第6話 死を視る者
夜明け前、チエルカとオババがひっそりと隣家を訪れたのに気づいたのは、おそらくハスミュラだけだった。彼女はエマトールの悲しみを思い、一晩じゅう寝付けなかったのだ。
ハスミュラは両親と、もちろんお寝坊のメジロを起こさぬよう、いつもより静かに身支度を整えてそっと家を出た。忍び足でエマトールの家の窓の下に潜み、聞き耳をたてる。
「エマトール。ヒタキのことは残念だった。さぞ辛いだろう」
エマトールの返事は聞こえなかった。何も、聞こえなかった。
「そんなお前に告げるのは、私にとっても辛いことだ。だが、告げねばならぬ……」
女性のすすり泣く声が聞こえた。
───おじさまとおばさまは、何かを知っているのだ。
ハスミュラは高鳴る鼓動と不安を押さえつけ、いっそう耳をそばだてた。
「エマトール。マガリコを喪った者は、『シキミ』となる。これは避けられないことだ」
すすり泣く声がくぐもる。手で顔を覆ったのか、夫の胸に顔を埋めたのか……
「『シキミ』とは、死期を視る者。村人に訪れる死の時を知り、それを報せるのが役目だ」
ハスミュラはふらふらとそこを離れた。シキミ、死を視る者という不吉な言葉が、頭の中をぐるぐる回っている。
震える手で自宅の扉を開けると、両親は既に起床していた。チエルカか、エマトールの両親のマガリコが事情を伝えたのだろう。悲しげに、心配そうにハスミュラを見ていた。
「……シキミって、なに? 死を視るって……」
父親が重い口を開いた。
「私たちも古い言い伝えだと思っていたんだ。まさか本当に顕れるとは……」
「それを言ったオババの声が、とても辛そうだったの。おばさまは泣いてた。シキミって、そんなに悪いものなの?」
ハスミュラの胸の中を、不安がざわざわと駆け巡る。どうか、酷いことではありませんように……
「シキミは人の死を伝えるだけで、人を死なせるわけじゃないの。でも、それを知らされた本人は、家族は………ハスミュラ、想像してごらんなさい。ある朝目覚めると、家の扉に死の印が付けられている。近いうちに家族の誰かが死ぬってことを突然知る、その恐怖を……シキミは死の象徴となり、やがて皆がシキミの存在自体を怖れるようになる」
「でも母さま、言ったじゃない。シキミが死なせるわけじゃない。なのにどうして……」
「頭ではわかっているんだ、きっと。だが……」
父は途中で口を噤んでしまった。母は俯いて苦しげに息を吐き、呟いた。
「こうなったのが、せめてあなたの性別の儀の前だったら……」
ハスミュラはさっと顔を上げた。まるで理不尽に頬を打たれたような気分だ。怒りに目を見開き、震える声で問い質す。
「それ、どういう意味? 先にエマトールがシキミになっていたら、私が女性を選ばなかったとでも?」
母はうろたえて一歩二歩と進み出た。
「違うわ。そうじゃないのよ、ハスミュラ。ごめんなさい」
「じゃあ、どういう意味なの? 私がシキミとは結婚しないって言うと思ったの? それとも」
ハスミュラは大きく息を吸い込んで、母親に詰め寄った。そんな悲壮な顔をする権利なんて、あなたには無い。胸の前で手を組んで握りしめている母親の姿に、どうしようもなく腹がたっていた。
「それとも、シキミなんかとは結婚させないって? そう言いたいの?!」
「ハスミュラ、どうかそんなこと言わないで」
「言ったのは母さまでしょ! 私の気持ちを知ってるのに! 小さい頃からずっと! 父さまも母さまも喜んでくれたじゃない!」
「やめなさい、ハスミュラ。声が大きい」
「やめないわ」
「エマトールに聞こえてしまう」
ハスミュラはハッとして口を噤んだ。
「うちのマガリコ達にはこの会話を誰にも伝えないよう、口止めしてある。だが、お前がそんなに叫んだらきっと隣に聞こえてしまう。あの優しい子が、自分のせいで我が家が言い争っていると知ったら、彼はどう思う?」
父の言うとおりだった。ハスミュラは唇を噛み、俯いた。両親の顔を見ないままくるりと踵を返すと、静かに言い置いた。
「ちょっと、外へ出てくる。メジロ、行こう」
さすがのメジロも今日は目を覚ましており、労わるようにハスミュラの肩に飛び乗った。
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