第37話 準備不足でも待ってくれない
エマトールが囁いた。「由良、高音を吹いたら後ろへ走って。いいね、今だ」
ピーーーッ!!
強く吹きすぎてオカリナの音が裏返る。
由良は背を向けて後方へダッシュした。もしその光景を見ながら後ろ向きに走っていたら、おそらく腰を抜かしていただろう。焔の如きハナサキはまさに炎のように身を躍らせて、音の先にいたエマトールに襲いかかった。
ギャッ! と声が聞こえて振り向くと、そこには左前肢を落とされたハナサキがのたうっていた。ギィィィ、ギィィィと悲鳴とも骨の軋みともつかない音を発しながら、苦しんで身をくねらせ血を流し、周囲に砂利を飛び散らせている。
素早く戻ってきたエマトールの背後で、由良は息を飲んで両手で口を塞いだ。また悲鳴をあげてしまいそうだった。
ピィィィィィッ……ピィィィィィッ、ピィィィィィッ!
一度では動かない。3度目に笛が鳴った時、ハナサキは体をくねらせて反対方向へ飛び、笛の音を発する徹を狙った。前にいたハスミュラが体をかがめて横へ滑りながら鉈で下顎をなぎ払い、反転すると返す手で一閃、右前足を斬る。エマトールのように脚ごと切り落とすことはできなかったが、前肢の、人間でいうところの手首から先が無くなっていた。
蒼ざめて荒く息をついている徹とは対照的に、ハスミュラは素早く徹の前に移動して冷静に鉈を構え直す。
「由良、こっちへ。もう一度」
由良は逃げた先から戻れず、オカリナを握ったままの手で口を塞ぎ首を振る。涙を流して震えている由良に、エマトールは身振りで急かした。
由良は泣きながら、再びオカリナを吹く。
ピッ、ピーーーーーーーッ!!!
両の前足を失ったハナサキは狂ったように暴れ、由良めがけて突進してきた。尻尾と後脚だけで体をうねらし前進する様は、凄まじい。恐怖のあまり足の止まった由良の元に莉子が駆け寄り、由良を助け起こしざまに突き飛ばして遠ざける。莉子は握っていたボールを高く放(ほう)り、躍り出た。
「打ちます!」
武器を構えたエマトールに噛み付こうと飛びかかり大きく口を開けたハナサキに、莉子がジャンピングスマッシュを叩き込む。ハナサキはもんどりうって跳ね、どさりと地面に落ちた。ボールが喉の奥を直撃したのだ。
その一瞬の隙をつき、エマトールは大きく跳んで関節を狙う。飛び退った後には切断された後脚が転がり、苦しんで打ち振った尻尾がそれを弾き飛ばした。
砂利を跳ね飛ばし真っ赤な血を撒き散らしながら、ハナサキはのたうち回っている。苦しげな呼吸音がビョオオ、ビョオオオと不規則に繰り返される。
3本の足を失い、飛びかかることは最早できないだろう。ということは、ハナサキの動きを読んでのカウンター攻撃ができないということだ。
だからと言って迂闊に近寄ることもできない。毒のある体液に触れるのも危険だし、苦痛に暴れまわる巨体に巻き込まれる可能性もあるからだ。
エマトールとハスミュラは、それでも細かに攻撃を繰り出す。死角から切り掛かっては跳び退き、突き刺してはひらりと躱す。そうして浅い傷を増やすものの、その身は「半分に裂けても死なない」と言われ「ハンザキ」との異名も持つほどに、生命力は強い。次第に二人に疲れが見え始め、刃物の切れ味も落ちてくる。手にした得物を諦め、ふたりは長靴の外側に装備している小刀に持ち替えた。
由良は泣くばかり。徹はポケットの小石を投げて加勢を試みたが、却って邪魔になるとわかり小石は全部捨てた。莉子はボールを握りラケットを構えて二人の前に立ち防御の姿勢を取っていたものの、何もできず歯噛みしながら、細かく攻撃を続けるエマトールとハスミュラを見守るしかなかった。
(エマトールは、私たちが勝つと言った。ハナサキは死に、私たちが勝つって。でも……)
もっとしっかりした武器を持ってくるんだった。もちろんこんな事態は事前に予想できなかったけれど。それにしたって、準備不足もいいところだ。未知の世界に飛び込むには、私たちはあまりにも無防備だった……
ハスミュラは悔やみつつ、それでも小刀を振るう。噛みつかれないために、後ろ足付近を狙って。本当は尻尾も落としてしまいたいところだが、骨が硬くて歯が立たない。おまけに肉には脂肪が多く、切りつける度に刃の切れ味が鈍っていく。腕が重い。肉に食い込む刃の角度が浅い。ハナサキは体をくねらせ尾を打ち振って抵抗を続ける。エマトールも苦しげに肩で息をしている……
「キリがないわね……」
「仕方ないさ。持ってるもので対抗するしかない。準備万端じゃなくたって、敵は待ってくれないんだ」
いきなりシキミになってしまった僕みたいに、とエマトールは思った。
その時、遠くから声が聞こえた。彼らにとって思ってもみない人物の声だ。
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