第36話 火焔のハナサキ出現
「今の………ハナサキ?」
「火焔の如き色の、ハナサキ?」
ハナサキはおそらく空腹なのだろう、と彼らは結論づけた。船頭の話では、濁った水が流れてきたのは数日前。そしてこの川には、餌になりそうな生き物は棲んでいないからだ。そこで、匂いの強いあたりめで誘い出す作戦を立てた。
崖の村では、狩猟や採集へ行く場面でなくとも常に最低限の道具類は携帯している。二人は持っていた釣り糸を素早く撚り合わせて補強し、鹿の角を削り出して作った釣り針を取付け、さらにあたりめを結びつける。最後に莉子のテニスボールを浮き代わりに括り付けた。
残り少ないあたりめのかけらを、もう一度川に
5人は頷き合う。エマトールは腰に差した短刀を、ハスミュラは蔓などを伐採するための小型の鉈を握りしめた。徹と由良は武器を持っていないので、とりあえず足元の石を拾い集めてポケットに詰めた。莉子はラケットを握りしめている。あれで殴りつけるつもりだろうか。
エマトールがテニスボールを握って川の側へ。岸では徹と由良が糸を握った。
テニスボールを川へ投げる。
「引っ張れ!」
ボールが水面に触れた瞬間、水底にオレンジ色が閃いた。一気に糸を引く。高く弧を描いて戻って来たテニスボール、の先に縛り付けられたあたりめを追って、巨大なオレンジ色のまだら模様が川から飛び出した。
「いやあああああああああああああ!!」
由良の絶叫が空へと吸い込まれる。
驚いて尻餅をついたエマトールの頭上を、体をうねらせて飛んでいく奇怪な生き物。大きく口を開けた頭と小さな手足に、太い尻尾。無数の突起に覆われた不恰好なその体はぬめぬめと光って、見た途端に嫌悪感を抱かせる。
それは空中であたりめに食いつき、バクッと顎を鳴らした。ドサリと地に落ちると大きな頭を振り、一緒に飲み込んだテニスボールを ゲッ、ゲッ、と音を立てて吐き出した。
「うげええええ、きっしょおおおおおお……」
さすがの莉子も顔をしかめて後退る。他の4人も、その大きさと醜さに絶句している。
おそらく、体長約3メートル。巨大なオオサンショウウオだった。オレンジと黄色のまだら模様のそれは、周囲の様子を窺っているのだろうか、大きな口を薄く開いたままじっとしている。もしくは、今食べたばかりのあたりめを味わっているだけなのかもしれない。そう思わせるくらい、その生き物は愚鈍に見えた。
平たい頭部だけでも1メートル弱。おそらく徹たちの通ってきた鏡と同じくらいの大きさだろう。一見するとどこにあるか分からない程の、ちいさな目。その目は、曇った鏡の様に鈍く反射している。太りすぎた蛇を押しつぶしたようなのっぺりと長い胴体に、妙にユーモラスな指の短い手足が不気味さを煽る。中途半端な長さの尻尾だけが妙にゴツゴツして、獰猛そうだ。
「とおるぅ………オオサンショウウオ、せいぜい100センチって言ってたじゃぁん……」
涙混じりの莉子の声に、その生き物がサッと顔を向けた。思わず莉子は両手で口を塞ぐ。
「……野生のはだいたいそれぐらいだって、じいちゃんが……でも、ドラゴンよりマシだろ?」
今度は徹の方に顔を向ける。どうやら目はあまり見えないらしい。反応するのは、音か、匂いか。
エマトールが口の前に人差し指を立てた。皆に目配せし、黙らせる。
大きく一歩踏み出し、近づく。踏んだ砂利が小さく音を立てたが、ハナサキは反応しない。チッチッと舌を鳴らす。反応なし。手を叩く。反応なし。
「こっちだ!」
声に反応したハナサキは大きな体を不器用に反転させ、エマトールへ振り向く。振られた尻尾が砂利を跳ね飛ばした。
ふと思いつき、エマトールは懐に挿していた笛を取り出した。ハスミュラが持ってきてくれた笛。その高音を思い切り吹く。と、ハナサキは大きく身をくねらせて飛んだ。エマトールに食いつこうと、大きく口を開ける。エマトールは横っとびに飛んでそれを躱した。間一髪、「ばくり」と顎のぶつかる不気味な音が聞こえた。
「あっぶな……」
思わず漏れた声を無視して、ハナサキは川へ向かう。水の匂いを嗅ぎ取ったのか、短い手足をばたつかせて砂利を飛び散らせ、のたのたと不器用に。
「逃がすか!」
バコッという音とともに蛍光イエローの閃光が走り、ハナサキの鼻面で弾けた。ハナサキが痙攣して体を強張らせる。莉子がテニスボールを打ち込んでハナサキを足止めしたのだ。
「ナイス!莉子!」
「くらえ、200キロの弾丸スマッシュ!」
パーカーのフードからボールを掴み取りながら川岸へと走った莉子が、もう一発スマッシュを打ち込む。それはまたしても鼻面に命中し、ハナサキはたまらず体を反転させ、のたのたと川から遠ざかる。身体中から白っぽい粘液が滲み出て、悪臭を撒き散らし始めた。
「うええええええ………きもすぎぃ」
「オオサンショウウオは顎の力が強い。あと、その粘液には毒があるかもしれない」
「それも、徹のじっちゃん情報?」
役に立ちそうなのは、徹の情報と莉子の機動力。由良は恐怖で動けずにいる。ハスミュラとエマトールは、獲物の正面に立たぬようじりじりと間合いを取った。
「こいつは高い音に向かって襲ってくる。笛の音を囮にして、僕らが攻撃する。徹、由良。僕らの後ろで音を出して、すぐに逃げて」
エマトールが目線と低い声とで指示を出す。
指示を受け、ハスミュラが近くにいた徹の前に立った。エマトールはハナサキから目を逸らさず、由良を守るように立ちはだかると、後ろ手に笛を渡した。
「由良、できる?」
「無理。怖い」
囁くようなかすれ声で、ふるふると首を振る。
エマトールは背を伸ばし、皆に聞こえるよう声を張り上げた。
「僕はシキミだ! ハナサキの死が視えてる。ハナサキは死に、僕らは誰も死なない。僕らが勝つ!」
嘘やはったりではない。力尽きて眠ったヒタキの上に君臨していた圧倒的な「死」の存在感。それが、目の前のハナサキを覆っている。
ハナサキがエマトールに顔を向けた。薄く開いた口から、ずらりと並ぶ棘状の歯が覗いている。
「大丈夫! 僕らは負けない! 僕らには出来る!! ふたつの世界を救うんだ!」
由良が恐る恐る笛に手を伸ばすと、横から飛んできた徹がそれをひったくった。
「由良、こっち。これは僕が吹くから」
徹は自分のオカリナを由良の手に押し付けると、走ってハスミュラの後ろへ戻る。
ハスミュラが囁く。
「エマトールって、そういうとこ鈍いのよ。ごめんね」
「別に君が謝ることじゃないよ」ハスミュラにだけ届く声で、徹が返す。
「……そんなことやってる場合かい?」
莉子が呆れ声をあげるが、エマトールにはどうもピンときていないようだ。
いまいち緊張感のない会話の最中も、ハナサキは声に反応してキョロキョロと顔の向きを変えている。
エマトールが囁いた。「由良、高音を吹いたら後ろへ走って。いいね、今だ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます