第7話 本当の自分の【願】いとは

 陽の沈みかけた教室で、僕はいつのまにか自分音席に座っていた。


「あれ、本田君? まだ残ってたんだね」

 ここまでどうやって来たのか、それまで何を考えていたのか、まったく覚えていない。


 これも、あのゲームで受けた『死』のショックの後遺症だろうか? だとしたら、笑える話だよね。ゲームでキルされかけたからって、ホントに死ぬと錯覚して、怖がるなんて……。


「……松田さん。どうしたの? こんな時間まで」

 気付けば、松田さんは体育出来るジャージとは違う運動着で、小さな肩には何かを背負っている。


「わたし? 部活が終わったから帰ろうとしたんだけど、教室に忘れ物しちゃって――ほら、数学の宿題のプリントだよ」


 松田さんがひらひらと机に仕舞われたプリントをはためかせる。


 あぁ、そういえば僕も忘れていた。一年の数学の先生はご年配(おじいちゃん)で、未だに授業もデバイスじゃなくて、ホワイトボードとペンで行う先生なんだった。


「本田君こそ、あの同好会の試験を受けにいったんじゃなかったの?」

 ズキリと何かトゲのようなものが胸に刺さる。


 返しがっついているのか引っ張っても抜けず、忘れようとすれば、あの言葉が蘇って、痛むばかりだ。


「あぁ……うん。でも、合格しなかったんだ……」

 あからさまにがっかりした僕の様子に松田さんも困ったようにする。


「そ、そうなんだ! 同好会なのに厳しいんだね……」

 そもそも同好会なんだからと甘えがあったのかもしれない。正式な部活ですら僕なんかを受け入れてくれるところなんてありそうにないのに、どうして同好会なら僕を受け入れてくれるんじゃないかと、期待したのだろうか。


 僕はそんな人間じゃない。

 それはあの夏の日に思い知ったはずじゃないか。

 誰かに受け入れて貰えるなんて、いつから僕は自分に期待なんてしていたんだろうか?


「そ、そうだ! じゃあ……さ。よかったら私と一緒の部活に入らない?」

 松田さんが、そんな僕の手を引いた。


 体育館棟の四階では、バスケコート二つ分の広さをネットで二つに分けられている。

 奥のネット越しではバレー部と思われる先輩達がサーブやレシーブなど各々が練習している。

 その手前は、もう部活を終えたのだろうか。ガランと空いており、誰もいない。


「バトミントン?」

 僕はそこで松田さんから道具を受け取る。


「そう。これがラケットで、こっちがシャトルだよ」

 貸してくれた白いフレームに、ピンクのグリップラケットを握る。


 新品なのか、巻かれたテーピングもまだ綺麗だし、中学の時に授業でやったテニスのラケットとは違って、凄く軽い。非力な僕でも十分に振り抜けそうだ。


「それでね、この白い線がコートなの。この内側に立って、こうやってシャトルをラケットで弾くの!」


 松田さんが流れるようにラケットを振ると、気持ちよくシャトルが高く跳び、ゆっくりと地面に向かって落ちてくる。

 松田さんのシャトルは、相手側のコートの白い線の上にまるで狙ったように落ちた。


「ね、結構簡単に飛ぶでしょ? それにコートもそんなに広くないの。テニスみたいに力や脚力が最初から必要なわけじゃないし、慣れれば簡単だよ」


 そう言って今度は松田さんが僕の手にそっと触れる。


「まずはね、シェイクハンドがこうやって握手するみたいに握って、反対側で打つときはバックハンドって言って、こんな風に――」

「えっと……こうかな?」


 教えられたとおり、シャイクハンドとバックハンドの手を松田さんに見せる。


「うん! でもバックハンドは親指を立てて力を入れやすいようにしたほうがいいよ。こういう風に……」

 と僕の指を丁寧に触って握り肩を教えてくれる。


 松田さんの手の指は細くて綺麗だけど、手のひらに少しだけマメが出来ていた。


「じゃあ、シャトルを打ってみようか! 最初は下からこうやって、思いっきり叩くの。布団叩きってあるでしょ? あんな感じで布団から気持ちのいい音が出るようなイメージでバシッってやるといいよ!」


