向ける。老人と目が合ってしまったカケルは、蛇に睨まれた蛙のようになってしまい、その場から一歩、後じさった。

「ねえピケル君、この人は?」

「ああ、そういえば紹介していなかったな。このじいさんは、えっと……じいさんだ。土とか鉱石とか宝石とかを、買い取ってくれる便利なじいさんだ!」

 ピケルの説明を聞いて、カケルは「なるほど」と頷いていたが、老人の方はその説明では納得いかなかったようだ。

「おいピケル! もっとちゃんと説明せんか! わしがやっとるのは、完全に合法な取引だけじゃ。今のところ違法なことには手を出しとらん! ……坊主、カケルと言うのか? ワシの名はモス……このあたりでは、こいつ以外にはモスジイと呼ばれとる。よろしくの!」

「うん! よろしくお願いします、モスおじいさん!」

 モスは、カケルの素直な様子を見て、うんうんと満足げに頷いていた。

「カケル、お主はこやつとは違って良い子じゃのう! 全く、おまえの爪の垢を煎じてこいつに飲ませてやりたいぐらいじゃわい!」

「え、爪の垢? そんなのどうやって取るの? 爪の垢っておいしいの?」

 あまりに素直な反応に、モスは思わず吹き出して、ピケルは見ていられないというように片手を顔に当ててため息をついた。

「ハッハッハ! カケルの爪の垢なら、10グラムを銀貨1枚で買い取ってやっても良いぞ! 取れたら是非、ワシんところに持ってきとくれ!」

「え、ほんと? すごい! ……ピケル君、爪の垢ってどうやって取れば良いか、知ってる?」

 モスの戯言を真面目に受け取ったカケルに向かって、ピケルは「馬鹿、本気にするな。そんなのただの、じいさんの笑えない冗談だろうが……」とあきれた声で話し、カケルを落ち着かせてから老人に向きなおった。


「んなことよりじいさん! 魔石があるから買い取ってほしいんだが!」

「まあ、そんなことじゃろうと思っておったわ……見せてみな!」

 ピケルは、カケルから預かっていた黄色の魔石をモスに手渡した。

「これだ。分かってると思うが……ごまかそうとするなよ?」

「ふん! ワシも、おまえの目利きをだませるとは思っとらんわ! 待っておれ、すぐに済ませる……」

 モスはピケルから鉱石を受け取ると、地面に置かれていた機械にはめ込んだ。

 そして機械のスイッチを押し込むと、自動的に魔鉱石の解析が開始された。

 電子レンジのような箱形の機械に入れられた鉱石は、様々な波長の光りを当てられて、数秒で解析結果が画面に表示される。

 機械に備え付けられていたタブレットの画面には、様々な数値やグラフが表示されており、モスはその結果を見ながらふむふむと呟いている。

「こいつは、なかなか良い品じゃな! 表の鉱石屋に持って行っても、金貨二枚ぐらいにはなるじゃろうが……」

「だが、ジイさんはもっと高く買い取ってくれるんだろ?」

「それは、もちろん。そうじゃな、ワシの分の手数料を引いて……金貨五枚ってところが妥当じゃろ。ほれ、持ってきな!」

 そう言ってモスはボロボロのポケットの中に手を突っ込んで、キラキラと光る金貨を五枚取り出した。そして一瞬だけ迷うそぶりをして、ピケルではなくカケルの方にその金貨を手渡す。

「モスおじいさん、ありがとうございます……」

 カケルはモスから金貨を受け取ると、そのうちの二枚を自分の懐にしまい込み、残りをピケルに差し出した。

「はい、ピケル君! 半分こだよ!」

「ああ、ありがとう……いや、おかしいだろ!」

 差し出されたので思わず受け取ってしまったピケルは、一瞬の間を置いて叫び声を上げた。しかしカケルの方は、そんな様子を見てきょとんとしている。

「え、ごめん……なにが?」

「いやいやいやいや……どう考えても枚数がおかしいだろ! 何で、俺が三枚でおまえが二枚なんだ?」

「だって、五枚だと二人では割りきれないから……しょうがないじゃん! 金貨って、半分に切ったりしたら、偉い人に怒られるんだよ! ……もしかして、知らないの?」

「それはそうだが……いや、そうじゃなくないか?」

 裏の世界で生きてきたピケルにとって、こういう場合にまず最初に考えるのは、いかに自分の取り分を多くするかということだった。

 順当に考れば、直接鉱石を採掘したカケルが金貨五枚を手にして、ピケルには手数料として銀貨や銅貨を数枚支払われる程度だと思っていたのだ。

 いかに多くの手数料を受け取れるかの交渉をしようと意気込んでいたピケルは、手柄の半分どころかそれ以上を差し出してきたカケルに対して、拍子抜けをしてしまう。

「カケル、せめて逆にするべきだ。俺が二枚で、お前が三枚……」

「でも、僕がこれを表のお店に持ち込んだら、金貨二枚が相場なんだよね? だったら僕は二枚で良いよ。残りはピケル君がもらっておいて!」

「……いや、こんなことを俺が言うのも変な話なんだが、お前はもっと金を大切にした方が良いぞ? 金ってのはあって後悔することはない……」

「だったら! ピケル君がもらってよ。お金はあっても後悔しないんでしょ?」

「いや、だから!!」

 一向に金を受け取ろうとしないカケルを前にして、ピケルの中に不思議な感覚が生まれ始めていた。

 それは、理解できない生き物を前にしたときの不気味な感覚のようであり、自分自身という生き物の醜さを映す鏡のように、不快な感覚のようでもあった。


「ハッハッハ……愉快じゃ! 愉快じゃな!」

 互いに譲ろうとせずに金貨を押しつけ合う二人を見て、モスは楽しそうに笑い声を上げた。

「ピケルよ、面白い友達を作ったな。大切にしろよ! ……さて、カケルよ」

「うん、なに?」

「カケルよ、ピケルそいつは照れとるだけだ。遠慮は要らねえ、そのまま押し切っちまいな! ……と、応援したいところだが、このままだときりが無い。そこで俺から提案がある」

「うん……提案?」

 モスは、カケルに対して「ああそうだ、提案だ」とうなずき、ピケルのことを指さした。

「そいつは、実は昔から採掘者になるのを憧れてるんだ。だが金が無い。金が無いから何もできないと嘆いていた。そいつは金の使い方が下手なんだ。何せ金を手にしたことが無いからな! そこで、だ。とりあえずその金貨一枚かねはお前が預かって、それでピケルに、採掘者になるための道具をそろえてやる……ってのは、どうだ?」

「おい待てじいさん! 人の秘密を勝手に……そうだ、カケル。お前あの店で土袋を盗られたとられたままだろ? 新しいのを買うのに、金が必要なんじゃないのか?」

「うん、そうだね。ピケル君の装備をそろえるついでに、僕の土袋も新調しんちょうしないとだね! そうと決まれば早速行こう! 僕がお店まで案内するよ!」

 カケルはピケルの手を引いて、来た道を引き返して表通りに戻っていった。

 そしてそのまま、かつて姉達と一緒に訪ねたことがある採掘者の道具屋へと向かう。


 その場に残されたモスは、挨拶も無しに立ち去っていった二人の姿が見えなくなるまで手を振って見送って、最後に「フッ、頑張れよ……」とだけ呟いて、再び客の来ない店で船をこぎ始めるのだった。

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