第12話

『間取りや内装は流行に併せて絶えず見直され、何度同じ部屋に泊まっても飽きることがありません。テラスから一望できる大海原とどこまでも続く水平線が窮屈な暮らしを忘れさせ、世界は果てなく雄大なのだと気づくはず。夕陽に煌く水面は絶景で、海の輝きに包まれる幸福を実感することでしょう』

 観光バスの座席に差し込まれていたパンフレットの売り文句だ。〈セオドア・グランド・パレス〉金色の優雅な書体が純白の宮殿の写真の下に刷られている。

 スイートルームの内装を紹介する記事が続く。贅を尽くした一時を空想させる写真も文面も、大衆にとってはすぐそこに見えるのに決して届かない星のようなもの。自分とは無縁のものだと解っていながら憧れを募らせて、理想的な休日を少しでも身近に感じられるようにと、ホテルのロゴが刷られたシャツやパンツを買い求める。アドルフがこんな場所を指定したのも、それと通じる思惑があるに違いない。

〈カイルが一人で指定場所に来いってさ〉とエディは言っていた。

 七つのラウンジで構成される〈アウター・ワールド〉は「微睡む人たち」のための世界。装飾過多な建物も歩道脇に整列する街路樹も、店先に並ぶアバター用衣類や通行人が持つクレープさえも、見かけこそそれらしいが、結局はテクスチャと疑似刺激の伝達の総体でしかない。

 この世界こそが、真の楽園。多くの人がそう考えるからこそ〈インソムニア〉は奇人扱いされる。冬眠カプセルに入るのを拒んでいるだけで、当然、生理的な睡眠はとっているわけだが、それがどんなに規則正しいサイクルであろうとも、「微睡む人たち」からしてみたら、ぼくたちは夜更かしをし過ぎなんだそうだ。

 ぼくたちとクレアの関係はここから始まった。

 近々、新エリアが三つも開設されるらしい。噂を聞いたぼくたちは、これだって思った。慣例上、〈アウター・ワールド〉で新サービスが始まるときは、記念セレモニーが開かれる。パレードや花火でその日を彩り、まるで輝かしい夜明けのように祝うんだ。会場には大勢の注目が集まる。舞台に、ラジオに、スクリーンに。どんな光景が広がっていくのか。そこで自分は何を体験できるのか。人々は期待を膨らませる。〈不眠症〉のぼくたちも、その日ばかりは胸躍らせて寝床に就いた。無論、楽しみは、他のことだったが。

 特設ブースの中央にあるステージに演出担当兼エリアデザイナー兼シナリオライター兼……最高責任者が登壇する。湧き上る歓声。しかし、ステージに立った演出担当兼……最高責任者は自分を歓迎する人々を前に眉一つ動かすことなく、淡々とトークバックのスピーチをなぞっていく。その長ったらしい肩書を不機嫌そうに背負っていたのが、クレア・アルドリッチだった。

 スピーチが終わり、ステージに設置されていた大型のスクリーンパネルがカウントダウンを始める。さあ、街に待ったそのときだ!

 目を覚まして、本当の旅を始めよう!

 画面一杯に表示されたその一文に、クレアは呆気に取られ、ぼくとフランシスは熱狂し、大勢の観客にとっては……期待外れだった。

 経験則から、ぼくたちのメッセージはそれほど響かない。みんな宇宙の暗闇の向こうには何も期待できないって考えているし、自分たちにできることを甘く見積もっている。

 目を覚まして、本当の旅を始めよう!

 だから、ぼくたちの言葉も絵空事のように聞こえるのだろう。同じ冗談なら夢の中で繰り広げられるスペクタクルの方が上等だ。そう思うが故に、みんなクレアの発表に注目している。しかし。しかし、だ。〈ミグラトリー〉の市民のほとんど全員の視線が集まるこの会場でなら、誰か一人くらいの興味を惹くことが――旅の道連れが見つかるかもしれない。

 大衆の無反応は予想通りだった。そして、ぼくたちの目論見も、まるで的外れではなかった。ただ、一人。たった一人ではあるが、発表セレモニーのあとに、ぼくたちにコンタクトを取ろうとする者が現れたんだ。

 深夜、五時。壮大な悪戯を見事成功させて、気分良く眠りこけるぼくたちを通話ベルで叩き起こしたそいつこそ、クレア・アルドリッチ。ぼくたちに大舞台を台無しにされた、その当人。どんな思惑があるのかと勘繰るぼくたちに、〈ファントム〉の艦内まで押かけてきたクレアは、身の上話を始めた。

「寝ずにアイデアを捻り出すの。まだ見たことないものを見せたい。ここではないどこかに連れていきたい。みんなの喜んだり驚いたりする顔がみたいから。その結果が『良く眠れた』。何それ」

 アルドリッチ家は代々、〈アウター・ワールド〉のアトラクションやイベントを設計する伝統芸能の家系なんだそうだ。

「感情は消耗品じゃないし、体験は浪費することとは違う。全ては自分の中に、大いなるものを培うため」

 エディとぼく、そしてフランシスとマクスウェルは、クレアに気づかれないように、目配せした。彼女は信用に足る人物か?