 そう言って松田さんは僕の反対側のコート立って先ほどよりも高くシャトルを打ち上げた。


「こう……かな?」

 僕は見様見真似で言われたとおりラケットを振りかぶり落ちてくるシャトルに合わせて、振り抜いた。


 『ビュン』っと気持ちの良い風斬り音が鳴り、パンッと弾けるような音がシャトルからすると、白い羽が大きく飛ぶ。


「あれ? なんかまっすぐ飛んでいかないなや……」

 思った方向ではなかったが、高く飛んだシャトルは松田さんから大きく左に逸れた。


「すごいすごい! 最初から当ててそれにあんなに高く飛ばせるなんてスゴイよ。センスあるよ!」

 そのシャトルを松田さんは難なく落下点で待ち構えると僕の方に向かって先ほどのように高く返してくれる。


 僕はそれになんとか答えようと、同じようにシャトルに向かってラケットを振り抜く。


「きっとすぐにうまくなるよ。本田君って、よく見たら手足も長くて大きいから、きっと背も伸びるね!」

 こんなに前向きに、僕のことを褒めてくれるのはいつぶりだろうか。


「ふぅ……大丈夫?」

 数十回程度のラリーで僕は肩で息をするようになり、腕がピリピリと痛んだ。


「……ちょっとだけなのに腕も足も痛いや」

 無駄な力が多いのか、松田さんが丁寧に僕の方へ返してくれるのに振り抜いた腕や踏ん張ったふくらはぎが痛い。


「明日は筋肉痛になっちゃうね。だけど、しばらくしたら治るし、練習を続けたら筋肉痛にもならなくなるよ」


 楽なスポーツなのかなとも思ったけど結構キツい競技だ。春なのに締め切った体育館の中だから蒸してるし、シャトルを松田さんのように大きく飛ばすには、もっと筋力だって必要だ。


 でも、シャトルを打ち抜いた時の音は爽快だし、無心でラケットを振ると自分のことが気にならなくなる。


「ねぇ、本多君。一緒にバトミントンやろう! 実はバトミントン部って部員が少なくて廃部寸前なの」


 そういえば、クラスでもバドミントン部の子って松田さん以外にいなかったような……。


「それに、私一度でいいから男の子と交じって『混合ダブルス(ミックス)』をやりたかったの」


 それは、聞いたことある。確か日本の選手がその種目でメダルを取ったってニュースでやってたっけ。


「だからね、『誰でもいいから』、同い年の男子も入ってくれないかなぁって、思ってたんだ」

 その言葉に再び胸が締め付けられる。


『誰でもいい場所を見つけて、そこで穏やかに過ごせばいいさ』

 山葉先輩の言葉が、頭の中で再生される。


「どうしたの? 本多君?」

 松田さんがきっと青くなった僕の顔を心配そうに見つめる。僕はそんな顔をさせまいと、笑って見せた。


 松田さんは悪気があって言ったわけじゃない。僕に余計なプレッシャーをかけさせまいと言ってくれたんだ。


 よく考えれば、それが一番気楽じゃないか。


 誰でも良いのだから、松田さんにも妙な期待を持たせる訳じゃない。松田さんは運動が苦手な僕でも良いと言ってくれてるんだ。


「部活勧誘期間まではまだ一週間くらいあるし、急がなくてもいいから――よかったら、考えてみて。どうするか決めたら、ちゃんと私に言ってね。約束だよ?」


 松田さんはきっと優しい女の子だ。

 きっと僕以外にも優しい女の子なんだろう。

 そんな彼女の学園生活の、僅かな楽しみになれるのなら、僕にとっては有り余る役割のはずだ。


「……ありがとう。松田さん」

 僕はまた、彼女にお礼を言った。



「へぇ、バドミントンって世界最速のスポーツって言われてるんだ……」


 帰って早々、僕はデバイスでバドミントンの動画を漁った。バドミントンは一見テニスよりも簡単そうに見えるが、全くの別物のようだ。


「男子のスマッシュの速度はギネスで時速500K近いなんて……しかもそれをコントロールして相手のいないところに打ち込むんだから、更にすごいよな」


 でも、その速度は銃弾ほどじゃない。

 あの先輩達は、きっと僕を試すためにいろいろ泳がせてたんだろうな。

 だから、あえて頭部だけ狙って止めを指さなかったり、何十分も追いかけ回して少しずつアーマーを削ったりしたんだろうな。


 明らかに手を抜かれていたんだ。試されていたんだ。


「何も……できなかったな……」

 僕には技術も、感性も、経験もなかったし、それに覚悟も足りなかった。


 そして、先輩達にはそれらすべてがあった。


「セイグリッド・ウォー……」

 無意識に僕は動画サイトの検索バーにその言葉を叩く。


「なにやってんだ僕は――松田さんがせっかく誘ってくれたんじゃないか」

 僕がバドミントン部に入れば、少なくとも松田さんのためにはなる。


 あんな同好会に入ったって、プロゲーマーが一番注目してるゲームで優勝なんてできるわけない。


「先輩たちは確かにすごかったけど――僕なんかよりも全然うまいし、すごかったけど――」

 画面に溢れ出したのはセイグリッド・ウォーの大会記録やプレイ動画の数々だ。



(こんなの見るな――調べるな――)



