第25話 【闇】に堕ちた自分の部屋の中で

 一人の人間の話をしよう。


 不正行為チートに手を染め、夢見る憐れな素人に、現実を教えてやる『ヒトデナシ』の話だ。


 このセイグリッド・ウォーはプレイヤー同士の仮想空間、仮装擬体での殺し合いだ。だから、当然――どいつもこいつも目の前にいる奴は、本当に生きているプレイヤー人間だ。


 現実ではどこかに存在し、誰かと話し、そして未来ゆめを持っているのだろう。

 だが、俺は違う。

 粘着質な俺は――そんな生者の足を掴み、この地の底まで引きずり込む。


 この目の前にいるものが人間だと、ちゃんと自覚できるようになったのはいつからだろうか。ありとあらゆるものに人間がかかわっていると自覚したのはいつからだろうか。


 机に置いてある本も、用意された食事の素材にも、このマウスにも、キーボードにも、目の前にあるありとあらゆるものに『人間』が関わっている。


 そう考えると、自分がいかにちっぽけな存在であることを突き付けられるようだった。

 自分が成すことなんて、きっとそうやって意識しないとわからない程度のことしかできないんだろうと――今の俺は自覚している。


「そもそも初め、俺はゲームなんてものに興味はなかった。子供ガキがプロゲーマーだの、動画配信者だのに憧れている時代――そんなことにも興味はなかった」


 幸運なのか、自分には見てわかるほどの金があった。退屈をもてあますほどの長い時間があった。

 そして更に、他人よりも優れた何かが確かにあり、それが自分を特別だと証明し続けていた。


「何をしても人よりもずっとよくできた。人が苦労してできるようになるものも、特に苦労なくできたし、できなくて涙するということもなかった」


 そんな自分だったからか、周りはよく自分を頼りにした。何かと助けを求められ、何度も助けてやった。

 そんなんだから、世界は俺を中心に回っているかのようにすら感じた。


 自分はなんでもできる。なんにでもなれる。


「だから、そんなにみんなが憧れているのなら、それにすらなれるんじゃないか――と思った」


 ちょっとした気の迷いから、当時人気だったゲームを買った。何年もシリーズが続いている対戦相手をステージ蹴落として勝利を掴む格闘ゲームだ。


 その日から軽く練習をした。コンボやら立ち回りやらをネットで調べ、強キャラを選び、ネット対戦も行った。


 そしたら、やっぱりというか、思った通りというか、あっという間に周りの奴らよりうまくなった。


「そして気をよくした俺は、すぐに近くで開かれた小さなショップ大会に参加した」


 周りは頼んでもいないのに俺を応援するとついてきた。たぶん、俺に憧れていたのだろう。


「その気分は悪くなかった。間違いなく、あれが俺のピークだった」



 だが、俺は人生ではじめて、壁にぶつかった。



「なんていうことはない。よくある話なのだろう」


 その小さな大会では、ネットで推奨されていた立ち回り、自分の戦法が全く通じなかったのだ。


 あれだけ周りに通用していたコンボが、まるで赤子の手でも捻るかのように躱され、あしらわられた。


「しかも、運の悪いことに、その対戦相手は底抜けに意地が悪かった」


 ただ、あっさりと負けたのなら、俺もここまでにはならなかったのかもしれない。相手が自分が操るキャラの不利キャラだったと思う程度で済んだのかも知れない。


 だが、その相手は俺をできる限り、考え得る最大の方法で弄んだ。何度もアピールを使って煽り、とことん手を抜き、とどめを刺さずに、ただただ無意味にイジメぬいた。


 そして、応援に来た奴らにもそれは次第にバレはじめ、それでも何もできない俺に対して、奴らは勝手なことに、明らかに失望した。


 応援の声はいつしか消え、あたりは静かになった。


 そうなったら、俺にはできることは一つしか無い。


「俺は悔しさを飲み込み、自ら負けを認めた――それは、味わったことのない屈辱だった」


 だがさらに、そいつはそんな俺を見てから、確かに、明確に、俺を見てから嘲笑った。


 あの顔を、俺は一生忘れることなどないのだろう。


「――その日から自分の歯車が狂っていくのをはっきりと感じた」


 何もかもが上手くいかなくなった。

 誰も俺を頼ることはなくなった。些細なことで単純な間違い、それが何度も何度も重なった。


 もどかしさに腹が立つ。また同じことを繰り返すんじゃないあkと不安が過る。

 それが悪循環となって、俺の心を締め付け続ける。


「あれだけ自分をもてはやし、あやかっていた連中は俺からあっさり離れ、別のヒーローを探し始めた」


 俺は生まれて初めて、焦った。

 どうしようもなく気が狂いそうになった。


「だから、俺は初めて努力した。かつての自分を取り戻すために、あの日々を取り戻すために、俺は最初の間違いを正そうとした」


 寝る間を惜しんだ。あらゆる娯楽も我慢した。周りがそんな俺を変人扱いしようが、蔑もうが、耐え続けた。


 あの時、俺が負けたのは、周りにザコしかいなかったからだ。あいつらがもっとマシだったら、俺はもっと強かった。それに、あの時の俺は本気じゃなかったんだ!


