第60話 忍亭

 俺達は塩野湖をぐるっと回り竹林地帯に到着すると、そこから数分で大きな旅館が見えてくる。既に日は落ち、辺りは大分暗くなっているものの、暗い竹林の中には道を挟むようにして二つの行灯が等間隔に設置されており、旅館に続く道を照らしていた。



 旅館に誘う赤い光の道。



 まるで自分だけの為に用意されたレッドカーペットのように輝くその道は、行く先のわからぬ虫達が引き寄せられるように、俺達を旅館へと導いていく。


 たかが行灯を設置したというだけなのに、それはあまりに幻想的な風景を醸し出しており、俺は言葉を失ったままその景色に目を奪われていた。



「到着したでござるよ。ここが本日泊まる宿の【忍亭】でござる」



 すると、隣の御者台に座っているイモコから声が聞こえ、俺はハッと現実に戻る。


 そして面前に現れた旅館を見ると、驚くものを目にする事となった。



 その旅館は歴史を感じさせる木製の建物であるも、むしろそれが由緒正しき老舗といった落ち着いた雰囲気を表している。


 しかし、俺が驚嘆したのは旅館の作りではない。


 旅館の入り口の中である。


 なんとそこには、既に女将や仲居と思われる女性たちが並んで正座をして待っていたのだ。


 流石にこれには驚かされる。



「い、イモコ? 俺達が間もなく到着するって伝えてあったの?」



 俺は当然の疑問を口にする。


 だが、イモコは首を横に振った。



「伝えてないでござる。なんなら、今日到着するという事もハンゾウには言ってないでござるよ。概ね、何日後と言う事は伝えているでござるが。」


「ははっ……。流石は情報を売りにしているだけあるな。まぁ何にせよ、馬車を降りるか。」



 俺はそう言って馬車を降りると、隣の馬車からもシロマ達が降りてくる。



「凄い趣のある宿ですね。この落ち着いた雰囲気……読書が捗りそうで好きです。」


 

 降りて早々、シロマは少し興奮した面持ちでそう口にした。



「あぁ、まだ宿にも入ってないのに凄い癒されるな。とりあえず、女将さん達が待ってるみたいだから行こうか。」



 そう言って俺は、入り口の暖簾を潜って宿に入ると、玄関先に並んだ女将さん達が一斉に頭を下げる。



「遠路はるばる、ようこそお越しいただきました。私は当宿で女将をしておりますマツと申します。粗末な宿ではございますが、是非ごゆっくりできるよう、ご歓待に努めさせていただきます。」



 女将はそう挨拶を述べると、面を上げた。



 見た感じ、30歳半ばといったところだろうか?

 年齢こそ自分の母親と同じ位にも見えるが、それでも纏う雰囲気も相まって純粋に美しいと感じる。



 そしてその挨拶を受け、セイメイが前に出ると何故か俺を紹介する。



「こちらが我が主サクセス様でございます。短い間になりますが、よろしくお願いします。」



 あれ? イモコの名前で予約してたんじゃないの?



 と疑問に思うも、それについて女将から何かを言われる事はなかった。



「承りました。では、まずお部屋にご案内差し上げますので、お履き物をそちらでお脱ぎください。」



 少しだけ腑に落ちないというか、疑問は残るが、とりあえず俺は靴を脱ぐと宿の中に入る。


 そして女将の案内で客室に向かった。


 当然部屋割りは、男と女で別。


 俺とイモコとセイメイ、そしてゲロゲロ

 カリーとシルク

 シロマとロゼッタ


 この割り振りで三つの部屋が用意されている。


 早速俺は案内された部屋に入ると、感嘆の声を上げた。



「おぉ! なんか凄い落ち着く感じだな。あっ! あれ塩野湖か。すげぇ、夜の湖も綺麗だなぁ。」



 俺達が入った部屋は、畳が敷かれた大きな部屋が二つあり、一つには中心に囲炉裏が置かれており、もう一つには既に布団が敷かれている部屋。


 そして窓の外には先ほど俺が口にしたように、塩野湖の全景が映し出されている。


 その他は特に目立ったものこそないが、それが逆に心を落ち着かせる。


 とりあえず部屋に入ると荷物を置き、囲炉裏を囲うように置かれた厚手の座布団にボフッと座った。



「失礼します。」



 すると、仲居さんが早速俺達に入れたお茶とお茶請けを置く。



「あ、すみません。ありがとうございます。」


「とんでもございません。他にも何かあれば直ぐにお呼びください。それと食事の方は直ぐにお持ちした方がよろしいでしょうか?」



 仲居さんがそう尋ねると、セイメイが俺に確認する。



「サクセス様。本日は各部屋での食事でもよろしいでしょうか? せっかくですので、皆様自由に寛げるようにそう手配したのですが。」


「あぁ、問題ないよ。俺も腹減ったし、直ぐに食べたいからな。」


「ゲロォォ……(僕、もう限界……)」


 

 どうやら俺よりもゲロゲロの方が限界のようだ。


 そういえば、さっきからグッタリしていたな。



「わかりました。それでは至急食事の手配をお願いします。」


「承りました。できるだけ早急にご準備させていただきます。」



 仲居さんはそう言うと、静かに部屋を出て行く。



「しかし、やはりこの宿は落ち着くでござるな。このお茶菓子もここでしか食べれないでござるよ。」



 そう言って、イモコが茶色い塊を口に入れると、突然セイメイが怒りの声をあげた。



「イモコ殿。サクセス様より前にお茶菓子に手を付けるとはどういう事でしょうか?」



(えぇ~。そんな事どうでも良くね?)



