第40話

 間接の回路がショートした〈プロスペクター〉は、ぼくの言うことを全く聞かず、瓦礫に埋もれたまま這い出ることもできない。機体を復旧するために、思いつく限りのことを試みる。スラスターのフル稼働。インターフェースの初期化。だけど……だけど〈プロスペクター〉は起き上がらない。コンソールを拳で叩く。コクピットにその音が反響するだけで、〈プロスペクター〉は指一つ動かさない。

「誰かあいつを……アッシュを止めてくれ!」

 光の筋が〈ファントム〉の進路に向かって伸びる。光の筋は数百キロメートルもの距離を一瞬で駆け抜けた。避けてくれ。ぼくは祈ったが、センサーを確認すると、光の筋が通った後には残骸一つ残っていなかった。

「命は呆気ないなあ、カイル」

 ぼくには言い返す気力もない。どうしたら〈プロスペクター〉を動かせる。アッシュを出し抜くには。考えるべきことは山ほどあるのに、ぼくの視線は空の一点を見つめ、そこに居たはずの人たちとの思い出が頭を過ってばかりだ。

〈エディ! ……フランシス!〉クレアが〈ファントム〉に向かって叫ぶ声が聞こえる。

 ぼくはいつだって、目指していたものに手が届かなかった。今までずっと。責任感を持とうとした。仲間に貢献しようとした。手を抜いたことはない。だけど……だけど、今回もまた。

 ぼくは〈プロスペクター〉の代わりに手を伸ばした。涙で視界が滲み、そうかと思えば瞬きの度に〈ファントム〉の船影に、ぼくの手が届かなかったものたちが重なっていく。マクスウェル。〈ミグラトリー〉。クレア。それから現れたのは……ウォルターだ。

〈誰が呆気ないって?〉

 コクピットに声が響く。ぼくの良く知る声が。

 大地が揺れる。揺れは次第に大きくなって、〈スフィア〉全体を……いや、一帯の空間全てが震えているんだ。

 揺りかご型の構造物があった場所。〈グリッター〉の足元が虹色に輝く。その輝きの中から、まず船嘴が現れた。それから、船首。甲板。そして、艦橋。〈ファントム〉だ。〈ファントム〉が空間を跳び越えやってきた。

 現れた〈ファントム〉はそのまま、〈グリッター〉へと突進した。

「お前たち」とアッシュは呻く。「どうやって……」

〈おい、カイル〉エディはいう。〈こいつがウォルターか?〉

「いや……それはもういいんだ。そいつは……なんていうか、アッシュだった」

〈アッシュ? 裏切り者の?〉

〈そいつのことよりも〉とクレア。〈カーゴを引っ張っていたら《ウェーブ》は使えないんじゃないの?〉

〈ああ、そうだ〉とエディ。〈だから、置いてきた〉

「置いてきた?」とぼくとクレアの声が重なる。

〈小惑星に接舷してある〉

 クレアがそういうと、アッシュが笑い声を挙げた。

「結局、お前たちも見棄てたか」

〈何いってんだ、こいつ〉とエディはいう。〈船嘴に潰されておいて。ぼくらが誰を見捨てたって? これは生存者全員の総意だよ。自分たちが助かるためだけに、ここに残った連中を見捨てることはできないって〉

 エディはいう。アッシュにではなく、ぼくとクレアに。

〈もうみんな、目の前で誰かを失うのはもう嫌なんだ〉

 エネルギーの大半を使い果たしたせいだろう。〈ファントム〉はその場に座礁した。〈ファントム〉に轢かれた〈グリッター〉も微動だにせず、海中を漂っている。

 これで、やっと終わったんだ。

〈お前たち、無事か〉

 アドルフからの音声だ。

「ああ。どうにかな」

〈そっちに《プロテージ》が向ってる〉

「一足遅かったな。こっちは片がついた――」

〈化物を取り逃した。そっちに向かってる。我々ではとても追い着けん。彼女と協力して倒してくれ〉

 その直後、ぼくの頭上を化物が通り過ぎて行った。高速で海中を泳ぐ化物は〈グリッター〉を食らうと、ぼくたちには目もくれず、一目散に逃げだしていく。

「あいつ、また身体を変えたのか?」

〈カイル〉とエディがぼくを呼ぶ。〈最後はお前に任せた。お前がアッシュを仕留めろ〉

「仕留めるっていってもなあ」

 ぼくは身動き一つ取れないんだぜ?

