第13話

〈カイル、見えるか?〉

 リゾート・バスを降りると、エディからの通信が届いた。〈アウター・ワールド〉内を監視しているだろう〈サークレット〉を下手に刺激しないよう、他の連中は全員現実に残っている。

〈セオドア・グランド・パレス〉のプールサイドの数百メートル上空。雲のホログラムをまとったエディの監視装置が、部下を背後に従え、一人優雅にランチを楽しむアドルフの姿を捉えた。

〈あいつら、驚くだろうね〉とフランシスの含み笑いが聞こえる。

〈お膳立てはしてやる〉とエディ。〈派手に決めてこい〉

 弦楽器の導入から始まる壮大なクラシックミュージックが響き渡る。エディは可聴範囲を過剰に設定したみたいで、音楽はエリアを跨ぎ〈アウター・ワールド〉中の空を震わせた。

 人々は空を見上げる。音楽に反応したのでない。街が陰ったからだ。明暗に反応する照明装置が夜になったと錯覚し、店の看板に照明を灯す。陽光を照り返して輝いていた海面は暗く沈み、砂浜の砂浜の輝きも失われた。

 陽を覆い隠す者。その正体は……ぼくだ。

 冗談じゃない。本当の話だ。なんとか兼兼兼兼兼兼兼なんとかであるクレアは〈アウター・ワールド〉において事象改変の特権を持っていて、それはライセンスという形で管理されている。事前にこういうことを想定……していたわけではないだろうが、エディはクレアの隙を見計らって、こっそりそれを複製していたらしい。

 実のところ意図がなんであれ、そもそもエディがネットワーク・セキュリティ部門を追い出された理由からして似たような事情があったわけだから、コピー・ライセンスについて打ち明けられたときも、驚く者は誰もいなかった。

 そのライセンスの恩恵もあって、エディがパラメータの数値を弄れば、ぼくの身体は街を踏み潰すほどにスケールアップする。

「あはははははは」

 驚く連中を笑い飛ばしながら、ぼくは大通りに、ビーチに、巨大な足跡を刻んでいく。地響きと倒れる街路樹に、市民が逃げ惑う。間違えて踏まぬよう気を使うと、非常に歩き辛いな、これ。

「時間通りに来てやったぞ」

〈五分遅れだ〉とエディ。

 誤差だ。誤差。そんなの。

 優越感たっぷりに見下ろすぼくを見上げ、アドルフはソースのついた口元をナプキンで拭う。

「手品が得意な奴が仲間にいるらしいな」

 アドルフが指を鳴らすと、ぼくの身体は急速に萎んで等身大の背丈になってしまった。

「何やってんだ」と狼狽えるぼくに対して、エディはまるで動じない。

〈いい気にさせてやれ。お礼に手の内全部晒してくれるかもしれないぞ〉

「折角招待してやったんだ」とアドルフ。「少しはリゾートを楽しんだらどうだ」

 ぼくはアドルフと取り巻きの部下らしき男たちを順に見る。

「むさ苦しい顔に囲まれていなければ、そうしたいところだったんだけどな」

「喧嘩腰は良くないなあ。お互い、交渉のために集まったんだから」

 自然と上がりそうになるのを抑え込むように口角を痙攣させて。アドルフはいかにも裏で何かを企んでますって面だ。

「クレアと引き換えに、あんたたちは何を望む?」

「あの船は何だ」

「ぼくたちの〈船(ファントム)〉のことか?」

「あれが〈プロテージ〉の言うカギではないのか」

「もしもそうなら、あんたたちにそう話しているんじゃないのか?」

「あれをどこで手に入れた」

 ぼくは眉を潜める。

「あんた、まだあのマシンの上司から聞いてないのか」

 アドルフは舌打ちした。「こちらのことは関係ない。わたしが聞いているんだ。クレア・アルドリッチを返して欲しいんだろう? 知っていることを『ここで』吐け」

「いつから〈アウター・ワールド〉は取調室になったんだ?」

「ここが現実じゃないから、貴様らは無事でいられると誤解しているらしいな」

「何が言いたい」

「〈アウター・ワールド〉のトラフィックは、全市民の大凡三分の一。七つのサーバにアクセスを分散して、負荷を減らしてはいるものの、実のところ〈ミグラトリー〉のネットワークではその総量を並列処理できない。わたしもお前も、こうして同じ場所にいて対話していると感じられるが、景色も音声も、相手の姿も演算結果が体感情報として出力されるタイミングは異なる。それがどういうことか解るか?」

「みんな分断されてるってことだろう?」

 家族も仲間もない。あるのは、体験を分かち合うだけの自己本位的連帯感。なんて社会批判をアドルフはするつもりか?

