第16話

 その日の夜。

 俺は穢れ山にある自室の居間で、囲炉裏に向かって手をこすりあわせていた。


 外にはびゅうびゅうと風が吹きすさび、戸を叩いている。


「ううっ、寒いなぁ。またいちだんと寒くなったみたいだ」


 すると、隣にいたダイコンが、羊毛の上着を脱ごうとした。


「でしたら、わたしのを羽織ってください」


「いや、いい。お前のほうが寒いだろう」


「いえ、わたしは寒空で暮らしておりましたので、寒さには強いんです。

 旦那様がお風邪を召されたら大変ですので、こちらの羽織を……」


「いいから着てろって」


「ううっ……旦那様がどうしてそんなにおやさしいのですか?」


「このくらい普通だろ」


「普通じゃありません。羊さんたちの毛でたくさんの衣服を作ったのに、自分では着られず、わたしや村の方たちに分け与えるだなんて……」


「俺はまだ16だから、このくらい平気だ。

 それよりも女や子供、年寄りのほうが寒さはこたえるだろうからな」


「やっぱり、旦那様はおやさしいです……」


「何度も言ってるだろう、俺は自分のものは大切にするって」


「わたし……旦那様に大切にされているんですね……」


「いまさらなに言ってんだか」


「ならわたしは、旦那様を大切にさせていただきます! やっぱり、この上着をお召しになってください!

 いま、脱ぎますので!」


 ダイコンは決意に満ちた表情で立ち上がると、痴女のように上着をバッとめくりあげ、俺ににじり寄ってきた。

 しかし気持ちが昂ぶっているのか、脱ぐのも向かってくるのもうまくいかず、途中ですっ転んで倒れかかってくる。


 地面に倒れそうになるところを、俺は寸前で受け止めた。


「きゃあっ!?」


「おいおい、大丈夫かよ」


「す、すみません、旦那様……」


 転んだ拍子とはいえ、思ったより顔が近い。

 驚いて見開いたダイコンの瞳に、俺の顔が映り込むほどに。


 ほんのり染まる桜色の頬と、風呂上がりの肌の香りを感じ、ドキリとする。


「すすっ、すみません! こんな見苦しい顔を、間近でお見せしてしまって……!」


 ダイコンはビクリとなって離れようとしたが、俺はその腰を抱き寄せた。

 力を入れすぎたら折れてしまいそうな、柳のような腰だった。


「あっ、旦那様!?」


「いいから、じっとしてろ」


 俺は強めの言葉で制し、ダイコンのアゴをクイッと親指で持ち上げる。


「はっ、はひ……!」


 俺の口調がいつも違っていたので、ダイコンは引きつった声とともに、身体を硬直させていた。

 俺の命令はどんなことでも絶対だと思っているかのように、きつく目を閉じている。


 俺は、自分がとんでもないことをしているのにようやく気付いた。

 誤魔化すように溜息をつく。


「ふぅ……こうして抱っこしてると、だいぶ暖かいな」


「だ、旦那様……」


 するとダイコンの緊張は一気に解け、笑顔が戻る。

 俺と一緒にいるようになって、いつも見せてくれる笑顔に。


「こうして一緒に上着を羽織ると、もっと暖かいと思います」


 ダイコンは上着を脱いで、俺の肩に掛けた。

 そして、あぐらをかいている俺のなかに、ちんまりとおさまる。


 しかし、ふと気付いて、


「あっ、すみません旦那様、わたし、重いですよね?」


 ダイコンはそんなことを気にするレベルではないくらいに軽かった。


「いや、ぜんぜん重くないよ。だから、このままでいてくれ」


「はっ、はい……!」


 ダイコンは最初は遠慮がちに、俺のなかにいた。

 しかしだんだん慣れてきたのか、飼い猫になったばかりの子猫のように俺の胸に甘えてきた。


「旦那様の胸、ぽかぽかです……」


「ああ、俺もだ」


「わたし……旦那様といっしょなら、どんなに寒くても平気です。

 もっと寒くなってもいいくらいです。

 そしたらずっと、こうしていられるのに……」


「ああ、俺もだ」


 ふと、ダイコンが顔をあげた拍子に、目があった。

 そっと顔を近づけても、もう彼女は怯えたりはしない。


 俺を受け入れるように、静かに瞼を閉じていた。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 ゲレンデも溶けるほどにアツアツのふたり。

