幕間 あの世の事情3
『ようこそ御出でくださいました。今日はどうされました?』
「総責任者として簡易裁判システムのチェックをしてたんだけど、特別審議の方々?」
『はい。そのことでご相談が』
責任者である一際大きな青鬼が、入り口からやってきた青年の下に走って向かい何やら話し合っている。
(やっぱり姿通りじゃないな)
総責任者の腕章をした青年の扱いや、周りの鬼たちの緊張振りから、男は只者ではないと見抜いた。
「おいお前!」
だが10人はそう思わなかったらしい。いや、立て続けに起こる理解不能な状況に、最早まともな思考が出来なくなっているのだろう。鬼と比べて話し掛けやすい青年に声を荒げる。
『無礼者があああああ!』
「ひいいい!?」
だが周りの鬼達はそれを許さず、怒髪天の形相で10人を怒鳴りつけた。
「えーっとなになに?」
それを気にしていないのは青年だけで、受付に回り紙とパソコンを覗き込んでいる。まさに勝手知ったるというべきか。まるで我が家のような気楽さだった。
「ふむ? ふむふむふむふむ! ほうほうほうほうほう!」
すると突然青年は体を大きく左右に揺らし始め、よく分からない声を漏らす。
「いや落ち着け俺。今の俺は裁判官だ。私的なのは挟むべきじゃない。10人、確かに2桁はあれと言やああれか」
『はい』
「ふーむ……」
興奮していた青年が無理やり落ち着くと、先ほどまでの鬼達と同じように、腕を組んで考え込む。
「無罪。と言いたいけど、やっぱ邪神の感性に引っ張られるな。本職になるか。へーんしん!」
『おお……!』
(へんしん? 変身?)
何やら場に似つかわしくない言葉が飛び出たが、鬼達は興奮したように騒めいた。
「とう!」
(な、なんだ?)
青年の体がどろりと崩れ、黒いドロドロとした人型になると、ここは鬼達に合わせて高い天井の筈なのに、その高さいっぱいにまで伸び、新たな形と色が付き始めた。
『うむ』
自分の姿を確認する燃えるような顔、天を向く髭、唐服、笏。
ヤマ、ヤマラジャ、閻魔羅闍、名前は数あれど、日本で最も通りが良い名こそ
地獄の裁判官にして支配者の一人、閻魔大王であった。
(そういや、アメリカで閻魔がどうのこうの言ってたな)
「ひいいい!?」
冷静に生前の騒ぎを思い出す男と、閻魔大王の様相に恐怖の声を漏らす10人。
『大王様じゃ』
『閻魔大王様じゃ』
『おお……』
一方、事務仕事をしていたはずの鬼達は、閻魔大王をありがたがるように頭を下げていた。
『ふうむ……』
だがその騒めきも、閻魔大王が一つ息を吐く間にピタリと止まった。
『ナヘマーの契約者の裁判で、邪悪を殺した事については無罪と決を下したからの』
つまり荒縄で縛られている10人は邪悪であるということだ。
『が、殺すための準備に色々と盗んでいるか』
(金がなかったからな)
閻魔大王の呟きに、男は心の中で肩をすくめた。
『弁護人』
閻魔大王が弁護人を呼ぶと、その陰からまたしても泥が湧き出て、大柄で筋肉質な人型を形作る。
『応』
『不動明王様じゃ』
『ありがたやありがたや』
迦楼羅炎こそ出していなかったが、その姿は紛れもなく鬼達が知っている不動明王であり、鬼達はまたしても頭を下げる。
『盗みの罪は盗みの罪である。しかし、この者達を野放しにするほうがよほど危険だ。杓子定規で黒縄地獄へ落すのは相応しくない』
『うむ』
閻魔大王の隣に立った不動明王は、邪悪を世から滅ぼすために犯した罪であり、決まりは決まりだからと、盗みを重ねた者が落ちる黒縄地獄へ男を落とすのは不当だと弁護して、閻魔大王もそれに頷いた。
『妹の状態は?』
『はっ。通常の死者と同じく休眠状態です。このまま輪廻の輪に加わるかと』
(妹? まさか俺のか?)
