第20話 シキミの手紙


「エマトール!」


 洞窟の奥、時の泉にハスミュラが駆け込んできた。ランプを足元に置き、小走りに泉の縁を回る。もう慣れたもので、暗く視界が悪くても問題なく振る舞えた。


「おはよう、ハスミュラ。今日も賑やk…」

「見て! これ! キシネリオが調べて、書き出してくれたの」


 挨拶を遮る勢いで、ハスミュラは粗雑な紙の束をエマトールに突きつけた。


「キシネリオが? あの、書の管理人の?」

「そう。キシネリコのお兄さん。ほら、この間はあまり調べる時間がなかったでしょう。で、続きをキシネリオが調べてくれたの。父さんが麓の蔵までそれを受け取りに行ってくれた」


 エマトールは紙の束に目を落とした。粗い紙面に、几帳面な文字が書き付けてある。


「この暗さで読める?」

「ああ、大丈夫」


 腰を下ろして読み進めるエマトールの側で、ハスミュラも紙面を覗き込んでいた。彼女にはこの暗さでは読めないはずだが、内容は先に読んで頭に入っている。



「……蔵にある書の他に、前のシキミ自身が書いたものが、どこかにある?」

「そう。前のシキミからの置き手紙。それか、日記みたいなものかも」

「どこかって……どこに?」

「探すのよ! 読んでみたくない?」


 瞳をキラキラさせているハスミュラに比べ、エマトールはどうにも反応が薄い。シキミである自分を、まだ受け容れきれていないらしい。


「読んだりして、いいのかなぁ。日記なんて読まれたくないんじゃ」

「そもそも読まれたくなきゃ書かないし、書いたとしても処分するでしょ? いいじゃない、探そうよお」


 気乗り薄なエマトールとは真逆に、まるで宝探し気分である。


「うーん……」

「見つけてみて、もし読まないほうがいいな、って思ったら戻しとけばいいじゃない。どうせ暇なんでしょう? 探してみよう?」


「暇って……まぁ確かに、暇だけどさ」


 ふと気付いたように、ハスミュラは表情を変えた。

「そういえばエマトール、いつも何をして過ごしてるの?」

「え……昼間は寝てて、夜に外へ出て、食べ物を採ったり水を汲みに行ったり、温泉に入ったり。あと、たまにオババに採った果物を届けて……」


「はい?」


 不穏な響きのハスミュラの声に、エマトールは言葉を詰まらせた。

「……え?」


 ハスミュラがじっとりした半眼でエマトールを睨んでいる。腕を組んで上体を反らし、ツンと顎を上げる。


「へええ、オババの家には行くのに、うちへは来ないんだぁ」

「いや、だってそれは、夜だし。もうみんな寝てるし」


「オババにはお土産あるのに、私には無いんだぁ……」

「だって君、毎朝来てくれるから。それにお土産って言ったって、近況報告というか生存報告のついでにちょこっとだけで」


 あたふたと言い訳するエマトールを、ハスミュラは半眼で睨み続ける。ハスミュラの肩の上で、メジロも同じように腕組みをし、エマトールを睨んでいる。


「食料とか運んでるのに、私には何も無しかぁ」

「ごめん! ハスミュラ、僕が悪かった! ごめんってば」


 ハスミュラは揃えた両膝を抱えて座り、顎を乗せた。


「いいけどね、別に。私が勝手にやってるわけだし」

「わかった! シキミの残した日記、探すよ! 探そう、一緒に探そう。ね? だから…」



 膝に顔を埋め、「ふふっ」と笑う。それを見てエマトールの動きが止まった。


「ハスミュラ……もしかして」

「うん。ほんとは知ってた。オババたちから聞いた」


 脱力してへたり込んだエマトールの肩に、ハスミュラは優しく手をかける。

「脅かしてごめん、でも、それを聞いて寂しかったのは、ほんとよ」


 だからちょっとだけ、意地悪しちゃった。ハスミュラはそう言って、エマトールの肩に頭を凭せ掛けた。


「今度はハスミュラにも何か」

「ううん、いらない。でも、『きたよ』って印を残してくれたら、嬉しい」

「そんなのでいいの?」

「いいの。女心を分かってないなぁ、エマトールは」


 ついこの間性別しただけのくせに、一丁前なことを言うハスミュラが可愛らしく、エマトールはつい笑ってしまう。


「何よぉ」

「いや、なんでもないよ。そうだハスミュラ、いいもの見せてあげる」


 エマトールは扉の奥に姿を消し、すぐに戻ってきた。その手には細い棒状のものが握られている。


「これ、作ったんだ。ここには音が無いから、寂しくてさ」


 それは、細い木製の笛だった。なんの飾りも無い簡素な作りではあるが、表面はなめらかで丁寧に作ってある。


「まだ試作品だけどね。ちゃんと音が出るよ」

 エマトールが息を吹き込むと、ぴゅぅ……と素朴で優しい音がした。


「かわいらしい音。風の赤ちゃんみたい」


 独特な表現に、エマトールはまた笑った。彼女の、こういう素直な感性が好きだ。

 ゆっくりと、順番にいろんな音を出していく。ハスミュラは目を閉じて、その音に聞き入っている。


 と、ハスミュラが急に首を上げた。人差し指を立て、唇に当てる。


「静かにして。何か、聞こえない?」


 ハスミュラの囁きに、エマトールも耳を澄ましてみる。


 たしかに、音が聞こえた。笛のような、エマトールの笛の音よりも幾分温かみのある音。



「……泉。泉の中から聞こえる」



 二人は、目を見合わせた。



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