第39話
〈プロテージ〉が指定した地点。半月型の揺り籠みたいな構造物の中心に、チューブで構造物と接続された「何か」が浮かんでいた。「何か」はぼくたちが近づくと、それを感知してなのか。半月型の構造物から十数本もの機械の触手が伸びてきた。
「何か」を近くで観測するとぼくは既視感を覚えた。輪郭に……面影がある。こいつは〈グリッター〉だ。あのとき化物が飲み込んだ、〈グリッター〉の核。手足もなければ、頭さえないが、〈赤いゲル(エーテル)〉の中にいたあいつだ。
「独りで来たか。カイル」
ウォルターの声。
〈なあにが独りよ!〉
〈グリッター〉の背後から〈スイマー〉が飛び出して、機銃を掃射した。しかし、物陰から現れた〈コントラクター〉の虫たちが、ウォルターの背後に群がって、自分を犠牲に銃弾を遮ってしまった。
〈こいつら、手を組んだの?〉
「……多分、操られてるんだ」
敵味方の識別を欺瞞するためか、あるいはあの核が〈コントラクター〉の兵器を統合的に管理できるシステムなのか。いずれにせよ、あれの身体に精神を移し込んだことによって、あいつは〈コントラクター〉の兵器を掌握したに違いない。最初に見つけたあの動かない奴は、こいつの抜け殻だったんだ。
「アルドリッチ家の生き残りか」
こいつ……クレアのことを知っている?
海底から機械の触手が伸びてきて、〈スイマー〉に掴みかかる。〈スイマー〉は器用にそれを避けてみせるが、敵機との距離が開き、奇襲のアドバンテージを失ってしまった。
「だが……他のクルーはお前を見捨てたのだろう?」
ウォルターの声をした〈グリッター〉は哂う。
「所詮、恐怖を前に、人は簡単に人を裏切る」
ウォルターは恨んでいたのか? 自分一人が犠牲になったこと。結局はみんな自分と共に残ってくれるはずだと信じていたのに、運命を共にしようといい出すものは現れず、自分を犠牲にぼくたちが前へ進みだしたことを。
「ぼくは……残ろうとしたんだ。置き去りになんて、したくなかった」
「口は何とでもいえるんだよ。カイル」
そのとき、ウォルターの声が変わったことにぼくは気づいた。
「お前たちはわたしと同じなんだ、カイル」
「お前……何者なんだ」
〈わたしには解かったわ〉
態勢を整えた〈スイマー〉が再び〈グリッター〉に接近する。
〈あなた……アッシュね〉
「アッシュ……こいつが?」
〈《プロテージ》がいっていたでしょう! アッシュが《コントラクター》と契約したって。彼らのことを知る機会があったのは《ミグラトリー》において、こいつだけ〉
機械の触手の隙間を縫うように〈スイマー〉は〈グリッター〉……アッシュに接近し、尾のアームを構える。
〈カイルたちが一致団結して旅を始めようとするのが許せなかったんでしょう〉
アッシュに迫る〈スイマー〉の背後から
〈……いいえ。許せなかったのはカイルたちじゃない。自分自身ね〉
「小娘が知った風な口を効くな!」
機械の触手が高速回転し、渦を発生させ、その水流で〈スイマー〉を押し流した。
「わたしがわたしを許せない? 何を馬鹿な。わたしは生き残ったんだぞ。トム船長の無謀な方針のせいで犠牲が増える中、わたしは生き残った」
こいつ……やっぱり……。
「わたしだけが生き残ったのだ!」
アッシュの怒声と共に、〈グリッター〉を中心に渦が生じた。大きな……大きな渦だ。〈プロスペクター〉のモニターに納まり切らず、見上げてなお足りない。渦は海底から瓦礫を巻き上げ、辺りに散らす。これでは近づくことはおろか、姿を視認することさえままならない。〈アトラクト〉で引き寄せる? ダメだ。放出した傍から水流に流されてしまう。
「だから、あんたはぼくたちに選ばせたのか。生存者か自分たちの命か」
「まさか、どちらも選べない愚か者だとは思わなかったがな」
渦の勢いが時間と共に増していき、大きさも勢いに伴い肥大化していく。
「つくづく、愚かだよ。お前も、あの男(船長)も!」
アッシュを中心にした大渦の周囲から小さな――小さなといっても〈プロスペクター〉よりは遥かに巨大な――渦がいくつも巻き起こり、ぼくたちに押し寄せる。立ち止まっていても埒が明かない。アッシュを中心にした渦は尚も拡大を続けている。ぼくは渦が巻きあげる瓦礫をかわしながら、中心部を目指す。大丈夫。やれるはずだ。自分にいい聞かせる。ぼくは〈夢の後先〉を突破してみせた。あいつらと共に。ウォルター。マクスウェル。ぼくは……ぼくはやってみせるぞ。
渦は海底の方が細い。そして、渦が持ち上げられない重い瓦礫は舞っている瓦礫を防ぐ遮蔽物になる。アッシュを中心にした巨大な渦も海底の瓦礫の陰を通れば突破できるかもしれない。
「あんた、どうして〈ミグラトリー〉なんか造って人間を飼ってきた」
黙っていると、こちらが何か企んでいることを勘づかれてしまう。癇に障ることをいって、アッシュの注意を削ぎたいところだ。
「食うものは残っていない。吸える空気さえ尽きかけた。そんな状況で見る宇宙が何色に見えるか。お前に想像できるか」とエディはいった。
「あんたの船旅は散々だったらしいな。『間抜けなトム船長(あの話)』、あんたが流したのか?」
「教訓のつもりだよ。苦労した者には、それを後の世に伝える義務がある」
「いつも自分が正しかったと自慢したかっただけなんじゃないか?」
