第33話 三人の夢と未来
一方その頃、家を出たカリーはいつもの釣り場にある岩に腰を掛け、餌のついていない糸を垂らして竿を握っていた。しかし、その顔に精気は全く感じられず、本当に生きているのかすら疑わしい状態。
そんなカリーだが、ここに座ってからというものの、ずっと誰かと話し続けていた。
「今日は全然魚がかからないな。ローズ、暇なら帰ってもいいんだぞ。」
「そういえば、最近どうしてた? あまり……いやなんでもない、違うって。別に寂しいわけじゃねぇって。」
「最近な、家に変な男がいてよ。家に居ずらいんだわ。どうすればいいと思う?」
「ダメだってクロ、それはお前の餌じゃねぇって。」
その釣り場には、見渡す限りカリー以外の誰かがいるということはない。
にもかかわらず、カリーはまるでそこに誰かが一緒にいるかのように話し続け、一旦その会話が終わると……まるで壊れたラジオのように同じ会話を繰り返し続けた。
そして気付けば日は西に沈みかけ、辺りが黄昏に包まれ始めると……何者かが近づいてくる。
「やっと見つけたぞ。カリー。」
そこに現れたのは、正装に身を包んだシルクだった。
しかしカリーにはその声が届いていないのか、シルクの方を見向きもせず、同じ姿勢のままブツブツと呟き続けている。
一瞬別人に声を掛けてしまったかと思ったシルクだが、近づいていくと、やはりそこにいるのはカリーに間違いなかった。
「カリー。私だ、シルクだ。お前に話があってきた。」
シルクはカリーの真後ろに立って、もう一度声を掛けるが、やはりカリーに反応はない。
だが小さな声で何かを呟いているのが聞こえるため、寝ている訳では無さそうだ。
それであれば、もしかしたら自分と会いたくないために無視しているのではないかとも思う。
あんな事があったのだ、自分に会いたくない気持ちはわかる。
カリーに罵倒されるくらいの覚悟は持ち合わせてきた。
それでも自分は、カリーにどうしても伝えなければいけない事がある。
確固たる決意を持ってカリーの前に現れたシルクは、何も言わずに立ち去る事などできない。
故に、返事がないなら無理矢理にでもこっちに顔を向けさせようと思い、カリーの肩に手を掛けると、無理矢理その顔を自分の方に向けさせた。
ーーすると
!?
「お、お前……。」
シルクは言葉を失った。
そこにいたのは確かにカリーであったが、シルクの知るカリーではない。
髪はボサボサ、髭は生えっぱなし、それだけならまだいい。
頬は不自然にこけており、目は大きな隈のせいで本来のカリーの目とは似ても似つかない。
そして完全に精気を失ったその目は、正に死んだ人のそれだった。
カリーは無理矢理シルクの方に顔を向けさせられると、視点の合わない目で誰かに話しかける。
「おい、ローズ。こんなところまで兄貴が迎えにきちまったぞ。だから早く帰れって言っただろ。」
その様子を見たシルクは、茫然としてしまった。
(まさか……まさかここまで追いつめられていたのか……。それだけ、こいつはローズの事を……。)
シルクはカリーが今どういう状態であるか直ぐに気づく。
国の医学研修をしていた時、こういった症状は見た事があった。
これは……精神崩壊だ。
「カリー!! おい、しっかりしろ! 目を覚ませ! ローズはもういないんだ! 戻ってこい、カリー!」
かなりヤバイ状況だと察したシルクは、必死にカリーの両肩を揺らしながら叫ぶ。
しかし、それでもカリーの表情に変化はない。
というよりも、今のカリーにはそもそも表情と呼べるものはなかった。
「おいおい、ローズ。兄貴までお前が死んだって言ってるぜ。全く何をやらかしたらそうなるんだよ。」
カリーはシルクの必死な叫びにまるで何も感じておらず、ただ、いるはずもないローズに話しかけるだけだった。
「なんってことだよ……。クソっ! お前がそんなんじゃ……ローズが悲しむだろう! 今お前が見ているローズはローズじゃない! 目を覚ませよ!!」