 俺としては別に全く気にしないどころか、そんな風に気を遣われる方がめんどくさいのだが、その言葉にハッと気づいたイモコは頭を下げて謝罪する。



「も、申し訳ないでござる。某、ついリラックスしすぎて……。」


「いやいやいや! まじでそんな事気にしないで、というかむしろそういう風に気を遣われるとせっかくの雰囲気が台無しだから。セイメイも気を遣うのは嬉しいが、いちいちそんな事まで気にしないでくれ。」



 折角ゆっくり出来るのに、そんなお固い事されると逆に肩が凝るわ。そもそも俺は偉くも無ければ、元農民の成り上がりだからね!


 ということで、一応セイメイに軽く釘をさしておくと、今度はまた違った意味で予想外の言葉が返ってくる。



「はい。失礼いたしました。しかし、私はサクセス様の傍仕えですので、何かあればいつでも私に言って下さい。」


「えっ? いつから傍仕えに?」


「出会った時からです。」


「はい?」



 いつの間にかセイメイは俺の傍仕えになっていたそうだ。


 俺はそんな事を頼んだ覚えも、許可した覚えもないのだが……もうめんどくさいからどうでもいいや。



「こほん。それで師匠、一つ相談があるでござるがよろしいでござるか?」



 その謎問答を前に、イモコが軽く咳払いをすると俺に聞く。


 丁度変な雰囲気になりそうだったから、助かった。



「いいよ。俺に相談するのに確認なんて必要ないからね。」


「ありがたき幸せでござる。それで相談というのは、ハンゾウと直接会う事ができるようになったのでござるが、それが明日の夜になってしまったでござる。故に、この宿に二日滞在する事になるでござるが……。」



 二日か。ここまで予定よりも早く進めたのだから、むしろ三日位ゆっくりしてもいい気もするが……そうも言ってられないか。


 まぁなんにせよ、全く問題はない。



「オッケー。じゃあ出発は明後日の朝か。いいねぇ、むしろここら辺で少しは羽を伸ばしてゆっくりしたほうがいい。今回は旅慣れてないロゼッタもいるしな。」



「そういっていただけると助かるでござる。では、某はその旨を女将に伝えてくるでござる故、もし食事が届いたら某に気を遣わず食事を進めていて欲しいでござるよ。」



 そういって立ち上がると、イモコは部屋を出ていく。


 イモコがいなくなったことで、ゲロゲロを抜かせばセイメイと二人きりになった。


 セイメイが苦手なわけではないが、なんとくな二人きりはちょっと居づらいため、話を振る。



「そ、そういえばさ。さっきイモコが食べてたのってなんてお菓子なんだ?」


「キンツバと呼ばれるお茶請けでございます。甘い餡が詰まった物で、この宿の名物の一つでございますね。しかし、それをイモコ殿は……」



 そう説明しながらも、再びイモコへの苛立ちを表し始める。



「まぁまぁ、好きなだけ食べればいいさ。とりあえず俺も一つ……!? 無い……あれ? さっきまであったはずなのに……。」



 セイメイの話を聞いて、食べてみたくなった俺だが、いつの間にかお茶請けの皿からキンツバが消えていた。


 そしてふと横を見ると、口をもぐもぐさせている犯人がすぐに見つかる。



「げーろーちゃーーん!?」


「ゲロップ!? (た、食べてないよ!)」


「じゃあそのお口周りについている茶色い物は何かなぁ?」



 明らかにわかる嘘をつくゲロゲロ。


 そんなゲロゲロを両手でひょいっと持ちあげると、顔を近づけて目を見て言った。



「ゲロロン(ごめんなさい)」



 そして見つめられる事に耐えられなかったのか、ゲロゲロが観念する。



「いいかい、ゲロゲロ。お腹空いているのはわかるけど、勝手にみんなの物は食べちゃだめだよ。わかった?」


「ゲロロン……(わかった。ごめんなさい)」


「よし、それならいいさ。キンツバは興味あったけど、また頼めば持ってきてくれるでしょ。」



 親? として俺にはゲロゲロをしつける義務があるが、ちゃんと言う事を聞いたなら安心させてあげないといけない。


 そう思った俺は、ゲロゲロを下ろして優しく体を撫でるのであった。


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