第38話 ハナサキとの死闘
「離れてー!」
背中から弓矢を引き抜きながら駆けてくる、一人の少女が見えた。
「キシネリコ!!! どうして?!」
驚きの声を上げつつ、エマトールとハスミュラが飛び退く。
キシネリコと呼ばれた少女は走りながら矢をつがえ、足を止めると同時に矢を放った。キーンと音を立て風を切った矢は、見事にハナサキの首元に刺さった。新たな攻撃にのたうつ身体に、次々に矢が突き刺さる。
「キシネリコ、あなたまさか、泉を通ってきたの?!」
距離を詰めながらも矢を放つ手を休めず、キシネリコはハスミュラに明るく答えた。
「そうだよ!」
「だってあなた、まだ性別してない!」
「そうだよ!」
「そうだよ、って!!」
ハスミュラが両手で顔を覆った。開いた指の隙間から少女を見つめる。半開きになった唇が震え、この日一番狼狽えている。
エマトールも両手で頭を抱えながら、苦しむハナサキとキシネリコを険しい表情で交互に見ている。ハナサキから目を離せないし、キシネリコの事も気になるのだろう。
二人の様子から、鏡側の3人にもキシネリコが何やらとんでもないことをしでかしたのだとわかる。ボーイッシュな少女に見えるこの子は、まだ自分の性別を決めていない。それなのに泉の水に触れることは、彼らの世界では禁忌なのだろう。
「あんたたちが何かコソコソやってるの、気づいてたんだ。だからこっそり後をつけて、あの洞窟へ行った。でも、中に入って泉に着いた時には二人とも居なかった。だから、泉のそばにいたメジロに聞き出したの」
「そんな……」
「メジロ、なかなか口を割らなかったけど、タフタフと一緒に説得したら話してくれた。心配してたよ」
「キシネリコ、性別する前に泉の水に触れたら、どうなるか……」
「ねえエマトール、それよりこっちの問題の方が大事じゃない? 時が止まったら、何もかもそれで終わりだよ。そもそもあたし、性別なんてどっちだっていいもん」
話しながらもどんどん矢を放つキシネリコの登場により、今やハナサキの巨体は、針山のようになっていた。残り少なくなってきた矢を、慎重に狙いを定めて放つ。動きの鈍ってきたハナサキの、頭部を貫いた。断末魔の咆哮を轟かせ、ハナサキは痙攣しながら体をうねらせる。
その時、徹の背後から由良が突然飛び出した。
「由良!?」徹が驚きの声を上げる。
少し離れた場所で震えながら泣いていた由良が、いきなりハナサキの尻尾に飛びついたのだ。いつの間にか由良は船頭に借りたライフジャケットを脱いでおり、それでぬめぬめゴツゴツした尻尾を包むようにして、抱きかかえている。
「早く! 早く終わらせてあげて。お願い!」
泣きじゃくりながら、それでも暴れまわる尻尾にしがみつき、叫ぶ。
「お願い、お願い……苦しませて、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
非力な由良がしがみついたぐらいでは、ハナサキは止められる筈もなかった。急いで徹も駆け寄り、一緒になって尻尾を押さえ込む。
キシネリコはすかさずハナサキの腹側に回り込みながら、エマトールに自分の鉈を放った。エマトールがそれをキャッチし、新たに構え直す。
比較的至近距離からキシネリコが矢を数本打ち込む。その度ハナサキは大きく痙攣するが、まだ死なない。大きく口を開けては、闇雲に噛み付こうとしている。
その時、あまりにも場違いな音が鳴った。
金属的な澄んだ高音が続く。
ゆったりと響く、美しく儚い旋律。「星に願いを」。
バッグのストラップに取り付けていた由良のオルゴールが足元に落ちて、蓋が開いていた。
その音に、ハナサキは反応した。尻尾を押さえつけられながらも、二つに折れそうなほど体を折り曲げ、由良に噛み付こうと最期の力で口を開く。由良と徹の視界を、顎の周りにずらりと並んだ歯が覆った。その向こうには白いぬめぬめした肉と、真っ暗な穴……
食われる、と思わず目を閉じた刹那、ガッという音とともに、奇声が降り注いだ。
「ヒョオオオオ!! チタン製を舐めんじゃないよぉ!」
およそ70センチ。大きく開いたハナサキの口に、莉子のテニスラケットががっちり嵌っていた。スマッシュでは間に合わないと判断し、咄嗟にラケットを突き出したのだ。
これまでずっと冷静だったエマトールが必死の形相でハナサキの脇腹に鉈を打ち込み、ハスミュラは恐怖に顔を引きつらせて小刀を背中に目一杯突き立てている。3人が飛び退くと同時に、弓を咥えたキシネリコがハナサキの背中を駆け上がる。左右の手に矢をまとめて引き抜いて飛び降り、由良たちの元に着地。
「それ、上に投げて! あたしの前に落ちるように」
早口で指示すると、返事も待たずに引っこ抜いてきた矢をつがえる。落ちているオルゴールを莉子が素早く拾い上げ、キシネリコの頭上に放(ほう)った。
顎にテニスラケットが嵌ったまま、ハナサキが音を追いかけオルゴールに食いつこうと背を逸らし顔を振り上げた。狙いは
ハナサキは一瞬動きを止めたかと思うと、ゆっくりと仰向けに倒れた。背中に残った矢が音を立てて折れる。それでもハナサキは、なおも弱々しく体をくねらせている。その尻尾を、それぞれが脱いだライフジャケットでくるみ、4人がかりで抱え込んだ。
キシネリコが開いたままの口内に矢を打ち続ける中、エマトールはハナサキの腹に飛び乗り、鉈を振りかぶると縦に大きく腹を割いた。
大きな心臓を切り取った時、ハナサキがビクンと痙攣した。そして、それきり動かなくなった。
ハナサキが放った粘液の悪臭と、大量の血の臭い。白い砂利は真っ赤に染まっている。六人が無言で荒い息をついている中、青い空の下で綺麗なオルゴールの音が小さく鳴り続けていた。
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