幕間 物質主義にして肉体的到達者

北大路友治の“見ている”世界は、人間の“見ている”世界とは全く別物だ。


(全員行ったか。訓練場の心音もイギリス関係者と、学園長の分だけだ)


 現に彼は、巨大な訓練場に存在する音源、心臓の音を正確に聞き取っている。


 それだけではない。音を捉え、風を捉え、振動を、匂いを、全てを、ありとあらゆるものを捉えていた。


 かつて貴明は、友治の“見ている”ものを見てしまえば、自分ですら酔うかもしれないと予想した。悍ましき邪神ですらそう慄いたのだ。実際、常人どころか超人と言われる者達ですら、友治が“見ている”景色を体験してしまえば、一瞬で脳が破裂してしまうであろう情報量だ。それを彼は完璧に把握していた。


(しかし、貴明の体はどうなっているんだ? 表現し難いが、あれは人体だが人体ではない。純粋なタンパク質では聞こえない音がする)


 恐ろしいと言わずして何と言う。ほぼ完璧に異能学園を把握した先代アーサーすら気が付かなかった、貴明の人間形態の違和感を、友治は入学当初から感じ取っていた。


 もしこの友治の思考を貴明が知れば、飲んでいたコーラを吹き出しながらひっくり返るだろう。普段通りしている貴明の姿から、霊的視点ではなく物質的視点で、あれは人体であって人体ではないと断言できるのは、世界でも友治ただ一人だ。


(まあ気のいい友人なんだ。深く考えることは止めておこう)


 友治は違和感を感じていても、それ以上は考えなかった。訳ありの訳を聞くなと言うのはこの学園の鉄則であり、友人の貴明が自分から言わないのであれば、踏み込むべきではないと思ったのだ。


「お待たせしました」


 友人のことを考えながら、観客席から訓練場に移動した友治が、英語でイギリス一団に挨拶をする。


 実は、イギリスは来校する前に、異能大会に出場した選手達が、口を揃えて肉体的到達者と評した男を見極めるため、友治に非公式の交流試合を申し込んでいた。


 なぜ非公式かと言うと、観客にイギリスの誇る新星達が敗れる姿を目撃されたくなかったからだ。尤も、既に大会でルーキー達が敗れているのだが、恥の上塗りは避けたいということなのだろう。


「異能を使わない。撮影をしない。この条件で間違いありませんな?」


「はい」


 それに立ち会う竹崎が条件を確認した。撮影をしないのは、イギリスが敗北の証拠を残したくなかったからだが、異能を使わないのは代わりに友治が出した条件だ。少々特殊であるが、自己の鍛錬に異能を用いないのは変ではないため、イギリスもこれを承諾した。なにせ友治はそうしないと、2,3分以内に全てを片付けないといけないので、交流試合のような形式では不適切だった。


 カチカチと機械が擦れあう音を友治は聞き逃さなかった。


「撮影はしないのでは?」


「はい?」


「胸ポケットに入れてあるペンから撮影機械の音がします」


(馬鹿な!?)


 友治にじっと見られているイギリスの男性教員には心当たりがありすぎた。撮影されて見られたくないのは、あくまで自国の学生達が敗れる姿だ。だからイギリス的には肉体的到達者の情報を収集するのは全く問題ないので、友治を撮影するため胸ポケットに、偽装した撮影機械を仕込んでいた。


「ここから出ていけ!」


「は、はい! 申し訳ありませんでした!」


 怒気を発する先代アーサーの一喝に、その教員は慌てて訓練場から逃げ出した。


 先代の言葉は単なるポーズだ。事前に知らされてはいなかったが、異能は国防と密接に関係がある以上、あの手この手で情報を集めようとするのは当然の行いだと思っていた。そのため撮影していた、していないの問答となり、ならペンを見せてみろと言われて決定的な証拠を握られる前に、下手人と証拠を纏めてこの場から遠ざけたのだ。冷戦期の暗闘を潜り抜けた先代は、単なるお行儀のいい騎士ではなかった。


「申し訳ない。どうも伝達にミスがあったようだ」


「いえ。お気になさらず」


 先代の謝罪を友治は受け入れた。

 友治にしてみれば、単に約束事の再確認をした程度の認識でしかなかった。


「それでは早速始めましょう」


 竹崎もまた百戦錬磨だったので、友治が何か言わないのであれば問題ないと判断した。


「では自分が」


 貴明の呼称で優男ことルイスが名乗りを上げた。

 一見女性のような細身で髪も長いルイスだが、異能大会では戦闘会会長の宮代と接戦を演じ、蜘蛛との戦いでも一人抜きでていた傑物だ。


(駄目だなこれは。間合いが壁に見える)


 そのルイスをして、訓練場で相対した北大路友治という男は手に負えなかった。彼の見たところ、異能を使っていない今の友治の間合いは、両手を伸ばした範囲でしかない。しかし、その間合いを空間ではなく、決して誰も侵入することが出来な絶対の壁だと錯覚した。


「試合開始」


(なら小細工をする!)


 まともにやっては、友治の間合いを突破することが困難だと判断したルイスは、走りながら天井の窓から入り込む太陽と照明の光を剣にあて、反射光で友治の目を眩まそうとした。


 結局のところ、この世界の誰にも肉体的到達者の“見ている”光景は理解できないだろう。足音の反射、空気の揺らぎ、気配、脈動する人体と言う音源。


 それら全て。物質界そのものを“見ている”肉体的到達者の、視界一つを遮ったところで全く意味がないのだ。


(なぜ!? なぜなぜなぜ!?)


 確かに友治の目に光を当てたルイスだが、剣を振り下ろした瞬間ひたすらなぜと言う単語が頭を駆け回った。


 振り下ろされた剣と全く同じ速度で、剣腹に友治の手が添えられたのも信じられなければ、そこから発生した【捻じれ】に連れられて、体が自分から地面に突っ込んだのも信じられなかった。


 その光景を浄玻璃鏡で見た貴明は、コーラとポップコーンを忘れていた。以前に一度見せただけなのに、掴むという工程すら省かれ、添えるだけで行使されるほど昇華されてしまった、己の技に呆然とするしかなかった。


 完全に人体全ての反射と動きを把握していなければ、このようなことは絶対に不可能だ。


「がはっ!?」


 そしてルイスは理合の業によって、この世で最も強力な物質。地面に頭から落下してしまう。異能を使ってはいないとはいえ、ルイスでもまるで相手にならなかった。


(完璧だな……)


 先代アーサーは心の中で疲れたように呟いた。


(あれこそがまさに頂点だ)


 不変の大地のように物質界の頂に立つ者こそ。


 肉体的到達者【物質主義10i.キムラヌート】北大路友治に他ならなかった。
















 ◆


「イギリスにあの到達者と友人を招待しただと!? 聞いていないぞ!」

(まさかあのニタニタ笑いの女が友人とは言うまいな!? そもそも、それなら自分が日本に来る必要なかっただろうが!)


 先代が絶叫する。

 残念ながら、国家や組織の右手がやっていることを、左手が知らないのはよくあることだった。

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