第35話 ファーストキス

 俺がアジトから出て宿屋に戻ると、既に宿屋の表玄関が空いており普通に中に入れた。

 こんな朝早くから女将は起きている。

 後一時間もすれば日は登るかもしれないが、まだ外は暗い。

 女将の一日の始まりは思ったよりも早いようだ。 



「お帰りなさいませ、お客様。昨晩はお楽しみだったようで……あら、そちらの方達は?」



 お楽しみじゃねぇよ!


 って叫びたくなったが、あぁそうか。風呂場の事を言っているのか……。

 そういえばコイツもグルだったんだよな。

 まぁそれは今となってはどうでもいい。 



「すいません、一時的にこのクズ達を部屋に連れて行きますがよろしいでしょうか?」 


「はい、それは構いませんが……その……大丈夫でしょうか?」 


 女将は、紐でグルグル巻きにされて、死にそうな顔をしているワイフマン達を見て心配した。 



「大丈夫ですよ。迷惑はかけませんから。コイツらに飯はいらないので安心してください。」 


「えぇ、それはまぁ……いいのですが……。生きてらっしゃるのですか?」 


「一応命は、あるから平気ですよ。まぁこの後までは保証しませんけどね。」 


 俺は、心配かけないため、笑顔で言ったつもりだったのだが、どうやら俺の声から感情が消えていたようだ。

 女将は、その声を聞いて震えあがる。

 それだけ聞くと、従業員の部屋に逃げるように入って行った。


 とりあえず俺は、自分の部屋にコイツらを入れようと部屋の扉を開ける。

 すると、異変に気づいたゲロゲロが扉の前で、威嚇するように立っていた。 



「ゲルぅぅぅぅ!」



 俺は部屋の中にそいつらを放り投げると、ゲロゲロを抱きしめる。


 安心する……。


 酷いことがありすぎたせいで、心が荒んでいた。

 さっきから、何か俺の大切な感情が消えている気がする。

 不思議な気分だ。

 辛いはずのに、辛くない?

 この感覚はなんなのだろう?

 


「ゲロォ?(大丈夫?)」


「大丈夫だ……俺は大丈夫だ……。」 



 ふと鏡に映る自分を見た。

 そこに映っていたのは、目の下に隈ができた自分。

 しかし変わっていたのは目だけでは無い。


 髪が真っ白になっていた……。


 あまりのストレスで色が抜けたらしい。 



「酷い顔だ……本当なら自信に満ち溢れた顔が映っていたはずなのにな……。」



 まぁもう、全部どうでもいい。

 どうでもいいんだ、本当に。

 

 ゲロゲロが心配そうに俺の体に自分の体をこすり付けている。


 普段なら、それに癒され、可愛いと感じるはずなのだが……。

 今は不思議と何も感じない。

 ただ、動物が俺に触れているだけとしか、感じられない。

 どうやらやはり俺の感情は消えているようだ。


 しばらくすると窓から光が差してきた。

 いつの間にか空に日が昇り始めていたようである。

 すると隣の部屋から、ガタガタと音がし始めると、扉がノックされる。



 コンコンコン……。



「サクセス様? 音がしましたが起きていますか?」



 どうやら俺の部屋に来たのはイーゼらしい。

 こんな朝早くからどうしたのだろうか?


「あぁ、起きてる。」


「中に入ってもいいですか?」


「あぁ、いいよ。」



 俺の声には、やはり感情の色が感じられない。


 イーゼはドアを開けて中にいる俺を見ると、その口を両手で覆った。

 多分、俺の変化に驚いたのだろう。

 こんなイーゼの顔、初めて見るな。

 まぁ、どうでもいいが。


 続けて奥で簀巻きにされているワイフマン達を見て、イーゼは、俺に飛び込んできた。 



「サクセス様! 何があったのですか!?」



 普段焦ったりしないイーゼが焦っている。

 そんなに俺はおかしいのだろうか?

 別に俺は、どうもない。



「大丈夫だ。何も気にすることはない。」 


「気にすることはないって……そうですか。それであの転がっているのは?」


「あれはガンダッダ一味の幹部だ。今日みんなが起きたら話す。今後の予定を話さなければならないからな。」


 俺は淡々とイーゼに説明していく。

 その声には、やはり感情がない。



「わかりました。その話については後で聞きましょう。それよりも今はサクセス様が心配です……。」



 心配?

