第11話

 翌週の金曜の喫茶店、外は雨足のおかげで古いフィルムのように縦線が付け加えられていた。店内のBGMと雨音がコーヒーとミルクのように入り混じっている。画材屋は、見えなかった。

 早めに着いた僕はアメリカンコーヒーに砂糖を溶かしながら感情を整理した。一つ一つの感情にいちいち言葉を付け足した。

 その結果、彼女への感情が好意こそあれ、恋愛感情でないことがわかった。いや、わかったというよりも決めたという方が正しいのかもしれない。正直なところ、未だ浪人二ヶ月目の分際では目まぐるしい毎日にしがみつくのが精一杯で、一人の人間への感情なんてはっきりとしなかった。それはこんな雨のなか、画材屋が見えないのと同じだ。

 けれども、なぜ今から彼女と会おうという時に名前を一言訊くか迷っているのかというと、それは和明が嫌いだからということになるだろう。僕は未だに奴の語る「竹内秋」と彼女の間に相当な隔たりがあって、それを証明してやりたくなっていた。証明して、今度は僕の方から和明に、興味津々に、全くの好意の様相で「竹内秋」のことを訊いてやるのだ。


 コーヒーの砂糖が飽和して、甘ったるくなった茶色の液体を口に含んだ。口一杯にミルクチョコレートのような怠さが広がる。それはこの日に何度も味わった怠さだった。時間が随分過ぎた気がして時計を見ると店に入ってから一時間は経っていた。

 白シャツに黒エプロンをかけた店員がやってきて、最後の一口を終えたコーヒーをそそくさと下げた。僕は店員の女性と目を合わさなかったけれど、その仕草で意図は伝わり、カウンターでブレンドコーヒーとサンドイッチを頼んだ。

 空腹よりも暇潰しのために買ったサンドイッチは値段のわりに粗末な味で、チーズとハムの主張が強すぎたようだった。さらにフランスパンのはっきりとしない固さが歯を億劫にさせて、塩分過多な喉元にブレンドコーヒーを与えたら、キザな苦味が嫌気を誘った。

 僕はいよいよリュックから小説を一冊取り出して、長丁場の姿勢をとった。小説は『風の歌を聴け』で、主人公がバーで待ちぼうけをくらっている場面だった。


 それからさらに永い時が経って、嫌気も充分に溜まり、話の筋も入らなくなってきたため僕は店を出た。ブランド物のレディースショップの脇を通って、エスカレーターを下り、最短距離で出口を目指す。自動ドアがのろのろと開くと、より激しくなった雨音が鼓膜を揺らした。外はよりモノクロの世界へと移り変わって、僕は溶けるように入っていった。

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