閻魔大王の問いに鬼がきびきびと返事をする。
『それは切なかろう。よろしい、お主に形式単純労働刑を言い渡す。量は朝二時間、昼二時間。お昼休みと昼食あり。刑期は妹が目覚める間だ』
「あ、ああ。その、妹と?」
(訳が分からん。上手く言えん)
閻魔大王の言葉に戸惑う男は、その思いをうまく言葉にする事ができなかった。
『面会は許可されている』
「あ、ああ」
(会えるのか? またあのバカと?)
『お前達十人は大焦熱地獄だ。焦熱地獄から上全ての責め苦を十倍にし、五百と二百由旬の炎に四十三京六千五百五十一兆六千八百億年焼かれ続ける』
「は?」
次いで閻魔大王が10人を見ながら何気なしに告げた言葉だが、意味が分からずポカンとする10人。
『まず大焦熱地獄を見せた後、この者の刑を見せ、そのあとで責め苦を行え。以上だ。連れていけ』
『ははあっ!』
「ま、まて!?」
「ぎゃあああ!?」
「いでえええええ!?」
閻魔大王の言葉に一際屈強な男達が荒縄を手に持ち10人を抑え付けると、その悲鳴を無視して手首に荒縄を巻き付ける。
『妹と話をするのに、この姿ではちと怖がられるか……変身』
『うむ』
その10人を気にすることなく、閻魔大王と不動明王は自分の姿を再び変えることにした。
再び閻魔大王と不動明王の形が崩れて泥と化したが、再び形作られる際に光が輝き始め……。
『それでは後の事を頼みましたよ』
『は、ははああああっ!』
一瞬の眩い光が収まると、そこには背から僅かな光を発している……鬼達の膝よりもさらに小さく可愛らしい、柔和な笑みを湛えて石でできた……
お地蔵様がそこにいた。
『おお……!』
『ありがたや……ありがたや……』
今まで何度も頭を下げていた鬼達が、今度はついに跪いて拝み始めた。
そしてすうっと消えるお地蔵様。
『あのお姿にまで変われるとは……』
『あのお姿も大王様の化身なのだ。不思議ではないとはいえ……』
『ここも安泰というものよ。ありがたやありがたや』
ありがたがるのも拝むのも当然。
閻魔大王のもう一つの姿にして化身。お地蔵様
またの名を地蔵菩薩
弥勒菩薩が現れるまで現世にただ一柱の御仏として、六道の者達全てをその無限の慈悲で救う者なのだ。
(さっぱり訳が分からん)
一方置いてけぼりにされた男は、その内心で大きく匙を投げていた。話の流れ的に妹と再会できるようなのは嬉しいが、それはそうとしてやっぱり意味が分からないと男がぼやく。
『どうぞこちらへ』
「あ、ああ」
『観念せい!』
「やめてくれえええええ!」
「ぎゃああ!?」
ここでもまた扱いが違う。鬼が手を広げて行き先を示される男と、荒縄を引っ張られ地面を引き摺られる10人。そこには明確に扱いの差があり、行き先もまた違うらしく別の通路に引きずられていった。
(形式単純労働刑とはなんぞや……)
「あああ!?」
鬼に案内され10人の悲鳴を聞きながら、男は自分に宣告された刑罰の内容に首を傾げる。男からすれば針山に落とされたり、血の池に沈められたりと言われた方が余程分かりやすかった。
『疑問がある様だな?』
「まああると言えばあるが、もうなるようにしかならんだろう」
『ふっふっふ』
男を案内する鬼も屈強だったが、妙に気が利く様で男に言葉を向けたが、何がおかしいのか低い笑い声を漏らした。
『いやすまん。一角の人物というのは腹の括りも一味違うらしい、と』
(はん?)
