第16話

 父は、勝手に期待して勝手に失望する人だった。人の将来や嗜好をこうであるべきと決めつけては、そのレールから外れる人間を軽蔑していた。けれども何かものを言う訳ではない。父は無口だった。しかし無口な分、態度でその期待や失望を示していた。

 父にはベランダの椅子に腰掛けながら、煙草を永く長く吸う日課があった。ウィンストンの一ミリを右手に、無機質なビル群を遠くに眺め、時には感嘆、時には哀愁を混じえて紫煙を吐くのを僕はガラス越しに毎晩見た。父は物を言わない。けれども刻々と、人を心の底で裁いている。それを確信するのに、大した時間はいらなかった。

 そしていつしか、僕はその紫煙に含んだ微かな気持ちの輪郭を汲み取ることが第一の仕事になる。

 言い訳ではないけれど、長男という生き物は本来とっくに瓦解しているはずの家族集団を、絶妙な均衡を以って支えなければならないと自認していた。母は体裁を食い物にする戦争屋であり、和明は兄を虎視眈々と蔑める政治屋であり、父はそれらを鋭く睨み、気が向けば判決を下す裁判官だった。彼らはみな、自意識という肥大な塊を持っていた。しかしそればかりでは空中分解が訪れる。誰かが他の自意識を満たす道化にならなければ。

 母は形式さえ整えば本質は問わない人だった。一方で和明は何か自分の信じる「本質」さえ優っていれば人を見下せる人間だった。しかし父は——— 。

 父は突然、僕に無関心になった。秀才として奔走し、試験を学年トップの出来で舞い上がった僕に、父は身の凍るほど冷淡なまなざしと、機械的な賛辞を僕に送った。それが最後の通知なのか、いらい父はその目を続けている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る