第31話 時の泉の謎


 オルゴールの澄んだ音が、洞穴の中に響く。由良の手の中にある、キーホルダー型の小さな機械が、「星に願いを」を奏でている。


「それ、持ってきてたんだ」

「いつも持ってるよ。大事なものだもん」


 誕生日に徹から貰ったそのオルゴールは、由良の宝物だ。半透明の匣はキラキラと美しく、奏でるのは由良が昔から好きな曲。

 小学校へ上がる前に東京へ引っ越してしまった徹が、今になっても由良の好きな曲を覚えていてくれた。それが嬉しくて、肌身離さず持ち歩いているのだ。(ちなみに、引っ越しの日に徹がくれた、ひよこのぷくぷくシールもまだ持っているのだが、それは内緒にしている)


 徹はオルゴールに合わせてオカリナを吹き始めた。たどたどしく遅れ気味ではあったが、なんとかついていく。6穴のオカリナでは音が足りなくて、ちょっと間抜けな演奏になってしまった。


「やっぱおもちゃのオカリナじゃ駄目だね」

「駄目じゃないよ、1オクターブで弾ける曲もたくさんあるし」


 徹は「きらきら星」と「アマリリス」を続けて吹いてみせた。由良が目を見張り、パチパチと手を叩く。


「すごーい! 徹ちゃん、もうそんなにマスターしたの?」

「いや、吹き方さえ覚えたら簡単だから……っていうか由良、さっきまで『徹』だったのに、『徹ちゃん』呼びに戻ってる」


 指摘され、由良は急に目をそらして抱えていた膝に顎を乗っけた。

「だって……エマトールやハスミュラが『徹』って呼んでるからさ、私だけ『徹ちゃん』だと……なんか変じゃん。でも急には切り替えられないっていうか、癖っていうか」


「俺はどっちでもいいんだけどね」


 そう言って笑う徹を、由良は横目で少し睨んだ。今まで由良の周りにいた、山猿みたいな男の子達とは全然違う。6年間東京で暮らしてたからなのかな、徹ってちょっと大人びて見える……そう思いながら、由良はオルゴールのネジを巻きなおした。

 再び、「星に願いを」が流れ出す。



 泉に戻ってきたエマトールが、鏡の中に現れた。さっきから何度か、彼は洞窟を出て外の様子を見に行っていたのだ。

「外へ行くのはもう少し後になりそう。いい感じに曇ってきてはいるんだけど、まだちょっと眩しかったよ」


 長く日光を浴びないと、病気になる。由良は祖母からそう聞いていたので、少し心配してしまう。エマトールはフードを脱ぎながら、「そうだね。フードもあるし、これからは気をつけて日に当たるようにする」と柔らかく笑った。


「ハスミュラのお手製パーカーのおかげだね」


 和やかに微笑みあっているエマトールと由良を見て、徹はなんだか面白くなかった。そんなこと話してる場合か? 泉の謎を解き明かさなきゃいけないんだろうに、そんなのんびりと……