 一体何を心配しているんだ?

 俺を心配することなんか何もない。 



「大丈夫だ、怪我はしていない。」



 俺はイーゼを軽く突き放す。 


「いいえ! サクセス様は大怪我をされてます! 何があったかはわかりませんが、私にはわかります。サクセス様は心に大きな怪我をされてます。詳しくは聞きません。けど、出来るならその傷を私が癒してあげたい……少しでもその傷を分けてもらいたい……。」


「俺の心にケガ? そんなものはない。」


「ありますわ! こんなに……こんなに傷ついて……。辛過ぎますわ!」



 イーゼが突然泣き出した。

 意味がわからない?

 


「そうか。辛いなら出ていけばいい。」


「そんな事できませんわ! 私は……私はその痛みが知りたい。いえ、代わってあげたい!」


「だから、そんな痛みなんか……あれ? なんだこれ? 涙?」



 なぜか俺の瞳から涙が溢れ出てくる。

 しかも、どうやっても止まりそうもない。

 どういうことだ?

 俺は辛くなんて……辛くなんて……ない……はずだ。 



 そんな俺をイーゼが強く抱き締めた。

 絶対放さないという気持ちが伝わってくる。

 すると、少しづつだが、俺の心に異変が現れた。

 

 そう、これは……痛みだ。


 俺の顔がイーゼの胸に埋まる。

 すると、突然俺の中で何かが爆発した!



「俺は……俺は!! 俺はぁぁぁぁ! あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ!」



「いいんです。いいんですよ、サクセス様。どうか私の胸の中で、その涙を全て流しきってください。私がその全てを拭ってみせますわ。男の子は、何度も泣いて男になるんです。だから今は……何も言わずに私の胸の中で泣いてください。どんな姿であっても、私は決してあなたを笑ったりしません。泣いてる顔も、笑っている顔も、怒っている顔も、強がっている顔も、私はサクセス様の全てを愛しております。どうか、私の前では強がらずに泣いてください。 弱い姿を見せて下さい。サクセス様は、いつも無理しすぎなんです。だから……今だけは少し休んで下さい……。」


 イーゼはそう言うと更に俺を強く抱きしめた。

 力強い抱擁なのに、俺はまるで母親の胎内にいるかのように、暖かさと柔らかさに安心していく。

 そして、胸の中の何かが解けていく。


 俺はイーゼの胸の中で思いっきり泣いた。

 情けないくらい声を出して泣いた。

 すると、不思議な事に胸の辛さは次第に消えていく。



 しばらくして俺が落ち着いてくると、イーゼは言った。 



「少しだけ……少しだけでいいので、私にその痛みを分けていただきますわ。」



 そう言うとイーゼは俺の顔を胸から離した。

 そして、俺の頭を両手で掴むと、俺の唇にそっと自分の唇を重ねる。


 俺の初めてだった……。


 ファーストキス……。


 初めてのキスはとても優しく、そして俺の涙のせいか少ししょっぱかった……。



「言いましたよね? 私はサクセス様からいただくものがあると。私が初めてサクセス様にいただくのは、サクセス様の苦しみと悲しみ……そして唇です。」



 そっとその柔らかい唇を離すと、イーゼは微笑みながらそう言った。

 キスがこんなに人を幸せにするとは思わなかった……。

 俺の初めての人はイーゼだった。



「ありがとう……イーゼ。イーゼが受け止めてくれたお陰で俺の苦しさは消えた。でも、俺……初めてだったんだぜ?」



 俺は少し照れながら話す。 



「ほんとですか? 嬉しい……。初めて……いただいちゃいました。」



 それを聞いたイーゼはイタズラっぽく笑う。

 その笑顔はとても素敵で……そして可憐だった。

 それと同時に、俺の感情が完全に元に戻ったのを感じる。


 イーゼの深い愛が俺を……俺の心を救った。


 それでも俺は、仲間には手は出さないつもりだ。

 その気持ちはこれからも変える気はない。

 だけど、少しだけなら……いいのかもしれないな。


 ありがとう、イーゼ。

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