第7話

「なに見てたの?」


 彼女はいたずらっぽい目つきで僕に訊いた。右手にコーヒーを携えて、その香りがテーブル上を行き場もなく漂流している。


「画材屋だよ。高校のとき、しょっちゅう通ってた。いい具合に古くて、いい具合に絵の具臭い画材屋」


 僕ははじめ面食らったものの、すぐにコロンビアコーヒーの匂いにほだされた。すこしかっこつけた言い方が途端に気恥ずかしさをよんだけれど、彼女はそういうのを微塵にも気にしてはいない様子で、いたいけな好奇心を瞳に抱えている。吸い込まれるような漆黒に、パールのような煌めきが潤いを与えていた。


「絵、描いていたの?」


「うん、部活で」


「何、描いていたの?」


「……風景とか、人物を、アブラとか、水彩で、少し」


「少しって、どのくらい?」


「……高校の、三年間だけ」


 彼女は徐々に前のめりになって会話にはいっていった。いや、会話というよりただの質問攻めに近くて、赴任したばかりの若い教師に近寄る生徒のようだった。

 やがて彼女のコーヒーから湯気がひき、店内の客層もがらっと変わっていた。けれども彼女の熱は冷める様子はなく、かわりにその頬はさくらんぼのように火照っている。目をしっかりと見開いて、時々考え込むように左上をみては洪水のようにたちまち質問攻めを繰り返した。

 僕は沢山のことをしゃべった。絵のこと、高校のこと、家族のこと。暗い話も多くなったけれど、彼女はそのたびに顔を鮮やかに紅くさせて頷いていた。


「……それで市原くんは、自分を認めない家族への当てつけで浪人したってこと?」


「うん、まあ、そういう感じ、だと思う。勿論、それだけじゃないと思うけど」


「それ以外だと、なに?」


「よくわからない」


 僕にはよくあることなんだけれど、人と話しているうちに僕は僕のことがよくわからなくなることがある。相手が僕の話を聞いて、僕を解説していくうちに僕の中でひび割れのような矛盾が広がって、そのひび割れが怖いから「よくわからない」の箱に押し留めてしまう。そのときの僕の顔は、多分、怯えたような、それか、懇願するような情けない顔なのだと思う。

 僕の怯えか懇願かが届いたのか、彼女は「ふーん」といって、冷めたコーヒーを飲み干した。顔はすっかり元の白さに戻って、目の開きも普段通りだった。

 僕は安堵に近い心地で、「そろそろ出よう」と切り出した。彼女もそれに同意して、店を出る準備をする。安っぽいパーカーの腹あたりにコーヒーの黒が拭いた後もなくくっきりと染み付いていた。

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