 自分だってさっきまでオカリナを吹いていたくせに、自分のことは棚に上げている。


「ねえ、そっちにはもう、刺繍も手紙も無いの?」

 声に苛立ちが混じってしまったかもしれない。鏡の向こうでエマトールが表情を改めた。


「あ、うん……もしかしたらオババのところにも少しあるかもしれない。ハスミュラが調べてくれてるはず」


「それを、今日これから村を降りて調べに行くんじゃない」

「そうだけどさ……」


 たしかに、それはついさっき聞いた話だった。なんとなく二人の会話を遮りたくて咄嗟に出てきた言葉なので、意味なんてないのだ。何でもいいから次に続く言葉を探す。


「あんなにたくさん刺繍するなんて、大変だよね。前のシキミは女の子だったんだ」


 え? とエマトールが不思議そうな顔をした。


「いや、前のシキミも男だったらしい。男だって縫い物や簡単な刺繍ぐらいするよ。そっちではしないの?」

「そうね。こっちでは男の子が縫い物をすることは少ないかな。もちろん出来ないとか、しちゃいけないってわけじゃないんだけど……」


 由良がこちらの裁縫事情を説明している間、徹は密かに悔やんでいた。「男は刺繍をしない。刺繍なんかするのは女の子」そう決めつけていた自分に気付いたからだ。

「女子の制服はスカート」と決めつけていた、あの子の父親と、自分はどこが違うのか。同じじゃないか……気持ちが空回りして、足掻くほどに泥沼に沈むようだった。



 ───俺はさっきから何を言ってるんだ。今日はなんだか変な感じだ。妙にイラつくし……


 黙り込んでしまった徹を気遣うように、由良が顔を覗き込んできた。その時、エマトールが声を上げた。



「どうした?! メジロ!」


 エマトールが手を伸ばした。腕を伝い走り、メジロが鏡に現れる。手にしていた細く丸めた紙をエマトールに渡した。

 手紙を読む表情がにわかに深刻なものになる。


「……泉が枯れると、世界が終わる。永遠に静止したままになる。泉のこちらも、鏡の向こうも。必要なものを持っていくから、そこで待っていて……ってこれ……メジロ、どういうこと?」

 

 メジロが身振り手振りで説明しようとするが、伝わらない。メジロは自分のマガリコではないから、どうしてもヒタキとの様には意思の疎通ができないのだ。


「世界が終わる……静止したままに……?」

「フリーズしちゃうって、こと? それが、時の泉の謎?」



 あらゆる生き物が動きを止め、瞬きや呼吸も静止する。風は喪われ川の流れも絶え、散った花びらは空中でピタリと止まる。世界は死をも止めて、永遠に「今」に固定される………?


 低くつぶやいたのは徹だ。特に何か考えたわけではなかった。ただ、「永遠に静止した世界」、そう聞いて瞬時に映像が浮かび、言葉が唇からこぼれ落ちたのだ。

 徹のその想像は、由良には到底受け入れられなかった。


「そんな、そんなことってある? 勘違いだよきっと。お話やゲームじゃないんだからさ、もっと違った理由があるって」


 否定的な由良とは対照的に、徹は自分の書いたメモを目でなぞっていた。ぶつぶつと、やがてはっきりと声に出して、布に刺繍されていた文章を読み上げる。



 『表と裏 陰と陽、我ら禁秘を取り替え互いに其れを秘匿す』


 『火炎の如きハナサキ淵に沈みし時、時の泉は枯れ果つる』


 『黄金色の尊き化石 赤と緑の眼を以て川へ還る』


 『おおいなる水辺のぬし おおいなる時を超え山へ潜る。

  赤と緑のほし、その光失いて時は尽きぬ。表と裏、陰と陽、重なりあいて時を繋ぐ』


 エマトールも同じ文言を読み上げていた。話す言葉は違うのに、頭の中には両者とも同じ意味が流れる。



「これって、時が止まるのを阻止する方法だったんだ」

「だから、こっちとそっちで分けて保存されてた。僕たち、お互いの世界で何かやらなきゃいけない。そうしないと………」


「「僕たちの、時が終わる」」



 「やめて!」珍しく、由良が大声をあげる。


「怖いこと言わないでよ。ふざけないで。もしそれが本当なら、こんなとこにそんな大事なものを隠すわけないじゃない。うんと偉い人のところに厳重に保管されてるはずでしょ」


「……オババはうちの村の長老だよ。いろんなことを知っていて、頼りになる。マガリの樹の声を聞いたりもする」

「そ、そっちはそうかもしれないけど、そうじゃなくて!」


「由良の言いたいことはわかるよ。でもさ」


 口調は柔らかかったものの、徹の心は決まっていた。これは、自分たちで解決する。大人の手は借りない。


「由良の言う偉い人って、誰? 総理大臣とか? こんな話を持って行ったところで、信じると思う? 鼻で嗤われて終わり、いや、そもそも話を聞いてすら貰えないよ。あいつら自分が絶対正しいと思ってて、僕らの言うことを聞く気なんて無いんだ。『偉いオトナ』はね」


 徹の言う『偉いオトナ』。誰を念頭に置いているのか、由良にはわかった。前の学校の、「制服のスカートを履きたくない子」の父親だ。徹はその子のために、彼女の父親に腹を立てているのだ。

 由良の胸の奥が、太い針を刺されたように痛んだ。痛みは胸の真ん中を刺し貫き、そこに留まった。



「バカみたい。あたしたち、もう中学生だよ? そんな馬鹿馬鹿しいこと、付き合ってらんない。勝手にすれば?」


 徹が声をかける間もなく、由良は走り去ってしまった。

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