第59話 静かな湖畔
関所を通り抜けた俺達は、山を下りながら近くの村に進んでいくと、俺はあるものを目にする。
それは、見た事がないほど大きな池だった。
イモコが言うに、それは「塩野湖」と呼ばれる有名な湖らしい。
そして今、その外周……いわば湖のほとりを進んでいるのであるが、そこから見える湖は、魚鱗の輝きまで映す程に透明で美しく、更に西空より日落ちを告げる光を反射し、水面がキラキラと煌めいている。
そんな美しい湖があるのだから、当然この村は有名な避暑地スポットと知られ、多くの旅人が一目この輝く湖を見ようと訪れる場所だそうだが、この村で有名なのは塩野湖だけではないらしい。
この場所から少し歩くと、季節毎に彩られる木々が立ち並ぶ森林地帯があり、その奥には白糸のように地下水が流れ落ちる有名な滝が存在するようだ。
そんな名所が多数あるこの村。
それにも関わらず、俺達はほとんど誰ともすれ違わない。
時間的に間もなく日が落ちる頃合いとはいえ、それだけ有名な村であれば人馬の往来も多いはず。
不思議に思った俺はイモコに聞いてみると、
「この村は中心街からも離れている為、たまに訪れる旅人でもいない限り、人は少ないでござる。まぁそれだけではないと思うでござるが。」
と、少し何かを濁らせて答えた。
しかし、言われてみればわからなくもない。
確かにこの素晴らしい風景も、見慣れてしまえば感動は薄れるだろうし、色々便利な店が立ち並ぶ中心街から、わざわざこの村に移住するメリットも少ないのだろう。
だからこその観光名所という訳だ。
つまりここは、お忍びで誰かと会うには絶好の場所である。
とまぁそんな事を考えるのも馬鹿馬鹿しいほど、ここから見える風景は素晴らしいんだけどね。
「ここは本当に長閑で美しい村だなぁ、イモコ。」
「そうでござるな。この風景を見ているだけで、心が洗われる気分でござるよ。」
俺の言葉を受け、感慨深げに返答するイモコ。
「心が洗われる……か。本当にその通りだな。空気もなんか凄く美味しく感じるよ。」
そう言って俺は思いっきり空気を肺に流し込むと、目をを細める。
やはりうまい。
この美しい湖が何か影響しているのだろうか?
それともこの湖畔沿いに咲き誇る可憐な花達のせいだろうか?
そんな疑問を想い浮かべながらも、俺達の移動は穏やかに続いて行く。
それからしばらくして、イモコが湖の先を指差した。
「師匠、見えてきたでござる。あれが、某たちが今夜泊まる宿でござるよ。」
俺はイモコが差す方に目を向けると、そこには竹林に囲まれた大きめの宿屋が見える。
「おぉ! やっとか。日が完全に落ちる前で良かったな。それに遠目からでも良さそうな感じがビンビンするぜ。いいねぇ、ハンゾウもいいところを指定してくれたなぁ。」
既に大分日も落ちかけていたが、それでも遠目に映る宿は立派に見えた。
そして俺はワクワクしながらそうイモコに話すと、イモコは何故か真面目な顔をしている。
「そうでござるな。しかしながら、あそこを選んだのには理由があるでござるよ。」
「理由?」
「そうでござる。あの宿は、金さえ積めば貸し切りできるでござる。故に、多くの国の偉い者達はあの宿で密談をしてきたでござるよ。」
イモコの口から出るうんちく。
俺はそれをフンフンと聞きつつも、ちょっとだけ不安になった。
なぜなら、そんな密談で有名な場所ならば逆にヤバイのではないだろうか?
もしも、隠密に長けた者が仲居として潜り込んでいれば、色んな情報が筒抜けになる。
つまり卑弥呼陣営に対して、俺達が探りを入れている事がバレてしまうかもしれない。
しかしそう思った瞬間、俺は気づいてしまった。
それでもなお、ここを選んだ理由を。
「もしかして……あそこってさ。」
「流石は師匠でござる。気付いたでござるか?」
どうやらイモコも俺がそれに気づいた事がわかったらしい。
だが、あえて俺は気づいた事を口にして確認する。
「あぁ、あの宿は……ハッタリハンゾウが所有しているんだろ? だから、他では知りえない重要な情報が入ってくる。」
「半分正解でござる。ハンゾウが所有しているのは宿だけではござらん。この村全てがハンゾウの所有物でござるよ。」
その言葉に驚きを隠せない俺。
「は? まじ?」
「本当でござる。ハンゾウは、こういった場所をいくつも意図的に作っているでござるよ。」
こういった場所?
作っている?
「どういう事?」
「えらい人が密談するのに最適な環境自体を作るという事でござる。それには情報操作から、人の流入の調整も含まれているでござる。今日、人が少ないのも全てハンゾウが手配したと思われるでござるよ。」
まじかっ!?
