第5話

 ダイコンの素顔を見た俺は、いつになく困惑していた。

 なにがあっても冷静でいろと、かつてのオヤジに教育され、ちょっとのことでは驚かない自信があったのに。


 ダイコンは膝裏に付きそうなほどの長い黒髪の持ち主で、前髪も同じくらいに長い。

 それで顔を覆い隠しているものだから、表情といえるものは口元しかわからなかった。


 傍から見れば未練を残して死んだ怨霊のようで非常に不気味だったのだが……。

 まさか、前髪の下にはこんな美しい顔が隠れているなんて……。


 瞳はまんまるで大きく、澄み切っていて黒目がち。小さな鼻におちょぼ口。

 まるで雛鳥のように、すべてが愛らしいパーツだけで構成されたような顔だ。


 もしこの美少女と一緒にいられるなら、貧乏を喜んで受け入れる男が大勢いることだろう。

 しかし当人はまったく自覚がないのか、気恥ずかしそうに俯いていた。


「……こ、こんなわたしを可愛いだなんておっしゃってくださるだなんて、お世辞でもとっても嬉しいです。

 落ち着かないので、元に戻しますね」


 結った髪を戻そうとしていた白い指を、俺は掴んだ。


「ダメだ、そのままでいろ。お前はそっちのほうがずっといい」


「は、はい……。グリード様が、そうおっしゃるのでしたら……」


「お前の髪サラサラで気持ちいいな。触ってもいいか?」


「はい、グリード様がお望みなのでしたら、お好きなだけ」


 俺は改めてダイコンの髪に手を這わせる。


 ダイコンの黒髪は艶があって、絹のように滑らかな手触り。

 いつまでも触っていたいほどに気持ちいい。


 気がつくと、ダイコンも幸せそうに目を細めていた。

 「ふにゃ……」と、とろけたような声を漏らしている。


 その日、俺はダイコンの髪をもてあそびながら、眠りについた。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 次の日、俺は森の木々を手斧で伐採しまくった。

 集めた木を木材にして、簡単な小屋を組み上げる。


 できあがったものを、ダイコンは「はえー」と見つめていた。


「ま……まさか、お家まで作ってしまうだなんて……」


「いつまでも洞窟暮らしってわけにはいかないからな、これで少しはマシになるだろう。

 そっちのほうはどうだ?」


「はい、だん……グリード様のご命令どおり、草を刈って干しておきました」


「よし、干し草はいろいろ使い道があるからな。ベッドや屋根、火付け剤になるんだ」


「だん……グリード様は、本当にすごいです!

 こんなにいろんなことができるだなんて……!」


「なぁ、俺の名前を呼ぶときに『だん』って付けてるのは何なんだ?」


 すると、ダイコンは両手をわたわた振ってキョドりはじめた。


「えっ!? あっ、それは、なんでもないんです!

 ちょっと、間違えてしまって!」


「まあいいや。俺はちょっと川の仕掛けを見てくる。

 メシの準備をしといてくれるか?」


「は、はい、かしこまりました! いってらっしゃいませ! だっ……あわわ、グリード様っ!」


 俺は両手をぶんぶん振るダイコンに見送られ、川へと向かう。

 その途中、ちょっと足を伸ばして付近を探索してみたんだが、面白いものをいろいろ見つけた。


 そして、その日の夕方。

 俺はダイコンを引きつれ、山のある場所へと来ていた。


「う……うわぁ……! 池から湯気が出てます! これはもしかして、お湯ですか!?」


「ああ、『温泉』といって、自然に湧き出した湯のことだ。

 料理などに使うほど熱くはないが、身体を温めるのはじゅうぶんだ」


「えっ、この中に入るのですか?」


「そうだ。帝国を出てから風呂に入ってなかったからな。さっそく入ろう」


 俺が服を脱ぎ始めると、ダイコンは「キャッ」と慌てて手で顔を覆った。

 すっぱだかになって、温泉にざぶんと飛び込む。


「お……おお~っ! こりゃ気持ちいい! 最高だぞ、ダイコン! お前も来いよ!」


 ダイコンは俺が脱ぎ散らかした服を畳みながら、困り眉を向けてきた。


「あの、こんなお外で服を脱ぐだなんて、恥ずかしいです……。

 わたしは顔だけでなく、身体もみっともないので……」


「こんな誰もいない所でなに言ってんだよ。向こう向いててやるから、早くしろ」


 この温泉は『穢れ山』の頂上付近にあり、周囲の景色が一望できるほどに見晴らしがいい。


 その景色を楽しんでいると、後ろのほうでしゅるりと衣擦れの音が聴こえてきた。

 やがて、ちゃぷん、と虎のいる池で子鹿がが行水するような、遠慮がちな水音が。


 そして、「はふぅ」と控えめな吐息。

 振り返ると、長い髪を利用して身体を覆い隠しているダイコンが、すみっこのほうでモジモジと湯に浸かっていた。


「どうだ、気持ちいいだろ?」


「はい……気持ちいい、です……」


「こっちに来てみろよ、すごくいい夕暮れだぞ」


 音もなく俺の隣にやってきたダイコンは、眼下に広がるオレンジ色の絶景に、大きな瞳をさらに見開いていた。


「う……うわぁぁぁ……! とっても綺麗です……!」


「だろ? この景色は、どれだけ金を積んでも見られるものじゃない。

 これだけでも、この山に来た甲斐があったってもんだ」


「こんな美しい場所が、『穢れ山』なんて呼ばれて、嫌われているだなんて……」


「まるで、ダイコンみたいだな」


「えっ」


「この山は外見は恐ろしいけど、中に入ってみると美しくて清らか、お前とそっくりじゃないか」


 すると、桜色に染まっていたダイコンの顔が、ボンッと発火するように赤くなった。


「かっ……からかわないでくださいっ!」


「からかってなんかないさ、ちょっと待ってろよ」


 俺は、温泉のへりに置いていたリュックから金属の筒を取り出すと、ダイコンに渡した。


「なんですか、これは?」


「それは『遠眼鏡』といって、遠くのものを見ることができる道具なんだ。

 それで麓のほうを覗いてみな」


 ダイコンはさっそく言われたとおりにしていたが、対物レンズのほうに目を当ててキョトンとしていた。

 その仕草が可愛らしくていつまでも見ていたかったが、俺は「逆だ」と教えてやる。


 接眼レンズのほうに大きな瞳を当てたダイコンは、「わっ!?」と驚嘆を漏らす。


「わっ、わっ、わっ!? すごいすごいすごい、すごいです!

 麓の村が、まるで手元にあるみたいに近くに見えます!

 こっ、こんなすごいものがあるだなんて、知りませんでした!

 わっわっわっわっ、うわぁ~~~っ!?」


 遠眼鏡がよほど珍しかったのか、ダイコンは子供のようにはしゃいでいた。

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