シルクは叫びながらカリーを殴りつけると、その勢いでカリーが川に落ちた。
川は大きな水飛沫(みずしぶき)を上げ、水の波紋を広げていくと、やがてそこに浮かんでくるカリー。
そう浮かんできたのである、それはカリーの意思ではなく、ただの自然現象。
この川は見た目よりも大分深く、一度下に沈んだカリーは浮力に従ってその身を浮かばせた。
このままだと本当に死んでしまう。
「まずい! 何やってんだよ、私は!!」
カリーを正気に戻そうとしたシルクであったが、まさかそのまま川に落ちるとは思わなかった。
思いきり殴り過ぎてしまった事に後悔する。
そしてシルクは正装を身につけたまま川に飛び込むと、カリーを抱きかかえて岸辺まで泳いで行った。
「大丈夫か、カリー!! すまない! 息は……あるな。」
カリーの息を確認したシルクは安堵したが、やはりそれでもカリーの様子はさっきと変わらない。
これでは伝えたい事も伝える事ができないし、何より、このままでは二人とも風邪を引いてしまうだろう。
とりあえず今は諦めて、カリーをこのまま家まで送ろうとしたその時……
ーー突然、シルクの胸が赤く光り輝いた。
既に日が落ち、暗くなった夜空の下、その光はとても強く輝いて見える。
カリーもまたその光をジッと見つめており、辺りを暖かい光が包み込み始めると、どこからともなく聞き覚えのある声が聞こえ始めた。
カリー……。
お兄様……。
「ローズ!? ローズなのか? どこにいる! 生きていたのか!?」
シルクは突然聞こえたその声に反応すると、必死で辺りを見渡す。
しかし、いくら周りを見てもローズの姿はなかった。
(今の声は……ローズに間違いない。どういう事だ? いるなら一度でいいからその姿を見せてくれ!)
シルクは自分の頭もおかしくなってしまったのかと思ったが、夢でも幻でもいい、ローズの姿をもう一度だけでいいからその目に映したい。
すると、今度はカリーの手の上に赤い光がとまっているのが見える。
カリーはそれを大切そうに両手で包み込むとそのまま目を閉じた。
「カリー、お願い。目を覚まして。」
その声は間違いなくローズのものだった。
そしてその声がカリーが自分で閉じ込めていた魂を呼び起こす。
カリーはゆっくりと目を開くと、その目にさっきまで失っていた光が戻り始めた。
……そして、
「俺は……。なぜ? ローズ!? どこだ、ローズぅぅぅぅ!!」
さっきまでとは全く違い、困惑した様子でカリーが叫ぶ。
しかし、無常にもその光はそれ以上何も答えず、カリーの両手で包み込んでいた赤い光は消えていた。
「カリー! 正気に戻ったのか? お前も……お前にもローズの声が聞こえていたのか!?」
「シルク!? なんでお前が? そうだ! 確かにローズの声……ローズの温もりを感じた。だが、ローズは……」
死んだはずだ……
そう続けようとするも、やはりその言葉を自分で口に出すことはできない。
だが、シルクは違った。
シルクは、はっきりと口にする。
「あぁ、ローズは間違いなくあの時に死んだ。しかし、今聞こえた声は幻なんかじゃない。きっと不甲斐ない私とお前を見かねたのかもな……。いいのか、カリー? このままでいいのかよ!」
「わかんねぇっ! もう何がなんだかわかんねぇよ!! 俺は何のために強くなろうとしたんだ? あいつを守るためだろうが! あいつの笑顔を守れないなら、死んだ方がマシだ!!」
「馬鹿野郎!! そうやっていつまで逃げるつもりなんだ! 確かにローズはもうこの世にはいないかもしれない。だけどな……今でもローズは俺とお前の胸の中で生きているだろうが! ふざけるんじゃねぇ! よく思い出せ、カリー。ローズが最後にお前に向けて何と言ったかを……ローズが何を求めていたのかを……思い出してくれよ!!」
カリーの言葉に必死に想いを伝えるシルク。
しかし、それでも今のカリーにはその想いは届かない。