 この睦み合いはふたりっきりで、当人たちも誰も知らないことだと思っていた。


 しかし、見られていたのだ。

 あの、男に……。


 そう、エンヴィーである。


 エンヴィーもちょうど、寝室でアツアツの真っ最中。

 円形のプールのような広大なベッドの真ん中で、世界中から集めた半裸の女たちと絡み合っていたのだが……。


「ぐっ……! ぐぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」


 突然、半狂乱になって立ち上がり、天井にある巨大な水晶板を指さした。

 この水晶板には、いつもはムードを高めるために星空などが映し出されているのだが、今は炉端で抱き合うグリードとダイコンが映っている。


「おいっ、オムニス! なんだこれはっ!?」


 エンヴィーは寝室の隅に佇んでいる太陽神を怒鳴りつけた。


「俺様はカーソン領を寒くしろと命じたはずだぞ!?」


 カーソン領というのは、びんぼう村がある地方のことである。

 なんとここ最近の異常な寒さは、このエンヴィーによる仕業だったのだ。


 その差し金を実行していた太陽神は、「御意のままに」と頷き返す。

 その態度がまた、エンヴィーを苛立たせた。


「俺様は、グリードが苦しむ様が見たかったのだ!

 飢えと凍えを与えれば、グリードのそばにいる女も愛想を尽かし、離れていくに違いないと!

 そうすれば、グリードはひとりぼっち……!

 寂しく凍え死ぬグリードを見ながら、俺様はヤツが手に入れられなかったぬくもりを、好き放題に抱くのだ!

 しかしなんだ、この有様は!?

 ヤツは飢えるどころか、へんな食べ物を貧乏人たちといっしょに、旨そうに食っているではないか!?」


「あれは、燻製に切り干し大根というものです」


「知るか、そんなこと!

 ヤツは腹一杯になったうえに、夜はあの美しい少女と、あんなに仲睦まじく抱き合っているではないか!

 寒さなど、まるで知らぬかのように!」


「それは、心の持ちようというものです。

 あの者たちはどんなに逆境があろうとも、強く生きていけるだけの心の強さがあります」


「ええい、言い訳などたくさんだ!

 カーソン領をもっともっと寒くするのだ!

 あのボロ屋を吹き飛ばすほどの吹雪を吹かせるのだ!

 そうすればヤツらの偽りの愛など、すぐにボロが出る!

 醜く争いあうに決まっているのだ!」


 しかし、太陽神は無慈悲に告げる「無理です」と。


「私のレベルはまだ1です。

 レベル1であれば、いま以上の気象変化はできません」


 彼がレベル1のままなのは、単純にエンヴィーが経験を積ませるようなことをさせていないからであった。

 オムニスは暗にそのことを伝える。


「そもそも、帝王たる者が私情で民を苦しめるのはいかがなものかと思います。

 私の力は、民を導くためにあるのであって……」


 しかしエンヴィーには、そんな遠回しな言い方が通じるはずもなく……。


「この、役立たずめぇ! 1匹の虫ケラを凍えさせることもできないクセして、なにが太陽神だ!

 くそっくそっくそっくそっ!

 くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーっ!!」


 とうとう地団駄を踏み始めてしまった。

 しかも、なだめようとする女たちまで足蹴にする。


「くそっ! くそっ! くそっ!

 グリードのそばにいるあの美しい女に比べたら、お前らはみんな虫ケラだっ!

 こうやって、俺様に踏み潰されるしか価値がないのだっ!

 虫ケラ風情が、俺様と床を共にしようなどとは無礼にも程があるわ!

 消えろっ! 消えろっ! 消えろっ!

 でなければ腹を踏み潰して、二度と子を産めぬ身体にしてやるぞっ!」


 彼は知っていた。

 女たちはみな帝王の妻となりたいがために、自分に媚びていることを。


 彼は知らない。

 『美しい女』の正体が、かつて自分がグリードになすりつけた貧乏神であることを。

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