「わたしが手伝う」〈プロテージ〉の声だ。

「それは頼もしいことでって――」駆けつけてきた〈プロテージ〉は両腕と右腕を失い、頭部も外殻が外れて中身が露出していた。

「おい、大丈夫なのか。っていうか、それで手伝うっていわれても」

〈プロテージ〉はぼくの傍に倒れ込んだ。

「自己修復中。二十三時間後に再飛行可能」

「そんなに待てないぞ」

 なんていっていると、〈プロテージ〉の周囲の水が白く濁り始めた。濁った水はぼくの〈プロスペクター〉を包み込む。水中に溶けた銀粉が菌糸状の触手になって〈プロスペクター〉の表面を這ったあと、欠けた腕を補うように両腕を形成し、失った脚を補うように八本の足を形成した。

〈何、その格好〉とクレア。〈気持ち悪っ〉

〈ちょっと、わたしが整備した《プロスペクター》になんてことを!〉と悲鳴を挙げたのはフランシスだ。

「この外見、酷く受けが悪いんだけど」とぼくは〈プロテージ〉に抗議する。

「その機体が搭載する制御システムで操縦可能な水中可動の最適解」

 そういわれてしまったら、もう何の文句もいえないけれど。

 推進器に点火するペダルを踏むと、八本の足が屈伸して水を漕ぎ始めた。両腕も関節はないが動作と照準が同期している。微妙な感覚の差異により普段通りとはいかないものの。調子は上々だ。

 新しい脚のおかげで、アッシュにはすぐ追い着くことができた。

「ぼくたちはもうここにいるんだよ。あんたの頭の中でも、理想の中でもない。宇宙の真ん中にいて、あんたとは違う考えを持って生きている。だから、誰もあんたの理想にはなれないし、どこにもあんたの理想はない」

〈それはお前たちが不完全なせいだ。安定に退屈し、完璧に納得しない〉

 アッシュは海底に降下し、自前の触手で瓦礫から鋭利に尖る部品を掴むと、ぼくの腹を突き刺そう構えた。

〈次に生み出す人類こそは、わたしを理解する――〉

「それが本音か」

 ぼくの意思を感じ取って〈プロスペクター〉の右腕が長槍に変形する。

「あんたはクルーを裏切ったから、誰にも自分の決断を肯定してもらえなかった。だから、証明し続けるしかなかったんだろう? あのときの自分の決断が間違っていなかったってことを。自分自身が納得できるまで。自分で自分を赦せる日が来るまで」

 アッシュは掴んだ瓦礫を振り被って放り投げた。その直前、〈プロスペクター〉の脚は漕ぐ方向を変え、横に跳ぶ。アッシュが投げた瓦礫は〈プロスペクター〉のすぐ脇を通り過ぎた。

「だけど、過去は変えられない」

 多脚がぼくの背後で回転翼のように回り、横へと飛んだ機体の姿勢を制御する。そして今度は、蕾のように脚の先端を重ね、そこに銀粉を溜めると、頭足網が水を蹴るように、勢い良く脚を伸ばした。

 超高速に乗って、ぼくは槍をアッシュの胸に突き立ている。しかし、その先端は……僅かに急所に届かなかった。

「大口を叩いても、この程度――」

「まだだ!」

 白銀の多足が霧散し、ぼくの背後で再集結する。そうして粒子が象ったのは――白銀の巨人だ。

 遥か昔の争いに敗れ、〈プロテージ〉の主人たちは種として絶滅してしまったらしい。だから、彼女はぼくたちに手を貸したところで復権はおろか復活も在り得ない。それにも関わらず、〈プロテージ〉は……彼女の腕は〈プロスぺクター〉を支えている。

 この腕は……ぼくたちを支えるこの腕は、これから冒険を始めようとしたぼくたちを支える意思に他ならない。

「粋がるなよ。小僧。所詮、それは借りた手だ」

「お前こそ、見くびるなよ」

「何?」

「目指すと誓った意思の力を。これが……ぼくたちの声に応えてくれた声さ」

 槍に込められた、渾身の一撃が……アッシュの心臓を貫く。

 やった。やったぞ。今度こそ。

 しかし、その反動が仇になったのか。〈プロスペクター〉のコクピットに亀裂が入り、浸水が始まった。脱出しなければ。だけど、ぼくの身体はもう碌に動かない。

 ああ、もう。視界がぼやけていく。

 水の流れる音を聞いたのが最後に、ぼくは気を失った。

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