九州研修・超いい子ちゃん人間性

幕間 英雄・源義道

(老いたな)


 朝早くに布団から起き上がった異能研究所九州支部支部長、源義道よしみちはシミが浮き始めた自分の手の甲を見てそう独白した。


(もう若い頃の様に無理が全くできん)


 彼がこの支部に赴任して早10数年。度々大陸から来襲してくる妖異達を退けている中で、己の体は最早かつての様に動かないことを自覚していた。


(しかし、大陸からの来襲に加えて、まだ都市伝説系の妖異共がうろうろしている上に、妙に増え始めている一般家庭出身の異能者……歳老いたからと楽隠居はできそうにないな)


 だからといって義道が引退できる時世ではなかった。大陸からの来襲だけではなく、かつての強さこそなかったが、再び現れ始めた都市伝説系妖異と共に、異能と何ら関りがない家庭から力に目覚める者が生まれ始め、今まで秘匿されていた裏の世界が露呈する可能性が急速に高まっていたのだ。


(2000年……本当に迎えられるんだろうな?)


 窓からどんよりとした曇り空を見上げる。


 世は世紀末。ノストラダムスの予言と結びついて日本を覆った終末思想を、義道すら笑って済ませられない程、混沌とした時代だった。


 ◆


 九州支部は大陸から来襲する妖異に備えるため沿岸部に存在していたが、まだ異能が秘匿されいている時代だったため、表向きは海洋調査のための研究施設ということになっていた。


「お早うございます源支部長!」


「お早うございます!」


「ああおはよう」


 その支部内で職員からあいさつを受ける源は、後年では仕事をしているのかしていないのか分からない名誉職のような使いだが、この混沌とした時代では常に陣頭指揮を取り続ける傑物であり、その職員たちの眼差しには尊敬の念が込められている。


「海上の式神が妖異の反応捉えました! と、特鬼級!? 映像出ます!」


(特鬼か。腹を括る必要があるな)


 源が司令部のような場所へ顔を出した途端、警報音と共に職員たちが慌しく動き始め、モニターに式神からの視覚情報が映し出される。


「は?」

「え?」


 しかし、百戦錬磨と言える職員たちは呆然とした。


 海の上を悠々と飛ぶその異様にして威容。


 トラック3台ほどを連結したような巨体、黒い牛の体、これでもかと捻じ曲がった角、サーベルタイガーの様に突き出た牙、針金のような体毛、そしてなにより溢れるように迸る妖気の渦。


「とう……てつ?」


 誰ががポツンと呟いた言葉だが、全く間違いなかった……間違いであってほしかったが。


 これこそが大陸において最も恐ろしく悍ましい邪神、四凶の一柱。饕餮とうてつに他ならなかった。


 そして衰えに衰えておきながら、いまだ妖異として最上位も最上位。九州支部どころか本部と名家連合をすぐさま派遣しなければ、忽ち九州は陥落する恐れすらあった。


「本部と名家に連絡を。饕餮来襲。政府には適当な理由をつけて周囲一帯の避難命令を出すようにと要請するんだ」


「は、はい!」


(援軍も避難命令も間に合わんだろうな。ならば……)


 その呆然とする職員たちに矢継ぎ早に命令を発する源だが、未来でも貴重な転移能力者は、この時代では皆無に等しいため援軍も間に合わず、その上一般社会には異能が秘匿されているため、危機が分からない民間人の避難も間に合わないだろうと踏んでいた。


「館内放送を」


「はい!」


 そして、マイクを使って九州支部の職員たちに語り掛けた。


「饕餮が来襲した。この九州支部を要塞化したうえで饕餮を誘引し、道連れになろうがここで討つ。俺と死んでくれ」


 その声に背筋を正す職員たち。間違いなく英雄がそこにいた。


 この暫く後、九州支部を要塞化したうえで決死隊を纏め上げた源は饕餮と決戦。丸一日という異能者の平均戦闘時間が30分と考えると途方もない時間戦い抜き、結果支部は完全に崩壊、重傷者多数、そして饕餮の完全な討伐ができず封印という結果になったものの、そもそも封印できるまで弱らせたことが偉業であり、なにより戦死者ゼロというまさしく奇跡を成し遂げた。


「負傷者を死なせるな!」


 その偉業を成し遂げた直後の源は、全身から夥しく出血しながら、喜ぶでもなく勝鬨を上げるでもなく、一言目が仲間の命についてであった。


 英雄、源義道の在りし日の姿であった。



















 ◆


「ほっほっほ。仕事中に書き込む掲示板は最高じゃの!」


 時は変わって現代の異能研究所九州支部・支部長室。和装を身に纏い完全に真っ白となった頭部を揺らして笑う好々爺、源義道がいた。彼が座る重厚な机の主は何十年も変わっておらずネームプレートも源義道なのだが、やっていることはインターネット掲示板への書き込みという、今と昔の落差に風邪をひきそうなほどの温度差があった。


