第30話 新たな暗号と、シキミの服


「……ってわけでね、ちょっと調べてみようと思うんだ」



 翌朝、徹たちは鏡の向こうの二人に説明していた。一度通信を切ってしまうことになり、再度繋がれるかという不安はあった。だが、このままではどうせ手詰まりだ。


「そっちでも、何かわかったことある?」


 由良の問いかけに、鏡の向こうで二人は首を振る。

「あ、でも」エマトールが嬉しそうに肩をすくめて微笑んだ。


「ハスミュラが大きなフード付きの上着を作ってくれたんだ。だから、昼間でも外に出られるようになったよ」


 エマトールは羽織っていた黒い上着のフードを被ってみせた。鼻先まで覆うぐらい大きなフードは、たしかに陽光を遮ってくれそうだ。


「由良たちの服を参考にしたのよ。この形、いいわね」


「フードはポケット代わりにも使えるよ」

 以前、莉子がフードの中にテニスボールを詰め込んでいたのを思い出して冗談で言ったのだが、二人は「なるほど、便利だ」と感心してしまう。それを聞いていたメジロが、由良の肩からエマトールのフードへ飛び移り、潜り込む。そして、ぴょこっと顔だけ出してにっこり笑った。


 今更冗談だとは言いづらくなってしまい、徹は少し焦った。


「そ、そういえば今日は、莉子も来るって言ってた。だから、来る前に鏡を調べちゃおうと思うんだ。今から鏡を外へ運び出すから、エマトールは見ないほうがいい」

「わかった。じゃあ、こっちはその間、さっき聞いた事を整理してみるよ。色々と手伝ってくれて、ありがとう」

「ちょっとの間、お別れね。また話せるといいけど……」

「大丈夫。すぐ戻れるよ、きっと」



 4人で互いに手を振りあうと、徹と由良は鏡を持ち上げた。鏡に張った水が揺れ、映っていた二人の姿を歪ませる。なるべく洞穴の外で水を捨てようと、二人は慎重に鏡を運んだ。




 外へ出ると、その明るさに軽い眩暈を覚える。由良が少しふらついて、足元に鏡の水がかなり溢れた。


「大丈夫? 由良」

「ごめん、もう平気。来た時よりだいぶ晴れたね」


 鏡をゆっくり傾けそっと水を流しながら、エマトールが眩しい思いをしていないか心配していた。が、水を失った鏡はやはり酷く汚れて曇っており、曖昧に空の青さを写すばかりだ。

 以前も調べたけれど、また一通りじっくり見てみる。優美な額縁にも、汚れた鏡面にも、やはり手がかりは無いようだ。

 鏡を地面に立てかけ、そっとひっくり返す。こちら側はじっくり調べていなかったはず。


「徹、これ!」


 しゃがんで鏡の裏板を調べていた由良が、下の方を指差している。鏡を支えながら徹もしゃがみ込み、目を凝らす。

 そこには、懐中電灯の光ではおそらく見えなかったであろう、彫刻刀で浅く刻んだようなか細い文字があった。



『 書 天地根結 』



「!! ……ビンゴ」

「だね! 早く戻ろう!!」


 今にも駆け出しそうな由良を抑え、徹は昨日作ったメモにそれを書き加える。そしてもう一度念入りに鏡の裏を調べた。見る角度を変え、手で触って慎重に確認し、ようやく徹も頷いた。


「よし、戻ろう」




「これ、なんて読むんだろう。てん・ち・ね・むすび?」

「てん・ち・こん・けつ? わかんないな」


 急ぎ足で洞穴の奥へ戻った二人は、鏡を担ぎ上げて向こうへ押しやり、順番に段をよじ登った。鏡を元の場所に戻し、持参したペットボトルから静かに水を注ぐ。

 ゆらゆらと揺れる水面を祈る思いで見つめる。そのさざなみは不自然に長く感じられ、じりじりとした思いで水面が落ち着くのを待つ。いつの間にか、どちらからともなく手を繋いでいた。


 やがて、わずかにその輪郭を歪ませた二人の姿が現れ、その一瞬後にはくっきりと鮮やかに映し出された。徹と由良はハッとして、急いで繋いだ手を離す。



「ただいま」「おかえり」


 安心したのか、4人は声をたてて笑いあった。理由は不明だが、なんだか無性におかしかった。




「あったよ」


 短くそう告げた時、徹は肩で息をしていた。笑いすぎて声が少し枯れている。ペットボトルに残った水を飲み、由良に渡した。一瞬ためらったのち、由良も水を飲む。


「『書 天地根結』って、鏡の裏に彫りつけてあった。写真見る?」


 由良がポケットから携帯を取り出し、鏡にかざして画像を見せた。鏡の向こうで、二人が息を飲む。


「すごいな、それ」「絵じゃないよね。どうなってるの?」


 そこに写っているものより、写真そのものに驚いている。徹も由良もあまりに当たり前になっていて、向こうにはこういう機器がないことを失念していたのだ。ついでに、文字も向こうとこちらでは全く違うことも、つい忘れていた。


「えっと、これは写真って言うんだけど……今はそれどころじゃなくない?」


 あ、と顔を見合わせ、鏡の向こうの二人が揃って肩をすくめた。急いで真面目な顔になって、同時にしゃべり出す。


「それ、すぐオババに伝えるわ」「何を探せばいいかわかった」



 再び顔を見合わせた二人に、「仲がいいねえ」と由良がからかう。エマトールがさも当たり前のように「うん。だって僕ら、婚約中だし」と受け流すのに対し、傍らのハスミュラは照れて両手で顔を隠してしまった。


「いいなぁ……」


 思わず言葉が洩れてしまったみたいな由良の呟きに、徹は胸の奥が小さく焦げるような不思議な感じを覚えた。それは初めての感覚で、なんだろう、「イラッとした」と「悲しい」と「焦り」が入り混じったような……ともかく、徹は何故かそれを悟られたくなくて、呟きに気づかないふりをした。


「私、今からオババの家に行ってくるね。これ、メジロでは伝えきれないと思うから」


 ハスミュラはそう言うとさっと立ち上がり、泉を覗き込んで手を振った。鏡の向こうの姿が見えなくなるとパタパタと小走りする足音が聞こえ、少し離れたところから「またね!」と叫ぶ声がした。


「ハスミュラ、待って!」


 今度はエマトールも消えた。足音と、「もう少し日が落ちたら、僕も行く」と話す声が遠ざかる。何故かハスミュラは驚いた様で、「えっ」と声をあげた。そして、「うん! 待ってる!」と嬉しそうに言うと、弾む足取りで駆け出した音が聞こえた。

 スタスタと足音が近づいてきて、鏡の向こうにエマトールの姿が戻った。


「……ごめん。僕、シキミになって以来ずっとここに引き籠ってて、村に帰ってないんだ。ハスミュラはそれを気にしてくれててさ。だから、いい加減一度、村に顔を出そうと思う」


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