『百聞は一見に如かず。形式単純労働刑の刑場はすぐそこだ』
鬼の言う通り、建物の外を出てすぐの窪んだ場所にその刑場があった。
『さあ働けい! 閻魔大王様のために働くのだぁ!』
『動きが止まっとるぞぉ!』
(地獄だ……)
男の思い通り、そこはまさに地獄であった。
窪んだ場所の中央には、超々巨大な臼の様なものがどんと設置されており、そこから横に突き出した数百本の木の棒に、無数の人間が張り付いて臼を回転させていた。そして近くにいる屈強な鬼達が、鞭をしならせて地面を叩いているではないか。まさに地獄絵図であった、
『あれがここの電力の源、責め苦臼発電所、通所
(人力じゃん)
回転エネルギーを利用して電力を産み出しているようだが、まさかの人力発電に男はドン引きしていた。
『あの鬼達の事は気にするな。一時間に数分ああやっているだけで、人間に鞭打ちしたことはない。一応刑罰をしているという建前上、形式でも責め苦役が必要なのだ』
(形式の責め苦役とは?)
『電力だ! 電力をもっと生み出すのだぁ!』
『働かんかあぁ!』
それはもう恐ろしい形相をしながら、ぴしんぴしんと地面を鞭打ちしている鬼だが、案内役の鬼が言うには形式らしい。だが実際、木の棒を押している男達に恐れている様子はない。最も、どこかげんなりした表情を見せていた。
(もうどうにでもなれ)
そう、今まさにここに連れてこられた男と同じような顔だ。
『食事だがつい最近の法改正で、獣肉が出るようになった。あのお方曰く、食する命に敬意を払えばそれでいい。とのことだ。今日の昼は大きめの握り飯と味噌汁、漬物のほかに猪肉も出る。お変わりは自由だ。あのお方が豊穣の神であられる、
「そうか……」
(なぜ俺は地獄で飯の説明を受けてるんだ?)
男は匙を投げる距離が足りなかったらしい。もうほとんど右から左に聞き流していた。
「……ともかく、あれを回してたらいいんだよな?」
『その通りだ』
男はもういいから、自分がやらないといけないらしい刑をやる事にした。
「い、いやだあああ!」
「あんな所に行きたくないいいいい!」
「やめてえええええ!」
(うん?)
だが男が臼へ向かう前に、後ろから情けない叫び声が聞こえ始めた。
『大焦熱地獄を見終わったようだな。あそこへ行く者はいつもああだ』
男が振り返ると。怨敵である10人が鼻水と涙を流しながら、鬼達に無理やり引っ張られていた。彼らが見たのはまさに地獄。鬼達に割かれ徹底的に責められ、信じられないほど巨大な炎の中で踊り狂う罪人達の姿だ。
「あいつらに相応しいか?」
『ああ』
「ならいい。俺は刑を勤めよう」
それだけ知れば満足だと、今度こそ男は臼へと向かい、横から突き出た木の棒を押し始めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! どうしてあいつはあれだけで、俺達は
「お、お、おかしいだろ!」
「いやだああああああ!」
10人は自分達とはまさに天と地獄程違う扱いに絶叫した。尤、地獄そのものに比べたら、なんでも天国に思えるだろうが、それでも自分達を殺した男が、単に木の棒を押しているだけなのに納得がいかないようだ。
『さあ戻るぞ!』
『貴様達は大焦熱地獄なのだ!』
これもまた刑である。自分達と男の扱いの差を知り、その落差に絶望することも。
「あああああああああ!?」
「いやだああああ!」
「やめてくれえええええ!」
鬼達に引き摺られる10人は、地面に爪を立てて抵抗するが、虚しく大焦熱地獄へと落とされた。恩赦は与えられず四十三京六千五百五十一兆六千八百億年ずっと。
一方男のほうは
「おにい!」
「お、おお、おおおおおおおおおおおおおお!」
ここから先を深くは語るまい。男は1日労働した後に面会者が訪れ、そのまま刑期を終えた。涙を流しながら抱き合う二人が輪廻の輪に加わるのはまだ先の話だが、次の生は幸多いものとなるだろう。何せ再び兄妹として生を受けたうえ。
陰からニコニコとみている小さなお地蔵様が祝福していたのだから。
地蔵菩薩の司る権能こそまさに、目には目を、歯には歯を。善果日増、即ち善い行いの果報。宿福受生、即ち善行によってよい生まれを受ける。であった。
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