第10話

 それから和明は、面白くもない前語りを始めた。竹内さんとやらが和明と同じ高校で、一つ上の部活の先輩だとか、副部長だったとか僕にとってはどうでもいい話で、心に溜まった枯葉にじわじわと火をくべられている気分だった。

 

「それで、なんだよ、本題は」


 少し語気を強めて言った。和明はその言葉を待ってたとばかりにごほんと咳ごみ、椅子に座り、足を組む。何かのCMでこういう姿勢を見た気がする。


「あの女性ひとね、俺と付き合ってるんだ」


 わずかに時が止まった。心臓の音がやけに静まって、身体のベクトルが左胸に集まる。五月の湿気が糸を引いたように冷めて、そのぶん血の巡りが加速し肌裏を駆け巡る。けれども表情はあくまでその気のないよう取り繕った。皮膚を鉄にしたイメージで、眉ひとつ動かさないよう努めたのだった。


「それは偶然だね」


 声の微かな震えがいやに気になった。舌の痺れた感じがして、左の黒目が小刻みに震えているのがわかった。しかし僕は鉄塗りの皮膚を保つのに必死だ。

 不愉快にも和明はそういう健気な気持を踏み躙るように、彼女との出逢いからデートのことまで事細かに語った。彼女は和明の教育担当で———彼女から和明に愛を告げて———初めてのキスは付き合ってから三ヶ月のことで———そこから先は覚えていない。

 しかし次第に、和明の下手くそな演劇じみたご機嫌な口調は僕の怒りや戸惑いを無関心に変えた。それは素人の描いた純文学を読んでいるようで、リアリティも特別な感情も与えられず、それ故か、「竹内秋」と彼女の間には明確な隔たり、いや隔たりどころではなく、隔たりが生じないほどの別物同士に感じられたのだ。

 顔の表情筋が緩んで、退屈そうに壁に寄りかかると、和明は天気雨のようにとたんに話をやめた。そうして外し損なった風鈴の音が煩くなる程の沈黙が流れ、母の声が一階から聞こえて、二人は従った。

 和明の表情は僕にはわからなかった。喜怒哀楽のどの感情も僕には見せなかった。そのかわり彼のぴしゃっと伸びた背中から、人を怨んで流れる血潮のような、赤紫の色がした。

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