一歩。一歩。荒れ狂う渦の中を突き進む。採掘機である〈プロスペクター〉の足には、小惑星の表面に取りつくための、スパイクがついている。それを海底や瓦礫に突き立て、一歩……また一歩と慎重に進む。
「その程度にしか読み取れなかったお前たちだから、馬鹿げた旅など企てたんだ」
アッシュの相手も忘れてはならない。
「案外、見える世界があんただけ違うのかもしれないぞ」
「そうだな」アッシュはいう。「わたしにはお前たちには見えていないものが見えている」
遂にぼくは、渦を抜けた! 物陰に潜みながら〈グリッター〉の位置を確認する。いた。先程と同じ。揺りかご型の構造物にチューブで繋がれたまま、そこにいる。
「暗い。無数の輝きは辺り一面にあるのいうのに、どれにも手が届かない。生き抜く算段を立てる。しかし、それが何だというのだ。こんな、こんな状況において。終わることそれ自体をどうにもできないというのに。飢えても、飽きても、恐怖が続くだけ。暗い。確かだった安全は、遥か遠くに置き去りにしてしまった」
この期に及んで動かないということは、あいつ、あそこから動けないんだな。
「睡魔で頭がぼやけるたび、もう二度と目覚めないのではと恐怖に駆られる」アッシュは語り続けた。「眠れなくなった。無駄な時間が続いていく。母星にいたら、どれだけ生産的なことができたか」
「クレア!」ぼくは〈スイマー〉と通信を繋ぐ。「渦を抜けたぞ」
〈こっちも跳び越えた〉
「跳び越えた?」
〈水面から、ぴょんと〉
「ぴょんと?」
〈ええ〉
……そっちの方が楽そうだな。
「お前たちは」アッシュはいう。「まだ試されていない。だから、見えぬのだ。この宇宙の本質が」
突然、地中から金属の触手が飛び出してきて、〈プロスペクター〉の足を握り潰す。
「どこまでも、この宇宙(そら)は不完全だった」アッシュはいう。「真空の暗黒世界は、ちっぽけな生命さえ許容できない」
アッシュはぼくを見下ろした。
「だから、人には〈ミグラトリー〉が必要なのだ」
金属の触手が〈プロスペクター〉の両腕を粉砕する。
「必要? お前は〈ミグラトリー〉を見殺しにした!」
「お前たちが未だ不完全だと発覚したからなあ」
四肢を砕かれた〈プロスペクター〉は仰向けになって海底に沈む。沈んだまま、どうすることもできない。水面の向こう。天井に映し出された宇宙。次はどこを壊してやろうかと待機する機械の触手。ぼくに考えられるのか、これから自分がどうなるかじゃない。生き残った人たちのこと。助けられなかった人たちのこと。これから助けようとしている人たちのこと。共に戦っている仲間。つまり――。
アッシュが「不完全」と見下した人たちのこと。
「あんたの思い通りにならなかったら、みんな出来損ないか?」
「その目も、口も、耳も。声さえも。わたしがいなければ、お前たちはこの世に存在することもなかった」
「思い通りにならなかったのは、一人一人の生き様が、あんたの想定を越えたからだ」
ぼくは喚き散らす。
「上等じゃないか。それぞれが内に秘めた情熱と身についた能力を発揮して、あんたの思惑に抗い、自分の意思が追い求める理想に近づこうとしたんだ」
思いついた言葉の数々を捲し立てる。
「あんたがそれを馬鹿にするなら、何度だってぼくが邪魔してやるさ」
アッシュが哂う。「最期まで威勢が良かったことだけは褒めてやるよ」
機械の触手が、ぼくの〈プロスペクター〉のコクピットを狙って身構える。
「ああ、そうだろう。ぼくは喚くのと逃げ足だけが取り柄だからな」
ぼくは笑う。
「アッシュ。おかげで、あんたはぼくに夢中だ」
頭上から〈スイマー〉が迫っていることにも気づかずに。
〈スイマー〉が全身の火器を斉射する。機首の機銃を。ヒレに格納していた砲門を開く。背負ってきた榴弾を。腹に詰め込んできた炸薬を。とにかく、有りっ丈の火薬をばら蒔いた。というか、クレア。あんなものを積んできて、よくも平気で暴れ回れるもんだな。
〈スイマー〉による爆撃で揺りかご状の構造物は粉砕し、それと同時に周囲の渦も勢いを失い、消えていった。
しかし、〈グリッター〉は――アッシュは健在だった。
「アルドリッチ家の小娘が」金属の触手がクレアに向かって飛び、〈スイマー〉を捕縛する。「お前こそわたしの恩寵を甘受した家系だろう」
〈それって、馬鹿みたいに贅沢すること? そんなの、わたしは頼んだ覚えはない〉
「この宇宙のどこかに、〈ミグラトリー〉以上の暮らしがあるとでも?」
〈期待できないでしょうね〉
「ならば、どうしてお前は幸運を放棄する?」
〈この夢や希望は、あんたに与えられたものじゃないからよ〉
「やはり、お前たちは」機械の触手は〈スイマー〉の推進器を絞め壊すと、海底に放り捨てた。「次の時代を生きるのに相応しくない」
「次の時代?」
「お前たちのおかげで、わたしの邪魔をしていた連中はもういなくなった。だから、わたしはここでこれから、真の楽園を築き上げる」
天井のスクリーン越しに、〈スフィア〉のレンズが回転し、一方向に整列する。その直線上にあるのは……〈ファントム〉だ。
「おい、まさか。もう撃てるのか? 〈スフィア〉は」
「〈スフィア〉が送電していた前線基地がなくなった今、次弾の充填に時間は要らない」
アッシュはいう。
「お前は誰も選ばなかった」
アッシュはいう。
「だから、あいつらはみんな死ぬ」
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