不便だから人がいない訳ではなかったのか。
だとすれば、ハンゾウとかいう奴は相当大物じゃん。
「なるほどな。怪しい名前の癖に商人という肩書は本当らしいな。いや、大商人か。まぁ何にせよ、そう言う事なら色々と期待できそうだな。」
「その通りでござる。しかし、今回の密談には某だけが参加する故、師匠達には待っていて欲しいでござるよ。」
「あぁ、色々と悪いな。イモコ。頼りにしている。」
改めて俺はイモコに感謝した。
確かにハンゾウが凄いという事はわかったが、それ以上に、そんな大物とつながりを持っているイモコが凄い。
この大陸に着いてから、イモコの存在の大きさを身に染みて感じている。
そしてそれにも関わらず、態度を変える事なく、色々と尽くしてくれている事に感謝が尽きなかった。
しかし感謝を受けたイモコは、相変わらず低姿勢のまま、恐れ多いと言わんばかりの表情をしている。
「め、滅相も無いでござる。そもそもこれは某達の国の問題であり、師匠は本来関係ない事でござる!」
「いや、だとしてもだ。俺はイモコに感謝している。だから、これからも頼りにさせてくれ。」
俺はハッキリとそう告げると、イモコは深く頭を下げた。
「あ、ありがたき幸せでござる! 師匠にそのような言葉を掛けられるとは、感激の極みでござる。」
「あはは、大袈裟だなぁ。まぁとりあえず、向こうで怪しまれるような事はないと思うけど、俺達は普通にしていた方がいいだろ?」
「そうでござるな。旅の疲れをゆっくり癒していただくでござる。」
その言葉に甘えて、俺は久々の豪華そうな宿を満喫するつもりだ。
あの宿の佇いからして、かなり色々と期待できるだろう。
それを考えるだけで、俺の期待は大いに膨らんだ。
……まぁ、膨らますのは期待だけではないつもりだが。
ーー故に尋ねる。
「おう! 楽しみだな。 ち、ちなみにだけどさ?」
「なんでござるか?」
「温泉……あるよね?」
俺がそう聞くと、イモコは不思議そうな顔をした。
まぁ普通に考えて、温泉が無い訳がない。
でも、聞きたいのはそこじゃないんだなぁ。
「当然あるでござる。それはもう、大層広く、そして風情ある景色が見える露天風呂があるでござるよ。」
やはりそうか。
イモコの話を聞いて俺は予想をしていた。
イモコはここに来た事があると。
……であれば、知っているはずだ。
「ほほぅ……風情ある……景色ねぇ。」
意味深に言葉を紡ぐ俺。
それを聞いて、イモコが感づいたようだ。
「師匠……まさかっ!?」
「言うな! イモコ! どこで隠密が聞いているかわからぬ!」
イモコの声が大きくなったことで、周囲を警戒する俺。
この馬車の後ろには、シロマ達が乗る馬車が続いている。
間違っても、これからする話を聞かれる訳にはいかなかった。
「ぎょ、御意!」
「んで、イモコは入った事あるんだよな? 露天風呂。」
「一度だけでござるが……。」
ふむ。なら知っているはずだ!
お偉いさん達が秘密裏に利用すると聞いた時から俺は考えていた。
えらい奴というのは大抵エロい奴。
そう、【偉い=エロい】はきっと世の常だ。
ボッサンはともかくとして、センニンもそうだったし、噂だとアリエヘン王も相当な変態らしい。
サムスピジャポンとて、例外ではないだろう。
であれば、間違いなくあるはずだ。
秘密の抜け穴……いや、ロマンティックホールが!
「そうか。……で、穴は見つかったか?」
俺は単刀直入にイモコに尋ねた。
「き、記憶にはないでござるが……しかし、師匠。本当にやるでござるか?」
どうやらイモコは俺を心配しているようだ。
しかし、安心してほしい。
俺には秘策があるんだ……ミラージュという秘策がな!
穴さえ見つかれば、どうとでもなるさ!
「あぁ……。やっぱり男ならな。俺はロマンの為なら命を張れる!!」
そう胸を張って言い切る俺。
自分でいうのもなんだが、俺はやはり少し頭がおかしいのかもしれない。
「そうでござるか。しかし、某は……。」
「みなまで言うな。わかっている。イモコは何もしなくていい。俺も今回シロマ以外を見るつもりは……多分ない。」
一瞬ロゼッタの美貌を思い出し、心が揺れた。
しかし、なんとなくだがそれはカリーに失礼な気がするのでやめておこうとおもう。
それにシルクにバレたら……殺されかねない。
「わかったでござる。しかし、師匠ならば直接頼めば見せてもらえないでござるか?」
「馬鹿言え! それのどこにロマンがあるんだ! 苦難を乗り越えた先にしか見えないものがあるだろ!」
「し、師匠! 声が大きいでござる。」
おっと。つい、エキサイティングしてしまった。
「まぁそう言う事だから、もし密談で機会があったら是非聞いてくれ。」
今しがた何もしなくていいと言った側からお願いしちゃう俺。
そんな下衆な俺だが、許してほしい。
その想いが通じたのか、イモコは首を縦に振ってくれた。
「わ、わかったでござる。」
しかし、それを見てやはり考えを改める。
「いや、やっぱなしだイモコ。今のなし!」
やはりこういう事は、人に頼むものではない。
「本当によろしいでござるか?」
そういって念を入れて確認するイモコだが、少しだけ安心を漂わせている。
どうやら変態の片棒を担ぐのは、弟子としても嫌だったらしい。
まぁ当然だよね。
「あぁ、男に二言はない。俺は自力で壁を乗り越えて見せるよ!」
「か、壁を乗り越えるでござるか!?」
「ば、ばか。声でけぇって。違う違う、例えの話!」
流石に今のは聞かれたかもしれないと思い後ろを振り向くも、御者にはセイメイしか見えなかった為、多分セーフだ。
「申し訳ないでござる。」
「まぁ、そんな訳だからイモコは自分のやるべき事に専念してくれ。俺は俺でやるべきことをする。」
「御意。」
俺のマジな目を見たイモコは、一言だけそう言うと、何も言わなかった。
若干、その瞳が残念な者を見る目に見えたのはきっと気のせいだろう。
とまぁ、そんな下衆な思惑を秘めながらも、俺達は密談場所である旅館宿に辿りつくのであった。
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