第5章 かつての街、時の鏡
第21話 鏡と泉に見たものは
音域の足りない、下手っぴぃなオカリナに合わせて楽しく歌を歌っていた3人だったが、莉子が急に歌を止め、手を挙げた。
「ね、なんか聞こえない? 変な音」
徹と由良は顔を見合わせ、互いに首を振る。
「変なのは俺のオカリナだよ。1オクターブしか出ないから」
「違う、聞こえたって。笛の音みたいな……」
3人が耳をそばだてると、短い間の後に、たしかに聞こえた。か細い笛のような音。
「風の音とかじゃないよね。どこから……」
耳を澄ましながら、キョロキョロと辺りを見回す。誰もいない。周りは懐中電灯に照らされた、ゴツゴツと素っ気ない岩壁だけだ。
「たぶん、あっち。鏡の辺り」
莉子が機敏な動きで奥へと移動し、鏡の前にカエルのような格好でしゃがみこんだ。鏡にそっと耳を当てていたが、こちらを振り向き頷く。
「ここから聞こえてるみたい」鏡を包んでいる布をそろそろと取り外す。
3人は鏡の前に集まり、固唾を飲んで曇った鏡面を見つめた。また一つ、鏡の奥から笛の音が鳴った。
自然と声を潜め、ヒソヒソと囁きあう。
「徹、オカリナ吹いてみなよ」
「え、やだよ。なんか怖いよ」
「やめたほうがいいよ。世にも奇妙な世界に連れて行かれちゃうかも」
由良は先日見たテレビ番組を思い出し、ぶるっと震えて首をすくめた。ちょっと怖くて不思議な話が集められたオムニバスドラマだ。
「……誰か、中にいますか?」
そう聞こえてきて、3人は思わず手を取り合って固まった。驚きと恐怖で声も出ない。
「あの、僕はエマトール。こっちは」
「こんにちは。ハスミュラといいます」
背中に冷たい汗が流れた。が、こちらで唯一の男の子である徹が、勇気を出して語りかけてみる。
「江間徹は、僕です。由良もここにいます。変なこと言うの、やめてください」
鏡の向こうの二人が、大きく息を飲んだのがわかった。向こうも同じように驚いているらしい。
「あのう、驚かせてしまってごめんなさい」
可愛らしい女の子の声が聞こえてきた。先ほどハスミュラと名乗った声だ。
「私たち、今、洞窟の中の、時の泉のそばにいます。泉の中から綺麗な音と話し声が聞こえたから、声をかけてみたの。あなたたちは、泉の中にいるの?」
「泉なんて無いよ。こっちでは鏡の向こうから声が聞こえてる」
「君は、ハスミュラさん?」
「ハスミュラ、じゃなくて、ハスミ・ユラ だよ。でもあたしは、3人め。岸根莉子」
ええっ、と鏡の向こうから興奮した声が聞こえる。
「キシネリコもいるの?! どういうこと?」
状況を整理するため、5人は泉と鏡の前で情報交換をした。
「じゃあ君たちは、泉を覗き込みながら話しているわけだね。で、俺たちは鏡に向かって話してる」
「そう。そして僕たち、それぞれ似たような名前だ」
「年齢制限のせいで今そこにはいないけど、キシネリコって子もちゃんといる、と」
「ねえ、そっちのキシネリコって子はどんな子?」
莉子がワクワクした様子で話しかける。全く怖がっていない様だ。
「狩りがすごく上手な子だよ。料理もわりと上手い」
「わ。狩りだって! すごいね! あたしは運動なら得意。えっとね、徹は読書が趣味で物知り。由良は優しくておしゃれな子だよ。歌も上手い」
「へええ」
「エマトールはね、すごく優しいの。手先が器用で、それにね」
「ハスミュラ、そんなに身を乗り出したら落っこちるよ。えっと、ハスミュラはすごいよ。薬草や役立つ植物なんかをよく知ってる。糸を染めたり、布を織るのも得意なんだ」
こちら側で喋っているのは、ほとんど莉子だ。徹と由良が口を挟む隙もない。それに由良は、何か考えている顔だ。
「ねえ、徹ちゃん。試しに、ちょっとこの鏡……」
由良が鏡をそっと持ち上げた。それに構わず、莉子は一人話し続ける。
「そっちって、狩りとか布織るとか、なんかすごいね」
「別にすごくなんかないよ。大したことはできない。一人で山を降りることも禁止されてるし」
「そうなの。麓の方には熊やイノシシなんかが出るからって。基本、15歳までは山から出ないの」
「へ〜。ってか、ふたりは今なん歳?」
「13歳になったばかり」
「ええええ! 年、ほぼ一緒じゃん! どこ小?」
「え、ドコショーって、どういう意味……?」
「どういう意味っていえばさあ、そっちが喋ってる言葉って日本語じゃなくない? なんで意味通じるわけ?」
「うん、えっと……たしかに喋ってる言葉は違うけど、意味が通じるのは普通じゃない? だってマガリコ達とだって、しゃべらなくても通じるし」
「え、まがりこって何? じゃがりこみたいな?」
莉子たちがすれ違いの多い会話を続けているうちに、由良は鏡を移動させてそっと地べたに置き、駄菓子屋で買っておいたペットボトルの水を鏡面に流し始めていた。覗き込む鏡面がみるみる水に覆われていく。
「……この鏡、汚れすぎてたでしょ。姿を映すためのものではないんじゃないかって思って」
「なるほど。鏡は『 神 』として祀られることもあるぐらいだしな」
「うん。で、向こうが泉なんだから、こっちにも水を張ったら、って思ったんだ……」
大きな声で話し続ける莉子とは対照的に、由良はまだ、声を潜めている。
1メートルほどの楕円の鏡面に、薄い水の膜が張られた。徐々に波紋が治まっていく。
「ヒタキ?!」
鏡の向こうから驚きの声が上がった。エマトールの声だ。水面はまだ安定しておらず、彼らの姿はまだはっきり像を結ばない。
「ヒタキって?」
莉子の問いに、エマトールが答える。
「僕のマガリコだよ。今、泉の中に、ちらっと見えたんだ。えっと、マガリコっていうのは……」
エマトールがマガリコの説明をしているうちに、水面が落ち着いてきた。不思議なことに、曇っていた鏡は透き通り、泉を覗き込む二人の姿をくっきりと映し出した。
互いに、息を飲む。だが、エマトールが片手で目を覆い、さっと顔を逸らした。もっとよく見ようと、徹が懐中電灯で水面を照らしたからだ。
「……ごめん。僕、明かりが苦手なんだ。照らすの、やめてもらえないかな」
「ああ、こっちこそごめん。これで大丈夫?」
懐中電灯を床に置き、壁を照らすようにした。消してしまったら、こちら側は真っ暗になってしまう。
「うん。だいじょうぶみたいだ。ありがとう」
改めて、鏡の向こうを覗き込む。そこにはさらさらの黒髪に緋い目の少年と、榛色の髪に明るい茶色の瞳をした少女が映っている。少女の肩には、首の周りが白く縁取られたウグイス色の小さな生物が乗って、同じくこちらを覗き込んでいる。つるりとした薄緑色の顔や手足は植物を思わせるが、頭から胴体を覆う和毛、クロスグリのようなクリッとした瞳やツンと尖った鼻、小さな口はハリネズミやハムスターを連想させる。不思議な生き物だ。
5人と1匹は互いに言葉もなく、呆然と見つめ合っていた。
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