第32話

 動く岩の正体は、キツネ娘のジャコであった。


 予想外の伏兵の登場に、奇襲を受けたシキリの村長はもちろんのこと、対岸の村人たちまでもがみな腰を抜かして驚いている。

 その中で立っているのは、俺ひとり。


 当然だ。だって俺がジャコに頼んで、村の外で化けてもらってたんだからな。

 ジャコはブツブツ文句を言っていた。


「朝早くからグリードに叩き起こされたと思ったら、こんな張番はりばんのようなことをさせられるとは……。

 じゃこ天10枚では割りに合わんではないか、まったく……」


 ダイコンは俺の足元にすがりついたまま、ワナワナと震えていた。


「じゃ、ジャコさんのお姿が朝からお見えにならないと思ったら……。まさか、そんな所にいただなんて……ずっと探してたんですよぉ!?」


「ああ、心配かけたダイコンよ。でも、文句ならそこにいるグリードに申すがいい」


「ってジャコさん、身体じゅうが虫さされみたいになってます!?

 い、いえ、よく見たら……あ、あれはまさか、お嫁さんの三大夢のひとつ、『キスマーク』っ!?

 ももも、もしや、旦那様が……!?」


「これはおぬしの仕業じゃっ!」


「おい、ジャコ、漫才はそのへんにして、そろそろカタを付けてくれるか?」


 俺が言うと、ジャコは妖狐の姿に変化。

 村長は腰が抜けて立てないのか、悲鳴とともに這い逃げていく。


「ひ、ひいいっ!? おおおお、お許しをっ!? お許をををっ!!」


 ジャコはジャキンと伸ばした長い爪で、逃げる村長の尻をツンツン突きながら追い回す。

 まるで死にかけのネズミを弄んでいるかのように。


 とうとう追いつめられてしまった村長は、ダンゴムシのように身体を丸めて泣き叫ぶ。


「うわあああっ! 殺さないで! 殺さないでぇ! なんでもますから、命だけはぁ!」


「ほほほ、命までは取らないから、安心するのじゃ」


「ほ、本当ですか!? あああっ、ありがとうございます! ありがとうございます!」


 しかし妖狐は、残忍に笑っていた。


「そのかわり……死ぬよりも苦しい人生を、そなたに与えてやろう……!」


「えっ……えええっ!?」


 ジャコは爪をぺろりと舐めあげる。

 その濡れ光る切っ先には、禍々しいオーラがあった。


「さぁ……貧しく生きよ……!」


 ……ズバァァァァァッ!!


 暗黒の爪が一閃し、村長の顔面に引き裂いたような爪痕を残す。


「ぎゃっ……ぎゃああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


 傷はそれほど深くないようだったが、村長は大袈裟に叫んでのたうち回る。

 しかし運悪くというか、必然というか、そばにあった坂道にさしかかってしまい、


「あっ……あんぎゃぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


 ゴロゴロと、急な坂道を真っ逆さまに転がり落ちてしまった。

 そのまま、坂道のふもとにあった、トゲの茂みに突っ込む。


「ぎゃあっ!? いだいいだいいだい、いだいいーーーーーーーーっ!?!?」


 トゲまみれになってもなお勢いは衰えず、その先にある川へと転がっていく。


「やっ!? やだやだやだあっ!? お、俺は泳げないんだっ!? やだぁぁぁぁぁーーーーーっ!!」


 なんとかして止まろうとしていたが、その努力も虚しく、川にざっぱんと飛び込んでしまう。


「ぷ、ぷはあっ! 死ぬっ! 死ぬっ! 死ぬぅぅぅっ!? 

