第7話 ヒタキの葬送


 真夜中、エマトールは洞窟の入り口に立った。山中の深い闇よりももっと暗い、禍々しささえ感じる闇が、岩肌に口を開けている。


 ほんの数週間前、性別の儀の後に訪れた時とは、辺りの雰囲気が全く異なっていた。もっともあの時は、太陽がてっぺん近くまで昇りかけていたし、自分自身も一人前の男としての第一歩とあって意気揚々と希望に満ち溢れていた。

 それが、わずかの間になんという落差だろう。今ではヒタキを喪ったうえに「シキミ」なんてわけのわからないモノになってしまっている。しかも、大切なハスミュラのお祝いの、最後の日に。


 ヒタキを喪った悲しみはとても深く、絶望と不安が体を蝕んでいくようだ。その一方で、ハスミュラの門出を汚してしまったようで、申し訳ないという思いもある。

 今のエマトールにとっては、この深い闇は恐怖の対象ではなく、むしろ逃げ込める場所だった。


 洞窟の入り口の周りには樹が生い茂って自然のアーチを形作っており、不思議な形の乳白色の花がエマトールを誘うように芳しい香りを漂わせている。

 そういえば、前に来た時にはこの花は咲いていなかった。ただ、「この樹は猛毒だから、触ってはいけない」とだけ聞かされていた。

 今では「樒(シキミ)」という名だと知っているその樹をくぐり、エマトールは洞窟の中へ足を踏み入れた。



 洞窟の中は、しんと静まり返っている。風に草木がざわめく音も、生き物の蠢く気配も感じられない。進むうちに、真っ暗な中でも辺りが見えることに少し驚いた。夜とはいえ、外は月や星の明かりに照らされていた。でも洞窟の中には、その光は全く届いていないのに。


 前にここへ来たのは昼間だったが、進むにつれ中は暗くなっていったはずだった。植物や苔の姿が無くなるほど奥へ進むと、ランプの明かり無しでは何も見えなかったのだ。

 だがどうやら、今回は腰に下げているランプは必要なさそうだ。

 不思議ではあったが、エマトールにはそれほど気にならなかった。悲しみを乗り越え、ヒタキをきちんと葬ってやらなければならないのだから、今は細かなことはどうでもいい。


 ゴツゴツした岩の感触を革の靴底に感じながら、うずまき状の道をしばらく進む。やがて洞窟の真ん中にある『時の泉』へと辿り着いた。そこは真っ暗なはずなのだが、今日のエマトールには泉の水はほんのり銀色に発光しているように見える。

 泉のほとりに跪き、腰紐に付けた皮袋を外すと、胸の奥がズキンと痛んだ。繊細な装飾が施されたこの皮袋は、13歳の誕生祝いにハスミュラが贈ってくれたものだった。

 皮袋から、布に包んだヒタキの亡骸をそっと取り出す。硬く乾燥したマガリの殻の中に、ヒタキは可愛らしく横たわっていた。瑠璃色の体毛は若干色褪せてはいたが、まだ死んだなんて信じられない。


「……ヒタキ、起きてよ」

 そっと指先で触れてみるが、その体はぐったりとして冷たい。触れてみれば、「死」の圧倒的な存在感がそこには在った。ヒタキの小さな体に「死」はあまりにもくっきりと際立って君臨し、エマトールもそれを認めざるを得ないほどだった。


 エマトールは『時の泉』を覗き込むと、オババに教わったとおり、昏くゆらめく水にそっとベッドを浮かべた。水面が銀色の波紋を描く。

 硬かったベッドはあっという間にほどけて水に溶けはじめ、ヒタキの身体がゆっくりと水に浸かっていく。沈みながらヒタキは、その姿を変えた。身体から色が消えて全身が白くなり、体毛がハラハラと落ちて身体が萎み、みるみるうちに丸く小さく縮んでいく。


「ヒタキ!」

 その姿が見えなくなる直前、エマトールは思わず手を伸ばし、水の中のそれを掴んだ。取り出してみると、それは丸くつるりとした白い石になっていた。

 銀色に淡く揺らめく泉のほとり。エマトールは両手でその石を握りしめ、蹲って声を殺し、ひとり泣いた。





 どれぐらい時間が経っただろう。陽の射さないその場所では、時間がわからない。

 暗闇に放り出され、世界でひとりぼっちみたいな気分だ。おそらくその通りなのだろう。


 泣きすぎてズキズキ痛む頭を抱えながら、エマトールはふらつく足で立ち上がり、周囲の岩肌を探った。


 『時の泉』の近くに、シキミの住処へ通じる道があるらしいのだ。言い伝えによれば、オババが生まれるずっと前に現れたという「シキミ」がそこに住んでいたらしい。前の「シキミ」は、その場所を他人に知られぬよう、巧妙に隠したそうだ。


 岩肌を手探りしながら泉に沿ってぐるりと回ってみたが、わからなかった。来た道を少し戻り、『時の泉』を離れた場所から注意して見回す。すると、さっきは見えなかった「印」がうっすらと見えた。「シキミの葉」の特徴ある形が、ある岩に彫ってあるのだ。ランプや松明の明かりの下では、逆に見えなかったに違いない。それくらい、うっすらとした印だ。


 泉を半周し、エマトールはその岩のところへ行った。岩を押してみたが、動くはずもない。

 ところが、印のあたりを押してみると、岩はあっけなくぐるりと回転し、人ひとり通れる空間が現れた。普段なら、驚いたり興奮したりしたかもしれない。だが今は、何も感じなかった。心が固く縮こまり麻痺したみたいに、何も。


 エマトールはそこへ滑り込むと岩を押し戻し、ヒタキの石を握りしめたまま、獣のように丸まって眠りに落ちた。


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