第29話 100年前からの伝言
帰り道、徹はほとんど口をきかなかった。母親が心配したが、正直に「いろんな気持ちが入れ替わって、何を話したらいいかわからない」と言うと、それ以降はそっとしておいてくれた。
おじいちゃんのことを考えようとしても、駄目だった。とりとめもない思いや記憶がぐるぐる回るばかりで、考えがまとまらないのだ。だから徹は、あの謎の文章と子守唄のことをずっと考えていた。
スーパーへ寄って帰るという母親と別れて、徹は先に帰ることにした。今から洞穴へ向かうには遅すぎるし、由良が布を染め終えているかもしれないからだ。
「荷物が重くなりそうなら自転車で迎えに行くから、電話して」と言い置いて走り出そうとしたところで、徹は振り返って母親を呼び止めた。
「お母さん、俺、今日おじいちゃんに会いに行ってよかった。春休みの間に、また連れてって」
笑顔で大きく頷く母親に手を挙げ、徹は家路を急いだ。外はまだ明るいが、陽射しには柔らかな夕暮れの気配が混じっている。
「染める前に日にかざしたら、刺繍部分が影になって、結構読み取れたの。でも、染めなきゃエマトールには読めないしね」
まだ生乾きだけど、と広げられた淡いお茶色の布には、薄緑色の縫取りがあった。親指の爪ほどの大きさの刺繍による文字列が、そこに並んでいる。
『表と裏、陰と陽、我ら禁秘を取り替え互いに其れを秘匿す』
これは、シキミの布に刺繍してあった言葉と同じ。
『黄金色の尊き化石 赤と緑の眼を以て川へ還る』
これが鏡を包んでいた布に刺繍されていた、こちら側の文章だ。
徹は、おじいちゃんの子守唄のことを由良に話して聞かせた。その歌はひいおじいちゃんが作った、ということも。
「……ふうん。子守唄の『赤と緑のほし』っていうのは、この『赤と緑の眼』のことかな」
「そうだと思う。他にも、これらの言葉には対比が多く使われてる。表と裏、陰と陽……」
これまでのところ、何らかの秘密に関するヒントのようなものを、こちらの世界と鏡の向こうとに分けて隠したことは推測できた。
わからないのは、その「何らかの秘密」だ。おそらく『時の泉』の水が減っていることに関係があるのだろう。しかし、それだけだ。
しばらく難しい顔で唸っていた由良が、ようやく口を開く。
「えっと、オオサンショウウオが死ぬと時の泉が枯れるのね? それで、泉が枯れたらどうなるの?」
「……わかんない。けど、なんとなく枯らしちゃいけない雰囲気だよね」
「たしかに。枯れちゃっていいんなら、わざわざこんなこと書き残さないよ」
「『重なり合いて時を繋ぐ』ってのは、泉を枯らさないために、あっちとこっちで何かやるのかな……」
あ〜あ、とまだ湿り気の残る布を放り出し、由良は天井を仰いだ。背を預けたチャコールグレーの古いソファが僅かに軋む。
「書き残すならもっとはっきり書いておけばいいのに。暗号かなんかみたいに、やたら秘密めかしちゃってさ」
「まぁ、刺繍するのも大変だろうしな……文字数減らしたかったんじゃない?」
「なら、こっちは紙に書けばいいじゃん。向こうと違って、こっちは100年前でも和紙とかあっただろうし」
「だよな。あ、持ち運び出来て濡れても大丈夫なように、とかかなぁ……」
「ふむ。なるほど。……だったら頭いいかも」
話し合いながら徹は、これまでのことを紙に書き出していた。
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・洞穴の奥にあった鏡は、どこかの世界の「時の泉」と繋がっていた。
・エマトールは、100年ちょっとぶりに現れた「シキミ(人の死ぬ時期がわかる)」。
・「シキミ」の部屋に残された布に記された文章
『表と裏 陰と陽、我ら禁秘を取り替え互いに其れを秘匿す』(共通)
『火炎の如きハナサキ淵に沈みし時、時の泉は枯れ果つる』
・鏡を包んでいた布に記された文章
『表と裏 陰と陽、我ら禁秘を取り替え互いに其れを秘匿す』(共通)
『黄金色の尊き化石 赤と緑の眼を以て川へ還る』
・曽祖父が作った歌『おおいなる水辺のぬし おおいなる時を超え山へ潜る。赤と緑のほし、その光失いて時は尽きぬ。表と裏、陰と陽、重なりあいて時を繋ぐ』
・「ハナサキ」はおそらく「オオサンショウウオ」のこと。「火焔の如き」はナゾ。
・時の泉が枯れると?
(時は尽きぬ・時を繋ぐ の、意味は?)
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「全然わかんなーい」と言いながら、由良は徹のメモを写真に撮った。あとで母親のパソコンを借りていろいろ調べてみるつもりなのだ。徹の家にも東京から持ってきたパソコンはあるが、まだインターネットを使える環境が整っていなかった。
「表と裏、陰と陽。泉と鏡………鏡?」
由良が徹の顔を覗き込む。
「何かわかったの?」
「いや……ただ、鏡をもっと詳しく調べてみようかな、って。鏡って、信仰の対象になってたりするじゃん? 神社に祀ってあったり」
「そうだね」
「うん。あの時は懐中電灯の光しかなかったから、今度は外に持ち出して明るいところで調べようかと」
「あ、『陰と陽』?」
思いがけず鋭い由良の返答に、徹は目を瞠った。
「裏になんか書いてあったりしてね」
由良がなんの気なしに言ったその言葉が、彼らを冒険に飛び込ませることになる。
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