 こ、この先は滝なんだっ! だ、誰かっ! 誰か助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーっ!!」


 この中で物理的に助けに行けるのはジャコのみ。


 しかしジャコは毛繕いの真っ最中。

 まるで村長の叫喚をBGMにでもするかのように、満足そうな表情で毛並みを整えていた。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 悪徳村長を撃退した俺は、びんぼう村の者たちに向かって告げる。


「それじゃ、次は橋を直すとするか。みんな、手伝ってくれるか?」


 すると、びんぼう村の者たちだけでなく、シキリの村の者たちもいっしょになって「おーっ!」と応えてくれた。

 もはやひとつになってしまったかのように、村人たちは仲良く力をあわせて共同作業をしている。


 俺は、これならイケるな、と思った。


「グリード様、橋が完成しましただ! グリード様の教えられたとおりにやったら、北も南も、すぐに元通りになっただ!」


「ご苦労。でもまだ完成じゃないぞ」


「えっ」


「せっかくだから、吊り橋じゃなくて、もっと立派で頑丈な橋を作ろうじゃないか。

 そうすれば、もう落とされることはなくなる」


「は、はぁ……。ということは、町にあるような木の橋を作るだか?

 でも、いくらなんでもアレは、職人がいないと無理ですだ……」


「違う違う。木の橋はかなりの木を使うんだ。こんな岩山じゃ、材料が集まらんだろう」


「えっ、ということは、木の橋ではないだか? でも、木以外の橋だなんて、ありえねぇだよ」


「ありえるよ。この村の名産はなんだ?」


「え……ま……まさか、石で橋を作るだかっ!?」


「そのまさかだ」


「む……ムチャだ! 石の橋だなんて高級品で、王都にしかないっていう話だ!

 そんなのが、ワシらに作れるわけが……!」


「石の橋が高級品とされているのは、均一な大きさの石を揃えるのに手間がかかるからだ。

 しかしこの村なら、石はどうとでもなる。

 よその村ならいざしらず、石橋はこの村にとってはいちばん作りやすい橋なんだ

 いいから、俺の言うとおりにするんだ」


 半信半疑な村人たちをよそに、俺は作業を推し進めた。


 旧シキリの村の者たちには、俺が指定した石材の準備をさせる。

 それ以外の者たちには全員、工事の基礎となる、アーチ状の木の橋を架けさせた。


 石橋をささえる木の橋ができたあと、アーチの形に添って石を積み上げていく。

 ここで石を隙間なく積み上げるのが強い橋を作るコツなんだが、さすが石材のプロたちが揃っているだけあって、そのへんはバッチリだった。


 石を積み上げたあとは歩道を作り、最後は石の欄干を付ける。

 あとは、基礎となった木の橋を撤去すれば完成だ。


「えっ!? 下の木の橋を壊すだか!?

 そんなことをしたら、石の橋まで崩れちまうだよ!?」


「そうじゃ! 石はただ積み上げただけで、釘を打ったり、くっつけたりはなにもしちゃいねぇだ!」


「大丈夫だ。石橋ってのは上からの重みで支えられるから、崩れたりはしない」


 ここまで来てもまだ半信半疑な村人たち。

 まるで黒ひげを捕らえた樽にナイフでも刺すように、おそるおそる木の橋を崩していく。


 ついに、石橋は完成。

 俺が初めて渡るその瞬間まで、村人たちは崩れるんじゃないかとビクビクしていた。


 そして、自分たちが橋の上に立っても、まだ信じられない様子だった。


「う……ウソ、じゃろ?」


「ワシらが乗っても、崩れるどころか……」


「村人全員で乗っても、びくともしないだなんて……」


「こ、こんなこと、あるわけが……」


「で、でも、おらたちはやったぞ! 王都にしかねぇような立派な石橋を、作ってみせたんじゃ!」


「ま、まさかワシらに、こんなすげぇことができるだなんて……!」


「しかもこれなら、荷車で石が運べるようになるぞっ!」


「な、なんと! 今までは吊り橋と山道のせいで、村から遠く離れた場所まで、背負って石を運んでいたのに……!」


「まるで、夢みたいじゃあ!」


「これもなにもかも、グリード様のおかげじゃっ!」


「グリードさまっ! ばんざーいっ! ばんざーいっ!!」


 村人たちは有頂天になって、とうとう俺の身体を胴上げしはじめる。

 それは、俺と村人たちの間に、さらなる強固な『心の橋』が架かった瞬間であった。

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