カリーは我に返った事で、再びあの時の悲劇を思い返して絶望に陥っていた。
最後のローズの言葉を思い出せと言われても、どういう訳かカリーには思い出せない。
思い出せる事があるとすれば、それは……ローズが笑顔のまま爆発し、赤い光を伴って消えてしまった事だけ。
それを思い出した瞬間、再びカリーの胸は絶望に覆われる。
ーーしかし
ふとカリーは赤い光が無くなった両手の中に何かを包み込んでいた事に気付くと、そこに目を向けた。
「これは……手紙?」
その手に包まれていたのは、シルクが胸に閉まっていたローズの手紙。
どういうわけなのか、いつの間にかカリーの手の中に移動していたようだ。
それに気づいたシルクは、それが何であるかをカリーに伝える。
「それは妹が俺に書いた手紙だ。お前にも読んで欲しいと思って持ってきた。お前に読んで欲しいんだ、その手紙を。そして知って欲しい。ローズが何を夢みていたのか、何を求めていたのか。お前にはそれを知る必要がある。」
シルクはそう言うと、腰につけていた魔法のランプに光を灯し、カリーの手元を明るくした。
カリーはシルクの言葉を聞き、それがローズの書いた手紙であると知ると、水に濡れたその手紙を慎重に広げる。
そしてそれを読み終わった後、カリーは満天の星が輝く夜空に顔を向けながら……静かに涙を流した。
「……ローズ。お前も俺と同じ気持ちだったんだな……。それなのに俺は……俺はお前のその未来を守れなかった!」
悲しみ暮れるカリー。
だがシルクはそれを否定する。
「カリー、それは違う。お前はまだローズの未来を守れる。お前はあの時俺に言ったよな。俺が生きている。そしてローズが生きている。それならばまだ終わりじゃないと。」
「あぁ言ったさ。でもな! ローズはもう死んだんだ! もうこの世のどこにもいないんだ! それでどうやって守るっていうんだよ!」
その言葉に、シルクを掴み上げるカリー。
しかし、シルクはそれでも続けた。
「何度でも言うぞ、カリー。ローズは生きている! 少なくとも、俺とお前の胸の中でずっと生き続けている。だからもう一度聞くぞ、ローズは最後にお前に何て言った! よく思い出せ、カリー!!」
その言葉に再び記憶を辿るカリー。
すると、さっきまで靄(もや)がかかったように思い出せなかった記憶が、突然晴れていくかのようにカリーの記憶を呼び起こす。
そして遂に思い出した、あの時のローズの言葉を。
あなたが生きていれば、私は死なない。
私はカリーの夢と一緒に生き続けるわ。
忘れないでカリー、私の想いを……
私はあなたを愛している。
その言葉をはっきり思い出したカリーは、再びその目から大粒の涙を流し始める。
ーーそして
「ありがとうシルク。全て思い出したよ。あいつの想いも、あいつが何を願っていたのかも。そうだな、確かにローズは生きている、俺の夢が続く限り、あいつはいつまでも俺の傍にいる。そうだろ? ローズ……。」
カリーは手に残る温もりに向けて尋ねた。
しかし既にそこにはない温もりは、何も答えてはくれない。
だが、代わりにシルクがそれに答えた。
「あぁ……。お前と……そして私の夢が続く限りはな。だから共に行こう、そして夢の続きを俺達がローズに見せてやるんだ」
シルクは強い決意を込めてそう答える。
しかし、その言葉にカリーは違和感をおぼえた。
「それ、どういう意味だ? なんでお前の夢が関係するんだ?」
「私は決めた。妹の夢を果たす事を俺の夢にするとな。つまり、お前の夢はもうお前だけの夢じゃない。それは俺の夢であり、ローズの夢だ。だから俺は、今の身分と名前を捨てる。そしてこれからは、俺がローズに代わってお前に付いて行くつもりだ。例え勇者様に拒否されようとも、必ずな。お前の夢の続きを、私とローズにも見せてくれ。いや、一緒に見るんだよ、カリー!」
シルクの熱い瞳がカリーを見据えると、カリーはその瞳に愛していたローズの面影を見る。