「その通り。孤立しているのだ。お前たちは」

 沈黙が流れる。アドルフは言いたいことを言い終えた気になっていて、ぼくの方はあいつが何を言いたいのかサッパリ理解できていないせいで。

「……つまり、お前たちの居所は、ここにアクセスした時点から筒抜けというわけだ」

「そうなのか?」とぼくはエディに聞く。

〈仕組みは概ねその通りだ〉

 小声で相談するぼくを見て、アドルフは気分良さ気に追い打ちをかけてきた。ぼくとアドルフの間に半透明のスクリーンパネルが現れ、そこに無数の監視カメラの映像が表示された。何台もの装甲車両が港湾に並び、武装した集団が通路を駆け回り、扉を蹴破る。

「制圧部隊が向かうまで、もう間もない。仲間を守りたかったら、あの船のことを話せ」

「脅すのか。話が違うぞ」

「そうさせているのは、お前たちだ」

「交渉決裂ってことだな。……エディ」

〈アウター・ワールド〉内にヘヴィメタルが響き、ぼくの身体が再び巨大化する。

「無駄だと解らんのか」とアドルフは不敵に笑い、指を鳴らす。しかし、何も起こらない。ぼくの身体は巨大化を続け、高層ホテルの全長にも匹敵する。アドルフはもう一度指を鳴らした。だけど、その音ではぼくの巨大化は止められない。アドルフの顔に焦りの色が浮かぶ。アドルフは何度か立て続けに指を鳴らした。意味はない。

「お前たち……何をした?」

 今度はぼくが哂ってアドルフを見下ろす番だ。

「痛い目見たくなかったら、さっさとクレアの居所を吐くんだな。アドルフ」

「図体がでかくなっただけで、態度まで大きくなったか!」

 威勢がいい文句も、頬を引きつらせては台無しだ。

〈カイルは最初から態度悪いよね〉とフランシス。

〈行儀良くしていたことなんてないよな〉とエディが続く。

「外野がウルサイぞ」

「お前たちの身柄はこちらの手中にあると忘れたか!」

 その直後、アドルフ宛に通信が入ったのをエディが傍受した。

〈防衛主任! 現場に到着しました〉

 アドルフがぼくを見て哂う。

「ひっ捕らえろ。今度こそ一人も逃すなよ」

〈それが……〉

「ん? なんだ」

〈誰もいません〉

「取り逃がしたのか?」

〈いえ。……初めから誰もおりません〉

 アドルフが顔を蒼白させる。そして、慌てた様子で別の回線を繋いだ。

「クレア・アルドリッチの身柄はどうなってる」

〈……部屋に拘留中ですが〉

「ちゃんと確かめたか?」

〈ええ。今も監視カメラで――〉

「その目で直接確かめろ!」

「当てが外れたみたいだな、アドルフ」

 ぼくに見下されるのが余程悔しいみたいで、アドルフは歯を食いしばった。

「そうか。第三区画の行政センター地下二階か」

 ぼくの言葉に、アドルフは眼を見開く。その顔色は、青を通り越して真白だ。

「クレアの居所を上手く隠せても、あんたの居所が筒抜けじゃあ無意味だな」

 アドルフの額に汗が浮かぶ。そして、目まぐるしく視線を泳がす。

「ログアウトができないだと?」

「うちのオペレーターは優秀でね。怒らせたらプライバシーはないと思え」

〈ぼくのこと、優秀だってさ〉とエディの声が高揚する。

〈多分、あれ褒めてないよ〉とフランシス。

「大人しくクレアを解放して、ぼくたちを追い回すのを止めると誓えば、あんたの身柄を丁寧に扱ってやる」

「だ、誰がそんな取引に乗るか」

 そして、アドルフは通信で部下に呼びかけた。

「人手を集めろ。すぐにだ。……全員呼べ。そうじゃない。あいつらは……わたしの側にいる!」

 すっかり気が動転してしまっているアドルフに、ぼくは足を振り上げる。ぼくの足裏を見上げたアドルフは自分の運命を悟ったらしい。大慌てで走り出した。

 幸福は感覚だ。感動は経験だ。刺激さえあれば、人生は幸福で満たされる。

 仮想空間の生活に実感を持たせるために、〈アウター・ワールド〉と繋がる市民はそこでの体験に準じた疑似刺激を受け取るわけだが、どうやらそれはアドルフたちの端末でも同様らしい。

「逃げろ逃げろ」アドルフを追い駆け回しながら、ぼくは言う。「踏み潰されたら死ぬほど痛いぞ」

 人混みに紛れようっていう腹積もりか、アドルフはリゾートエリアのメインストリートに逃げ込んだ。そんなことをしたって、設定を切り替えればアバターの頭上にパーソナルパラメーターが表示されるっていうのに。

「合図だ。……あいつに合図を送れ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る