 AMANOGAWA(大手通販サイト)で教えて貰ったメーカーの、僕でも買えるラケットを探して、欲しいものリストに入れて、どれかおすすめか松田さんに相談しよう。


 部費も少しかかるらしいから、いくつかやり終わったゲームソフトを売ってしまおう。

 バドミントンを始めたら、ゲームはしばらくできなくなるし、夏に予約してたのも育成ゲームもキャンセルしよう。


 そんな気持ちとは裏腹に、僕の手は数々の動画を再生させ、僕の目はその実況プレイ動画に向けられた。


「なんだこれ……超遠距離スナイプなんて書いてあるけど、たった2000mじゃん」

 あの黒マントの機械兵スナイパーは、これの倍以上の長距離レンジだった。それをヘッドショットしたんだ。


「なんだよ、この耐久追いかけっこレースって……鬼役の人たった三分で逃げられてるし……」


 あの白偵兵(偵察兵)は、僕を十分以上追いかけ続けてたんだぞ。何度も何度も角を曲がって、走り回って、それでも全く僕の姿を見失うことなどなかった。


「なんだよ『孔明の罠』って……こんなのただの偶然じゃないか……」

 あのピエロ兵(指揮官)は僕を完全に読み切ってた。


 それも素人であるはずの僕を、初めて会った僕の行動心理を完全に読み切ってたんだ。


「この人達より、あの先輩たちのほうがすごかった。あの先輩たちのほうが――」


 この動画の実況者達はみんなクリエイターで、エンターテイナーだ。

 視聴者を楽しませようとおちゃらけてみたり、オチを付けていた。素人目線でも、雑なところも多いし、声から真剣味も足りない。


「そうだ、この動画の人達より、ずっとずっと強い。あの先輩たちは――本物だった」


 あの人達は本気だった。本気でこの世界中が注目しているゲームで優勝しようとしているんだ。

 あんな人の『目』を――僕は一度も見たことがなかった。


「……もうやめよう。諦めよう。僕には結局無理なんだ」


 そんな人達に対して、僕には何ができる?

 技術もない、経験も、感性も、覚悟すら足りない僕に、


「僕はヒーローなんかじゃない。何もできないって……ずっと前に思い知ったじゃないか」


 子供の頃、夏の日。僕は四人の男子に虐められていた女の子を見つけた。


 正義のヒーローを気取り殴りかかって、返り討ちに遭った。

 何発も殴られ、蹴られ、僕は無様に倒れた。


 女の子はその間、ずっとずっと泣いていた。


 その時、思い知ったじゃないか。


「僕なんかじゃ、誰かの、なんの力にもなれない」


 画面が滲む。

 涙が零れ、溢れて――拭っても拭っても、止まってくれない。


「僕は『主人公』じゃない」


 それなら、もう、しょうがないじゃないか。

 今日の、あの試験のことは忘れよう。忘れてしまおう。


 そうすれば、またあの日常に戻れる。いや、それよりももっと楽しいことが待っているかも知れない。



 そうだ……だから……だから――



「うあああああああああああ!」


 僕は押さえ込んでいたものを我慢せずに吐き出した。

 そうすればきっと楽になれるだとか、吹っ切れると考えたわけじゃない。


 ただ、衝動的に、ただ本能的に叫ぶしかなかった。


「変わりたい! こんな風に諦めたくない! こんな人生変えたい!」

 負けて、諦めて、捨てて――そればっかりの人生なんてもう嫌だ。


「もう一人で納得するなんて嫌だ!」

 自分に言い聞かせて、諦める理由を並べるのは嫌だ。


「もう一人で解決するなんて嫌だ!」

 自分に都合の良いことばかり揃えて、それが一番良い選択なんだと思い込むのは嫌だ。


「誰に否定されたっていい!」

 認められなくても構わない。僕には足りないものだらけでもいい。


「だけど――だけど――!」

 こんな僕にも、一つだけ譲りたくないものがある。


 たった一つだけ取り戻したいものがある。

 それは、あの夏の日に僕が捨ててしまったもの。


 本当は捨ててはいけなかった――大切なもの。


「誰でもない、僕が……こんな僕を――認められるようになりたい……」


 絞り出すような声で、本心が口から零れた。

 僕はベッドを何度も何度も強く叩き、叫んだ。


 その衝撃で鞄が落ち、教科書デバイスと一緒に、あるはずのない、『あるもの』が落ちた。


「え……どうして……僕のバックから……」

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