そこにカリーは、確かにローズを感じた。
「わかった。俺は忘れない、絶対に忘れない。俺の夢も、ローズの夢も……そしてローズを愛した記憶も!! だから、俺は進むぞシルク。お前がついて来るというなら、ついてくればいい。そして見届けてくれ、俺達の夢の先を!」
その言葉を聞き、シルクはカリーの手を取って力強く握る。
「これは同じ者を愛した男同士の約束だ、カリー。二人でローズに誓おう。今度こそ必ず約束を守ると。そして弱者が守られる世界にすると!」
「あぁ、男の約束だ。ってお前、まさかローズの事を女性として愛していたわけじゃないだろうな?」
「そんなわけないだろ。だが、ローズよりいい女に出会った事がないのは事実だがな。ははっ。」
意味深に乾いた笑みを浮かべるシルク。
そんなシルクに若干引きつつも、カリーは話を続けた。
「まぁいい。とりあえず、なぜかわからんが二人ともビショビショだし、一旦俺の家に来いよ。これから一緒に旅立つならフェイルにも話を通さないといけないからな。」
「もちろんそのつもりだ。それに俺は……もう城には戻らない。今この瞬間をもって俺は王子をやめる。ここから私はただの一人の男になる。」
ローズは、カリーに付いて行くために、身分も名前も捨てようとしていた。
それならば、当然自分もそうしなければならない。
そう決意していたシルクだが、次の言葉に思わず突っ込んでしまう。
「そうか。じゃあもうお前に気を遣わないでもよさそうだな。」
「はっ? お前のどこが私に……いや俺っちに気を遣ったいうんだよ。」
「ぷはっ!! なんだよ、その言葉。お前誰だよ。おかしすぎるだろ。」
「うるさい。これからはただの人になるんだ。少しづつ言葉遣いを変えなければ旅に支障がでるだろが。勇者様が国の王子を連れていくなんてできるはずがない。名前だってこのままじゃまずいだろう……そうだな、ローズの未来も連れていくなら……ソレイユにするか。」
いきなりこの場で自分の名前を決めるシルク。
ローズですら、自分の名前をどうするか決めかけていたのだが、シルクの決断は早かった。
しかし、その名前に疑問を呈するカリー。
ソレイユという名前では全く変わっていないと思ったのだ。
「ソレイユって家名じゃないか。意味なくないか、それ?」
「いや、家名としてその名は使えない。だが、子供にソレイユと名付ける親は結構多いみたいだぞ。私……いや、俺っちが昔に見た演劇では、農家の息子が同じ名前だった……でがす。」
「ふ~ん、そういうもんなのか。俺にはよくわからんが……って、ぷぷっ!! 本当に何なんだよその言葉は。俺っちに、ガスだって? どこの田舎もんだよ。あははは! 笑わせ過ぎだぞ、お前。」
「笑いたければ笑え! と、とにかく早く勇者様に会いに行くでがす!!」
「あははは! そうだな。んじゃ行こうぜ! シルク……いやソレイユ!」
その言葉を最後に、二人は肩を組んで笑い合いながらカリーの家に向かうのであった。
その時、ふと二人はなぜか懐かしい視線を感じて同時に振り返る。
そこには、二人が守りたかった笑顔を浮かべて、二人を笑いながら見守るローズがいる気がした。
しかし、二人の目にローズは映らない。
不思議に感じた二人は、お互いを見つめ合う。
確かに二人は感じていた。
ローズの存在を。
だがそれを二人が口にする事はない。
そして視線を前に戻した二人は、再び歩み始める。
三人の夢と未来に向けて……。
そんな二人の新たな決意と旅立ちを、ローズもまたどこからか見守っていたのかもしれない。
おしまい
このお話は
最弱装備でサクセス 第四部
で話がつながります。
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【★あとがき★】
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