 俺は自分の敗北を認めなかった。認められなかった。


「そして、俺は復讐を選んだ。もう、小さな大会なんかじゃ、受けた屈辱は割に合わない」


 小さな地方大会なんかじゃダメだ。もっと大きな、誰もが認める大会で自分の力を――価値を証明しようとした。


 そうしなければ、あの屈辱も、周りの目も、あれから失われたものをすべて取り戻せないと確信していた。


 ただ、あるべき自分の人生レールに戻れればいい。

 そうすれば、俺はまた、自分を信じて生きていける。


「だが、壁は果てしなく高かった。その大会で、自分はあっさりと敗れ、そして自分を完膚なきまでに叩きのめしたその時の相手は、さらに次の試合であっさり敗退した」


 その大会の決勝で行われた試合は自分の想像すら飛び越え、信じられないような光景の数々だった。


 まさに違う世界の――理解がついて行けない試合内容できごとだった。


「そこで俺はようやく理解した。間違っていたのは――周りでもなんでもない……俺のほうだった」


 俺は特別なんかではなく、他と変わらない平凡なものだった。

 誰にも見向きもされない、ただのモブだった。


「あらゆるものには、人が関わっている。本に載っている一文も、テレビに映る映像も、何人もの目には見えない人間が関わっている」


 だが、いつだってそれは光の中ではなく、影に潜んでいるモブだ。そんなモブは結局、光の中にいる限られた連中をあの日の俺のように眺めることしかできない。


 それを、羨ましいと、思うことしかできない。


「そう考えたら不思議なことに、大分楽になった。俺がただのモブなら、悔しく思う必要もない。そんなことは、ただ無駄なことなんだ」


 俺は今までやってきたことがどうでもよくなった。

 自分の歩んできた『人生(レール)』は、価値のないものだった。


「俺はそれに気付くことが出来た。周りの奴らがそれに気がつかないのは、俺がそんな奴らよりも少しだけ――大人だったのだろう」


 そして、どうせ自分には何もできないのなら、何もする必要はないんじゃないかと思った。


 最初に言ったが、生きるために必要な金になら、困ることはなかったからだ。

 何もしなくても、俺は生きていけたし、それが許された。



 でも、一つだけ困ったことがある。



「それは、自分にはまだまだ『時間』があるということだった。時間っていうのは、全く持って面倒で、どうしようもなく、俺には手に余るものだと感じだ」


 寝ているだけではつまらない。かといって、学ぶことも鍛えることにも意味が無いなら、俺はどうやって時間それを消費すればいいんだ?


