第4話 性別の儀


 仕事へ向かうエマトールと別れ、朝食を済ませたハスミュラはオババの家の扉を叩いた。


「オババ、ハスミュラです。マガリの木を還しに来ました」

「……お入り、ハスミュラ」


 嗄れた、しかし力強い声がハスミュラを出迎える。

 ハスミュラは軋む扉を開けて部屋に入ると、窓辺の椅子にちんまりと腰掛けるオババの向かいに腰を下ろした。窓辺の椅子はオババの定位置。そこからは裏庭のマガリの大樹が見える。

 オババのマガリコ、” チエルカ ” が、メジロを連れて窓から家の裏手へ出て行った。


「おはようございます」

「おはよう。そしておめでとう、ハスミュラ。マガリの木は持ってきたね?」


 ハスミュラが頷くと、儀式用の長衣を纏ったオババは目の前の小テーブルから、小ぶりの水差しと浅い盃、二本の木の枝を載せた盆を取り上げ、膝に乗せた。二本の枝にはそれぞれ、赤と緑の木の実がたくさん生っている。


「さてハスミュラ、ついに今後の人生を選ぶ時が来た。どちらを選ぶ? もしくは、どちらも選ばない?」

「私は」


 ハスミュラはまっすぐにオババの目を見つめ、静かに言った。


「私は、女の性を選びます」

「理由は?」


 ハスミュラは驚いた。理由を聞かれるなどとは思っていなかったから。が、少し考えて、口を開く。


「理由はたくさんあって、ひとことでは言えません。でも、詰まるところ……そうしたいから、です」


 オババは楽しそうに笑った。皺だらけの小さな顔の中、三日月型に細められた優しい目の奥で黒い瞳が輝いている。


「いい答えだね、ハスミュラ。さっぱりきっぱりしっかりとした、気持ちのいい答えだ。さあ、この緑の枝を取りなさい。それと、盃を」


 ハスミュラがそれらを受け取ると、オババは傍らの水差しからハスミュラの盃に水を湛えた。


「これから一週間かけて、この実を食べ切ること。そしてそれは『時の泉』の水だ。こちらも七日間、毎日少なくともその盃一杯分、時の泉へ行って新鮮な水を飲みなされ。時の泉の場所は、後で教えてあげよう」


 オババに目で促され、ハスミュラは緑の実をひとつ取って、口に含んだ。ちょうど親指の第一関節ぐらいの大きさの紡錘形(つむがた)の実は、皮が薄くて瑞々しい。齧れば、うっすらと甘酸っぱい果汁と爽やかな香りが口の中に広がった。


─── これから私は女性になるのだ。自分でそれを選んだのだ。きっと母さんのような、素敵な女性になるんだ ───


 喜びとともに、その実を飲み下す。続いてひとくち、杯の水を飲んだ。ほんのりと甘みのあるまろやかな水が、喉を流れ落ちた。


「おいしい……これ、もうひとつ食べても?」

 そう言いながら、その指は早くも次の実を摘み取ろうとしている。オババは笑って、「もうひとつぐらいならかまわんが、あまり急いで食べきらぬように。しっかり一週間かけて食べるんだよ」と、指先でハスミュラの頬を優しくつまんだ。



 性別の儀を終えたハスミュラとオババは、マガリの木を持ってオババの家の裏手へと回った。様々な色の花をつけたマガリの大樹に寄り添うように、小さなマガリの木を植える。これから時間をかけて、この小さな木は大樹に身を寄せ融合して、一本の樹へと還るのだ。


 オババが大樹の幹に触れ、目を閉じて祈りを捧げる。

 メジロが植えたばかりの自分の木から黄緑色の花を二輪摘み取り、一つをチエルカに渡した。淡い水色と白のまだら模様のチエルカが、恭しく頷いて一緒にその蜜を吸う。花がらを大樹の根元に供えて、マガリの木を還す儀式が終わった。

 メジロは別れを惜しむように、小さな木に抱きついた。そのすぐそばで、少し前に植えたエマトールの木が大樹の小枝と絡み、融合しはじめていた。


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