幕間 阿修羅……?

 世は世紀末。饕餮が九州に襲来して、英雄源義道率いる異能研究所九州支部が決戦を繰り広げたタイミングとほぼ同時期、決して人に語れない。いや、語ってはいけない戦いがあった。


 もうその存在は弱いと、消えているのだと定義する必要があるのだから表に出せる筈がない。


 だが確かに日本を覆った終末思想と結び付いて、とある存在が最盛期の力そのままに復活を遂げていた。


『ひひ』


 心霊スポットと化している廃病院の外で佇み、笑みが零れている女。


 深夜の廃病院に女が一人でいる時点で異常だが、蒸し暑い時期なのにコートとマスク姿なのはその異常に拍車をかけていた。


『ははははははは』


 けらけらと笑う女のハイヒールがことり、かつりと地面を鳴らす。


 しゃきりと鋏の音が鳴る。


 もし……もし日本の暗黒期と呼べる時代を生きた異能者がこの場にいれば、歯と体が震え涙は零れ……そして死を悟るだろう。


 それは名家の精鋭も例外ではなく、源道房と義道兄弟ですら死ぬ前提で算段をする必要がある、かつての異能者にとって死と同義。


 一億の信仰心。


 一億の恐怖。


 一億の力。


 日本の誰もが名を、姿を知っていた。老いも若きも子供ですら。


 噂に乗り、新聞に載り、ニュースに流れ世を覆った恐怖の化身。


『アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!』


 女がゲタゲタケラケラと笑い狂いマスクが地面に落ちる。


 かつて生きた者がその顔を見て間違える筈がない。割けた頬を見て間違えるなど絶対にない。


 知名度という信仰を受け雑多な神格すら寄せ付けず、誰よりも何よりも強力だった妖異。日本異能界における暗黒時代の象徴。


 近代日本最強の怪物。妖怪の中の妖怪。特鬼の中の特鬼。紛れもなく一つの頂点。


 全国に出没してしまった異能者にとっての死。


『わたし綺麗いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! 』


 口裂け女に他ならなかった。


 後年四葉貴明の前に現れた雑魚、衰えに衰えた存在ではない。天へ昇るほどの妖気が迸り、ここが山の中の廃病院でなければ、気配だけで常人が即死してしまうほどだ。


『アハハハハハハハハハ!?』


 そんな怪物の背後から突然、全てを粉微塵に粉砕する右拳が放たれた。


 完全な戦闘態勢。絶大の武。顔に、腕に、足に、気脈に筋が浮き上がり、必ず殺す意思を宿している男。


 名を竹崎重吾。


 本当に偶々、あるいは……ナニカの導きがあったのかもしれないが、廃病院の近くにいた竹崎は、突然現れた宿敵を殺すためやって来たのだ。


 そう、宿敵。


 かつて日本に都市伝説系妖異が現れた時、若輩だった竹崎は口裂け女と戦うため日本各地を転戦した。


 壮絶な戦いだった。


 竹崎は確かに若輩の頃から達人であると称えられていたが、まだ完全に完成していた訳ではなく、しかも倒しても倒しても人の噂を依り代に復活する口裂け女は、異能特異点日本すら陥落してしまいかねないほど強力だった。


 一億の恐怖を受け取った口裂け女は、言葉通り日本人のほぼ全員の信仰対象だった。


 そして形成された恐るべき力こそが。


 一億人の中から才能という力を受け取っていた。


 言うなれば一億人の日本人で、最も優れている才能を選りすぐって形作られた怪物。武の才能、陰陽術の才能、魔法の才能、超能力の才能、呪術の才能、剣の才能、拳の才能、才能才能才能才能。


 なによりも自分こそが最も優れていると己惚れる、人間という種の負の象徴こそが口裂け女だった。


『きれえええええええええええええええええええええええええええいいいいいいいいいいいい!』


 間一髪で竹崎の拳を躱した口裂け女が、狂気と共に霊気を全開にする。


 分身の術で増えた口裂け女が鋏を一振りすると、要塞すら一刀両断にする飛ぶ斬撃、魔力で編まれた灼熱の業火、超能力砲による異常な数の念弾、呪術で構成された狂死の暗黒波が竹崎に襲い掛かる。