「その時、目についたのがこの『セイグリッド・ウォー』というゲームだった」


 正直、ゲームはもうたくさんだった。考えるのも嫌だった。

 だが、脳の裏側にこびり付いた全国大会の試合の残像が、俺の脳を壊してしまっていた。


 『セイグリッド・ウォー』はたぶん、麻薬というものに近いのだろう。


 精巧な映像、プレイヤーをキルする感触に、自分の想像したように動ける体――ゲーム自体はよくあるありふれた内容なのに、それ以上の魅力がこのゲームにはあった。


 それを味わってしまった俺は、あんなに嫌いだったゲームに再び侵されていった。


 なぜこんなにも自分はこのゲームに魅入られてしまうのかを考える。

 答えは簡単に思いついた。


「たぶんそれは、このゲームにはたくさんの人が夢を見ている。かつての自分のように――夢をもって挑んでいる人がいる。どいつもこいつも、あの日の俺と同じ奴らばかりだ」


 そんな奴らを狙って俺はキルし続けた。


 当然、上手い奴らには手も足も出ないが、そうなる前の連中なら――あの日、小さな大会で俺をボコった奴のようにくらいならできる。


「そう、俺はその日からそんな夢見る身の程知らず共の『壁』になることにした。俺がやられたように、手も足も出ない連中を嘲笑い、煽り、馬鹿にした」


 目の前の相手も生きている。


 こいつらは顔も本当の名前もしらないが、それでもちゃんとこの世界に存在している生者だ。


「そんな奴らが、あの日の俺のように絶望し、狂っていくかと思うと――俺の中に得も知れぬ快感が生まれた」


 他人の想い描く理想の人生レールを外し、そのちっぽけな自分の存在を思い知らせてやる。

 なんでもできる、なんにでもなれると思っている奴に思い知らせてやる。


 俺には手に余るほどの時間がある。それなら、俺はこれからその時間をこの快感のために費やそう。


 そんなおり、初心者狩りばかりしている俺に、一通の宛先不明のメールと、プログラムが届いた。


 怪しさ満天だし、送られてきたプログラムってのが『とんでもないもの』だったので、初めは怪しみ、使おうなんて思わなかった。


 そんなものは、このまま忘れるまで無視するものだと思っていた。



『ゆ、優勝したいんです!』


 ――俺の目の前にこのゲームの世界大会で優勝したいなんて、はっきりと言葉にする奴が現れるまでは。


 そいつは、まるで、あの日、小さなゲーム大会で無謀にも挑む、世間知らずな俺そのものだった。


 こいつは自分を信じていた。自分はやるんだ、やれるんだと思いあがっていた。


「新たな目標オモチャができた」


 俺は衝動的に、そのプログラムを使ってみた。


 使ってみるとわかることだが、こいつはすごくいい。これがあれば、条件さえ見たせば、俺は上級者にだって負けはしない。


 世界中の化け物が蠢くこの世界(ゲーム)で、恥知らずにも、あの日の俺のように「優勝する」なんて夢を見ている奴がいる。


 だからこそ、見たくなった。


「こいつが絶望する姿が見たい――何もできず、嬲られるあの時の『俺』のような姿をみたい」


 そして思い知るんだ。この世界には光り輝く奴らと、そうじゃない負け犬がいる。

 そして、こいつはどう見ても、間違いなく俺側の人間だ。


 俺にはお前のすべてが『見えて』いる。



 ゆっくりとジョン・ドゥのいた場所まで辿り着く。

 ここにきて、あいつは負ける恐怖から自暴自棄になって、迷宮の壁に銃弾を撃ちまくっていた。


 今、奴の残弾は間違いなく『0』。予備カートリッジされも使い果たした。時限式手榴弾が一つ残っているようだが、それももうない。


 それは、この壮絶な壁の後が『証拠』だ。

 そこでなにかの音が聞こえる。籠もった音だ。


 だが、耳を澄ませば、確かにピッ、ピッ、ピッと一定の間隔で鳴っている。


「……なんの音だ?」


 俺は余裕から、出さなくてもいい声を出す。

 音はこの迷宮のひび割れた壁からしている。


 そっと持っていたアサルトライフルの先で壁に触れると――あっさりと表面が崩れた。


「こいつは!」


 それは先ほど奴がデコイに紛れるために投げた時限式の手榴弾が『埋め込まれていた』。


「こいつ、この迷宮で『トラップ』をしかけやが――」


 タイマーが0になり、そいつは爆発する。

 俺はその爆発を、真面に受けた。


 こんな初見の誰も入り込んだことのない入り組んだ迷宮の壁の中に爆弾を仕掛けるだとっ!? こいつ、このどこから湧いたかもわからねぇ、セオリーでもなんでもない、突飛な発想に、この俺が――!


「……やられたとったと思ったかぁ!? お前の手なんて見え見えなんだよ!」


 爆発に対して、俺はリアクションをやめる。


 この光景は俺にはすべて見えていた。

 奴が最後の爆弾をここに仕掛ける事さえも、わかっていた!


 爆発を俺は『正面』で受けた。受ければアーマー損傷は免れないほどの衝撃。

 だが全く問題ない。こんな時のために持ってきたとっておきのオプションアイテムがある。


『電磁フィールド――展開!』


 そのオプションはコストが重く、こいつを装備に積めば他のサブウェポンもハンドガンも、積めなくなるリスクがある。


 俺の目の前に見えない電磁の壁が展開され、それが爆発を吸収し、消失する。


 ダメージをやや受けきれずに、僅かに胸の装甲が砕け、消失したが、それも僅かだ。こんなの気にするほどのものでもない。


 『電磁フィールド』――展開するにはコマンドが入り、その際に武器の構えが一時的に解かれてしまうハンデがある代物であり、よく盾兵が陣地詰めに使うようなピーキー装備。


 遊撃兵がこんなもんを積むなんて、ど素人のすることらしいが――だからこそ、奴の最後の最後の仕掛けを躱し、『嘲笑う』にはこれ以上のものはない。


「これで本当にお前の切り札は尽きた! もうお前に俺を殺せる武器はねぇ! 俺の勝ちだ!」


 俺には見えている。奴は今、どっかの壁に向かって項垂れている。

 その手に残弾のなくなった銃を握りしめ、俯きながら奇跡を祈っている。


 すぐに俺がこの『アサルトライフルカラシニコフ』で処刑してやる。


 その時、奴が泣き叫んで命乞いするか?

 それともあの日の俺のように惨めにサレンダー降参するか?


 あぁ……見たい! 見たい! 見たい! 見たい!

 俺は、その姿が見たい!


「さぁ、テメェの――絶望の顔を――あの日の俺の表情を、見せろ!」



 それはきっと、あの日の俺を、肯定してくれるはずだ。

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