「面白そうだから自分もやってみたい。これができるまでに、どれだけの創意工夫があったんだろう。どこに注目しても、どんな形でも構わない。描かれているものから、広がりを掴むべきなの」

「広がり?」

「景色の向こう。物語の続き。なんでもいい。自分の心が動いたものならね。だけど、目の前の光景のその先にあるものに思いを馳せられなければ、何もかもがここで終わり。感動も体験も自分の身体を通り過ぎて、残るものは一つもない」

 クレアは溜め息を吐く。一方、ぼくたちはこっそり投票を始めた。クレアの参加に賛成の奴は?

 フランシスが賛成に一票。ぼくとエディは保留を示し、マクスウェルは首を横に振った。

「わたしの周りの人たちは、それでいいって考えてた。全部がここで完結していいって。いいわけないでしょう。そんなの。人生を賭けたのよ。それが安眠映像のアーカイブ入りって」

 クレアは自嘲気味に笑って続けた。

「〈間抜けなトム船長〉って知ってる?」

 エディとフランシスは首を傾げる。マクスウェルは口を開く気配がない。

「宇宙飛行士って仕事が在った時代の、船長が主役の話だ。個性的なクルーと共に移住の地を求めて母星から飛び立つが、待っていたのは災難の連続。窮地に陥った船長は突拍子もない指示でクルーを困らせるが、副船長の活躍で事態はどうにか丸く収まるって話」

 そのとき、クレアは初めてぼくを認識したみたいに丸々とした目を見開き、そして満足げに頷いた。

「役立たずな船長を笑って、副船長が絶賛される。そういうコメディさ」

「役立たず?」

 ついさっきまで、ぼくを認めた風だったクレアがこちらを睨む。

「ぼくが言ったんじゃない。世間の評価さ」

「あなたはどう思う? トム船長のこと」

「まあ、彼がいなければ、船の旅路は円満だっただろうな」

「それで?」

「円満過ぎて、誰にも見向きさえされなかったんじゃないか」

「なんだ」とクレアは言う。「解ってるじゃない」

 ぼくは思う。解かってるって何を?

「必要なのは、失敗を避けることじゃなくて問題に対処すること。本気で生きようとすれば、未来は解り切ったことばかりじゃない。間違って間違って、間違ったあとに、自分はどうして失敗したのか気づく。そこで初めて一歩前進できる。モンスターを倒したから経験値が入るんじゃないの」

「何の話だ」

 ぼくが聞くと、エディが答えた。「ゲームだろう」

 そう。そうだった。クレアはエリアデザイナー兼兼兼兼なんとかだ。

「ダメージを受けたこと。一度の攻撃で倒し損ねたこと。反撃をかわせなかったことこそが教訓なの。トム船長が挑んからこそ、クルーは対処方法を身に着けていったんだし、わたしたちは失敗の積み重ねが次に繋がっているってことをトム船長から学ぶべきだった」

「書いた奴はトム船長を笑い者にしたかったみたいだけど」

「作者の思惑なんて知ったことじゃないわ。目の前の光景のその先にあるものに思いを馳せろって。みんな成果主義に毒されているのよ。だから、副船長なんかが持て囃される」

 クレアは更に捲し立てた。

「〈ミグラトリー(わたしたち)〉にしても、同じ。母星を出発した先人はトラブルでそれ以上の旅が困難になったから、ここを仮の移住地(ミグラトリー)にした。そこに不満はない。それが当時の最善だったんだろうから。だけど、それからもう数百年が経った。わたしたちは? 昔よりも遥かに多くのノウハウを積んだのに、無駄にしてる。コロニーにブースターをつけて飛ばせば、どこでだって続けられるでしょう?」

「それは暴論だ」とエディが口を挟むも、クレアは気にしない。

「わたしは自分が生きたその先に希望を持ちたいの。新しい明日がほしい」

 不意に、ぼくとマクスウェルは視線を合わせた。

「今日生きたことも、これから先も解かり切った毎日の延長でしかないなんて真っ平よ」

「それで、ぼくたちにコンタクトを取っていたというわけか」とエディ。

「あなたたちは、まあ。及第点ってところね」

 ぼくはフランシスに耳打ちする。「何時から、ぼくたちが審査を受ける方に逆転した?」

「まあ、いいじゃない」とフランシスは笑う。

 こうして、クレアはエディタ編集用タッチペンからコントロール・スティックへと筆を持ち替えた。

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