 だけではない。


 妖異のくせに弱点である筈の浄力すら使いこなして自身の身体能力を底上げ。


 だけではない。


 転移によって分身した口裂け女が竹崎を囲むように四方八方から現れる。


 だけではない。だけではないだけではないだけではない。


 そんなことは竹崎も百も承知だ。対抗手段も。


 人知を超えた妖気を発する口裂け女にこれっぽっちも恐怖を持たず、純粋な敵であると認識して自らから信仰心という名の才能を流出させない。口裂け女の才能を上回る戦いの才能を持ち合わせて慢心せず、たゆまぬ訓練で磨き抜かれた肉体と技術を持ち、呪詛を防ぐ明鏡止水の心を持てばいいのだ。


 つまりかつて、そして今現在の……最盛期の竹崎のことである。


「かっ!」


 気配を消しての不意打ちが通じなかった時点で、竹崎もまた己の霊気を最大稼働させるどころか生命エネルギーすら注ぎ込んで……かつては至っていなかった切り札を発動しようとしていた。


 誰も知らない竹崎重吾の切り札。


 後年教え子たちに口酸っぱく初見殺しを持てと言い続けることになる男の必ず殺す技が、並大抵のものである筈がない。


 尤も……そうであるからこそ奥義の名すらもない。


「ノウマク・サマンダ・ボダナン・ラタンラタト・バラン・タン」


 阿修羅の真言。


「オン・ガルダヤ・ソワカ」


 迦楼羅の真言。


 二柱共に八部衆の一員。


 阿修羅の力は後年でも散々竹崎が使い、ある神より百倍強くあれと願われた迦楼羅も蛇と相対した時に使った。


 そしてこの二柱……八部衆である以外にも共通点があるのだ。


 ある神と酷く敵対したという共通点が。


 その神の名を。


「ノウマク・サマンダ・ボダナン・インダラヤ・ソワカ」


 インドラ。雷神にして軍神。神々の王。


 またの名を帝釈天。


 八部衆に属する天の一員にして二大護法善神の片割れ。


 阿修羅、迦楼羅、帝釈天。妖異ならば腰を抜かしてしまう仏法守護神達。


 そんなものの真言を唱えた竹崎の背後にそれがいた。


 三面六臂。だが阿修羅ではない。阿修羅の顔は右だけだ。左は迦楼羅の鳥の顔。正面は茶褐色の壮年の男……帝釈天の顔。


 非常に仲の悪いはずの三柱だが、今は人の世を守るため口裂け女を睨みつけている。


 哀れと言うべきか。世紀末に再び蘇った最盛期の口裂け女は、三柱が合わさった異常な存在にしっかりと認識されてしまった。


 そして異形の神が腕を振り下ろす。といったことはない。


 神を編み出すような権能使いとは別の道を歩んだ竹崎は、現れた異形の神を完全に身に宿した。


 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 竹崎の声ではない。異常なまでに高まった霊力が音となって廃病院を揺らす。


 が、次の瞬間音も、光も無となった。


 単なる達人どころか、義道ですらヤバいと断言する霊力が、拳となって全方位にいる口裂けに着弾。


『き!?』


 口裂け女に一瞬の断末魔だけを許して、完全に消し飛ばした。


 シイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!


 放出された霊力が白き蒸気となって、霊力がほぼ空になったことで膝をついた竹崎を……独覚を、一人で悟りを開いた者を包み込む。


 竹崎重吾、非公式ながら特鬼を単独撃破。


 信仰心で編まれた強力無比な肉体と、日本一億の中から選りすぐられた才能の突撃が敗れたのだから、まさしく日本最強、いや、当代最強と呼ぶに相応しい。


 これこそが九州の英雄、源義道をしてあれ以上の人間が世に出てくるとは少々思えないと評し、異能特異点日本の名家も独覚と呼び、畏れ敬う男の一度目の最盛期だった。




 ◆

 後書き


 いっつも出てないところで株が上がる男が直接登場。

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