第6話

 初めての遠眼鏡に、ダイコンは大興奮。


 麓にある『ハテサイ村』はかなりの広さがあるのだが、遠眼鏡を使えば一瞬にして端から端まで見渡せる。

 道行く村人たちや、家の中にいる村人たちの表情までハッキリとわかる。


 しかもいくら凝視しても、向こうは気付かないという不思議な感覚。

 いままで、顔を向けるだけで「こっち見んな」と罵られてきたダイコンにとって、人の顔をいくら見つめても怒られないというのは新鮮であった。


 ダイコンは大喜びであったが、遠眼鏡の向こうにある村人の顔色は冴えない。

 誰しもが疲れ切った顔をしていた。


「はぁ……今年はこのまま収穫を終えれば、ギリギリなんとかやっていけそうじゃが……」


「問題はどうやって、この村を襲う盗賊たちをなだめるかじゃ……」


「ヤツらに奪われ過ぎると、飢え死にしてしまうからのう……」


「かといって下手に隠してバレると、殺されかねんし……」


「も……もう嫌じゃ! 作ったものを領主に取られ、盗賊に取られ……なんで作ったワシらがひもじい思いをしなくちゃなんねぇんだ!?」


「しょうがねぇだろう、それが世の中の仕組みってもんだ。それにワシらはまだマシなほうじゃ」


「そうじゃそうじゃ、見てみい、『穢れ山』のほうを。夕陽に照らされて、炎に焼かれるように悶え苦しんでおる」


「あそこに向かった男は、いまごろ貧乏神に地獄の苦しみを与えられてるに違いないて」


「ううっ、そうじゃのう……貧乏神に取り憑かれることに比べたら、ワシらはまだ幸せじゃ……」


 まさか、彼らは思ってもいないだろう。


 一日中クタクタになるまで畑を耕しても一向に豊かになれず、食うや食わずの貧乏暮らしを送っているというのに……。

 彼らが忌み嫌う『穢れ山』は食材の宝庫で、そこで誰よりも幸せに暮らしている、カップルがいるということを。


 見た目だけで物事を判断する彼らには、決してわからないことであった。

 村人の誰かが、こんなぼやきを漏らす。


「ああ……一度でいいからたらふく食って、酒でも飲んでみてぇなぁ……」


「ああ……酒なんて、もう何年も飲んでねぇよ……」


 彼らは知らない。

 夢見るほどに望むものは、偏見さえなくせばすぐ手に入ることに。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 俺とダイコンは、まだ温泉に入っていた。

 湯船の上に木の板を浮かべ、その上に焼き魚や焼きキノコ、山菜サラダを乗せて宴の真っ最中。


 そして今日は、スペシャルドリンクまであった。


「だん……グリード様、これは何なのですか? とってもいい香りがしますけど……」


「ああ、それは『猿酒』といって、この山で採れたものだ」


「お酒!? 山の中ってお酒も採れるんですか!?」


「木から落ちた果実が発酵すると、酒になることがあるんだよ。この温泉といっしょに見つけたものだ」


「へぇぇ……! だん……グリード様は何でもご存じなのですね! では、おひとつどうぞ!」


 俺はダイコンのお酌で晩酌を楽しんだ。

 帝国では16歳にならないと酒は飲めないのだが、帝王学の一環として酒は鍛えられてきたから、初めてじゃない。


 猿酒は帝国で飲んだどんな高級酒よりも美味だった。

 フルーティでコクがあって芳醇で、それなのにのどごしがすっきりして爽やか。


「うん! こりゃうまい! お前も飲んでみろ!」


「いえ、わたしは結構です。こうしてお酌をさせていただくのが、お嫁さんの三大夢でしたから」


「そう言うなって! いいから飲んでみろよ!」


 俺は半ば無理やりダイコンに酒を勧めたのだが、これが良くなかった。

 彼女はおちょこ一杯で、ゆでダコのように真っ赤になると、


「うぃ~ひっく! これ、とってもおいしいれすねぇ!」


「まさかここまで早く酔っ払うとは」


「もう! なにおっしゃってるんれすかぁ! それにどうして、そんなにおやさしいんれすかぁ!」


「しかも絡み酒とは」


「答えてくらさい! どうしてそんなにおやさしいんれすかぁ!

 そんなにやさしくされちゃったら、わらし、離れられなくなっちゃうじゃないれすかぁ!」


「わかったから、ちょっと落ち着け」


「なら、約束してくらはい! わらしを一生おそばにおいてくださるって!」


「いいから水を飲め、なっ」


「やれすぅ、嫌いになっちゃやれすぅ! わらしのこと、嫌いにならないれくらはいぃ!」


 さっきまで肌が触れるだけでビクッてなるほど恥ずかしがっていたのに、飛びかかるように抱きついてくるダイコン。

 俺は意識しないようにがんばっていたのに、過剰な膨らみが押し当てられる。


 もちもちの感触が、俺の全身に吸い付いてきた。


「もうきめました! わらし、グリード様のことをこれから『旦那様』ってお呼びします!

 ずっとそうお呼びしたかったんれす!」


「ああ、それで俺の名前を呼ぶときに、妙な感じになってたんだな」


「そうれすよぉ! でもこれで、わらしは完全に旦那様のお嫁さんになったんれす!

 わらしは子供の頃からずっと、お嫁さんになるのが夢らったんれす!

 その夢が、やっと叶いました!」


「そうか、よかったな」


「でもわらし、子供の頃からずっとお前は醜いって言われ続けて、みんなから嫌われ続けて……。

 絶対にお嫁さんになんかなれないって……一生、ひとり寂しく暮らすんだ、って……!

 旦那様がいてくれなかったら、わらし、わらし……うぇっ……うぇっ……うぇぇ……!」


「今度は泣き上戸か」


 俺の胸に顔を埋めていたダイコンが、パッと顔をあげた。

 磨き上げられた黒曜石のような瞳は、水を張ったように潤み、睫毛はダイヤモンドのような滴がキラキラと輝いている。


 ドキリとするほどに、綺麗だった。


「旦那様……わたし、わたし……!」


 頬に張り付いた黒髪が、桜の花びらのような唇にまで及んでいる。

 その唇が切なそうに動いたあと、ゆっくりと近づいてきていることに気付いた。


 しかし、ダイコンは途中で電池が切れてしまったかのように、かくん、と首を折る。

 俺の肩にアゴを乗せて、


「ふにゃ……旦那様……大好きれす……」


 甘えるように囁きながら、むにゃむにゃと俺に頬ずりしていた。


 ……やれやれ、寝ちまったようだな。


 俺は複雑な気持ちが入り交じった溜息をひとつつくと、ダイコンを抱き上げて、温泉からあがった。

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