第34話

 二年の、夏の日のことだった。僕らは夏休みの最中も次のコンクールに向けて美術室のアブラの匂いに塗れていた。

 蝉が鳴き、野球部の叫声がどこからか聞こえている。クーラーがなく、蒸し暑い。カナミがその暑さに痺れを切らして愚痴を垂らした。


「ねぇ、何でこんなに暑いのかしら。気がおかしくなるわ、これじゃあ」


「そら夏だからよ、暑くなきゃ夏じゃないだろうよ」


 ショウが返した。


「違うわよ、私が言ってるのは何で美術室がこんなに日当たりが良くて風通しの悪い場所なのってこと。真夏にここで描けなんて拷問よ、拷問」


「でも、リョウタやユウトはちゃんと集中してるじゃないか」


 びくりとした。そのとき僕は田舎の情景を描いていた。夕焼けがかかって田園に映え、納屋の前を三人の子供が駆ける情景。それはどこか遠い記憶から引き出した情景だけども、いまいちパッとしない。夕焼けの赤がどうにもしっくりこない。いくらパレットの絵の具をこねくり回しても理想からかけ離れた色が生まれる。そもそもこの題材がいかにもウケを狙った凡庸な感じもする。でもそう言っても仕方がないから少なくともこの赤は良いものにしたい。けれども何が良いかすらわからない。僕はそういう、地下に潜る螺旋階段を降っていた。

 

「集中って、本当に万全の集中かはわからないわよ。眉間に力を込めることが集中じゃないわ。きっともっと涼しい環境なら集中できると思うの、ねえ、ユウト」


「何が?」


「おい、折角描いてるやつに話しかけんなよ」


「ねえ、ユウト、調子どう?」


 最悪だよ、と余程言いたかった。僕は逃げるように笑って何も言わない。ほら、とカナミはショウに言い放って、窓辺に近づき校庭を見やった。


「こっちのほうがいくらか涼しいわね」


 僕は夕焼けを諦めた。もう、青空ということにしよう。僕にはこの赤が描けない、そんな気がした。赤という一言に凝縮された無限の赤がすべからく通りすがっていく。さも、僕には手が負えないからというように。

 夕日を重ねるはずだった下地に無機質な水色を貼り付ける。ああ、違うな、と筆をつけた瞬間にわかった。全てのバランスがいよいよ陳腐になって、もごもごと口籠るような風景になる。何が言いたいのか、それとも何も言いたくないのかわからない、そんな絵が。

 途端に背後に気配がした。寒気が走って首だけ振り向くと、フミがいた。フミはさっきまで抽象画を描いていたはずだった。なのに後ろで僕の絵を見つめていた。

 フミがそれから「へぇ」と言うまで永い時間があった。そしてその刹那の間に僕は途方もない螺旋階段をばたばたと転げ落ちた。判断の過ち、自己否定、傷心、弁護、そもそもの自尊心の問題、今まで幾度もなされた議論が一挙に掘り返された。そしてたどり着いたのは何もない、自分の閉じた殻だった。

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Colorful—カラフル— 五味千里 @chiri53

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