「そろそろ楽隠居もできそうじゃし我が世の春!」


 そう、この好々爺は、世紀末と新世紀から20年近く。ようやく世も落ち着いてきて流石に引退してもいいだろうと気が抜けきっており、実際この支部でもお飾りの名誉職としているような、ほぼ引退寸前の立場で、普通の職員たちからも、あの人昔は凄かった、んだよな? というポジションになっていた。


「源所長。研修生を連れてきました」


「うむ。入ってくれ」


 扉の外から職員の声が聞こえると、源はパソコンを閉じて迎え入れる姿勢を取る。実は今日から異能学園から研修生たちが来ることとなっており、源自身もその調整に対して大雑把な指示を出していた。


(そういえば今年の主席は誰じゃ? しかも3人も来るとかで、少し調整することになったが)


 その彼らに、源は所長として一度挨拶を受けることになっていたが心の中で首を傾げる。


 この九州支部は例年、異能学園新入生の主席が研修に訪れることになっており、現4年生の戦闘会会長、宮代典孝も1年生の時には訪れていたが、源は今年の主席を知らないし、その上妙なことに3人も訪れることになっていた。


「失礼します」


 1人は女子生徒ながら凛々しい顔立ちで、ともすれば男気があるとも評されそうな麗人。佐伯飛鳥。なぜ彼女がいるかというと、実質チームリーダであり、例の生徒と比較的親しいためストッパーを期待されたからだ。


「失礼します!」


 元気よく入室してきたのは田舎ならどこにでもいそうな青年で、2021年度主席入学の生徒、四葉貴明である。本来なら彼だけが元々九州支部に研修しに来るのだが、貴明もまた飛鳥と同じように、例の生徒のストッパーとして期待されていた。


「失礼しますわ」


 その声の持ち主は背が低いため、源の視界に入ることはなかった。というか、その声が聞こえた瞬間。


「し、支部長!?」


「え!?」


「ちょっ!?」


 驚く職員、飛鳥、貴明の声を背に、源は体を縮めて背後の窓から外に逃げ出していたからだ!


(嘘!? 馬鹿な!? どうして!? 名は無かったはず!? ヤバい! 死ぬ! 漏れそう)


 源の頭は混乱しきって断片的な思いと走馬灯が浮かんでいた。


 もう十年程前。京都で行われた重要な会議へ参加した際に出くわしてしまった怪物。相手は少女と言えるような年頃だったのに、値踏みされただけではっきりと生物としての格が違うと思い知らされ、彼はまさしく脱兎のように逃げる羽目になった。


「ほげっ!?」

(霊力!? 捕まった!? びくともせん!? 無理!)


 窓から飛び降りて一目散に逃げようとした源だったが、空中でピタリと止まると、そのまま飛び越えたばかりの窓まで戻ってしまう。しかも、なんとか逃げようとしても彼の体を固定している霊力は、控えめに言っても人智を超えており、遂には元の部屋まで連れ戻された。


「その逃げっぷりで思い出しましたわ。源御兄弟の弟様。確か一度お会いしましたわよね」


 それはそれは素晴らしいニタニタ笑いで源を眺める超越者。


「な、な、なんで桔梗の鬼子がここにおるんじゃあああああああああああ!」


 心の底からの絶叫を上げる源だが、彼はここに来る研修生に桔梗の名前がないことをしっかり確認していた。


 が


「私、結婚して四葉小夜子になりましたのよ」


 残念ながら獲物を見つけた狐の顔をしている女子生徒、小夜子の姓は今年から桔梗ではなく四葉であったため、支部の職員も見落としてしまっていた。


(お、終わった……)


 どさりと椅子に座らされた源の脳内は、未だに過去の走馬灯が浮かんでいるが、衰えていない思考回路は高速で回転していた。


(職員じゃ鬼子の研修担当なんて無理……)


 実際のところ、小夜子は貴明とくっついていれば比較的大人しいため、普通の職員でも彼女達の担当を十分勤められるのだが、それを知るはずのない源は、九州支部、いや九州、いやいや、日本の平和のために一つの覚悟を決めた。


 それは


(わ、儂が、儂がするしかない……研修担当……儂が……がくっ……)


 ここに急遽、半隠居、引退状態であった源義道が現役復帰することとなったのだ!

























 ◆


 しかし、学園長である竹崎重吾はなぜこのことについて、九州支部に伝えていなかったのか。


 理由はいくつかある。そもそも小夜子の詳しい素性を伝えると、どこもかしこも受け入れを拒否することだったり、貴明が真面目にやってるなら彼女も大丈夫というある意味信頼もあったが、今回はもっと単純でどうしようもないことだった。


 なにせ小夜子の苗字が代わったことを詳しく説明すると、四葉家のことについて避けては通れず、唯一名もなき神の一柱の、どこにあるかさっぱり分からないスイッチを押す可能性があったし、なにより。


「い、胃が……」


 竹崎の下にその心底恐れている一柱が、貴明達の優勝後もまたやって来た上に、ようやく帰ったとほっとしていたら、家に帰ってもハイテンションを維持し続けた一柱が、電話でまたしてもお礼を言ってくる状況だったためそれどころではなかったのだ!


 日本は誰かの胃痛のもとに今日も平穏であった。

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