幕間 権能使いの頂点 色褪せない色

 話はギリシャ選手団が、初めて学園にやってきた日まで遡る。


「ふごごごご……」


 その日の晩、木村太一が呑気に眠っていた。四葉貴明曰、メンタル100な彼は精神的に疲れることはない筈なのだが、慣れない事が起こって気疲れしていたのだ。


『名前を聞かせてくれない?』


『名前を聞かせて』


『名前を聞かせて欲しいの』


 というのも、ギリシャ選手団にいた同い年とは思えない金の髪をした妖艶な美女、黒の髪をした若干冷たい印象を与える美少女、銀の髪をしたどこかぼうっとした美幼女に囲まれ、根掘り葉掘り色々と質問攻めにあってしまったからだ。


 これには流石のゾンビも参った。非戦闘系の海外の女神限定であるとはいえ、権能使いとしてほぼ頂点に君臨している彼は、実家でも他の名家でも、あまりに規格外すぎて腫れもの扱いなのだ。当然べったりと引っ付いて話しかけてくる生身の女性は初めてで、しかも他のギリシャ選手団が、ウチの秘蔵っ子になにをするつもりだと睨んできたのだ。そのため疲れた太一は家に帰ってすぐに寝た。寝たのだが……。


『今日で最後だったから、貴方に会えてよかったわ』


『今日で最後だったから、貴方に会えてよかった』


『今日で最後だったから、貴方に会えてよかったの』


 別れ際に三人の女性が呟いた言葉がどうしても気になって、世間が知れば泡を吹いてぶっ倒れる様な手を使うことにした。


「姐さーん」


 夢という現実であるが、限りなく違う世界で意識を保っていられる彼は、かの存在に呼びかけたのだ。


「ニュクスの姐さーん」


 恐るべき女神を


 ギリシャ神話体系の祖、カオスの娘であるニュクスを。


 なんと恐るべき女神か。モロスを、ケールを、タナトスを、ヒュプノスとオネイロスを、ネメシスを、アーテーを産んだまさに大女神。恐らくギリシャ神話において最も位の高い女神であろう。


『タイチよ』


 なんと恐るべき男か。姿はなく声のみであっても、最早現代において陽炎としか存在しない筈の神が、その呼びかけに答え人の名を呼ぶなど、一体どれほどの人間が出来ると言うのか。ましてや相手は最上位も最上位の女神。もし彼以外がその声を聞こうと思ったら、ギリシャが総力を挙げて年単位の準備を行い、それでも分の悪い賭けをする事になるだろう。


『我が娘達の魂を宿した者が危機に陥っている。助けてやってくれ』


「はい?」


 そのニュクスの唐突な話の内容に、太一はポカンとしていたが、彼はある意味で慣れていた。なにせ相手は人間とは思考も精神も違う超越者なのだ。ましてや女神。そんなのと付き合っていたら、急に何かを言われたりするのは慣れっこである。


 ◆


 逆カバラの悪徳、バアルの契約者には計画があった。天敵であるカバラの聖人や、同じ逆カバラでも常に主導権争いをしている者達を寄せ付けない力を欲した彼は、ある存在に目を付けた。それは運命の神だ。誰も逃れられない運命を操る力を手に入れれば、この世で自分に対抗出来る者は、誰一人としていなくなると考えた彼は、長い時間を掛けてあらゆる方法で模索した。


 そこで目を付けたのが、ギリシャ神話のモイライ三姉妹と、北欧神話のノルン三姉妹である。いずれも運命の力を操る女神で、それに関係する遺物や遺跡を探していた彼は、ついに発見したのだ。


 しかもそれは、ヒントになる間接的な物どころではなかった。


 よりにもよって、かつて存在していたモイライ三姉妹から伸びた、人間には見えない糸を見つけだしたのだ。もう後は簡単だ。その糸を辿っていけば、現代でその魂と力を持った人間に行きつく。


 そのため全く容姿が違うにも関わらず、三つ子の三姉妹は絶望していた。自分達の糸を辿っている者がいる事は、非常に限定的だが長女の未来を見る力で分かっていても、その糸を断ち切る三女、アトロポスの力が弱すぎたため出来なかったのだ。


 そしてその糸を追う者が辿り着いた未来とは、今日この時だった。


 ◆


『ようやく会えたな俺の女達』


 好色な笑みを湛えたスキンヘッドの白人が、ついに糸の先にいる三姉妹を見つけ出した。生まれた時から三人とも髪色が違う為、そのまま肖ってクロトー、ラケシス、アトロポスと名付けられた三人に。


『いいから早く終わらせて欲しいわね』


『いいから早く終わらせて』


『いいから早く終わらせて欲しいの』


 三姉妹に抵抗の意思はなかった。この夢の世界は既にバアルが制圧していたため、ここでは彼のルールが強要され、誰も異能を使うことが出来なかった。しかしこれは不平等極まりなかった。バアルの肉体は天性のもので、下手をすれば下位の能力者なら、全く異能を使わずに撲殺出来るほどなのだ。異能を使わなければ単なる女でしかない三姉妹では太刀打ちできなかった。


『早く終わらせくれと言われても、夜は長いからなあ』


 ニヤニヤと笑みを浮かべるバアルの契約者が何を考えているなど、三姉妹をなめ回すように見ている様子から誰でもわかるだろう。


 三姉妹はこれから自分達を襲う暴虐に、疲れ切った様子で目を伏せた。


『そんな顔をするな。俺とお前達は結ばれる運命だったのだ』


 まさに運命。神代から現代に残っていた、本当に僅かな糸にバアルの契約者は気づけたのだ。その運命を手にするべく、彼は一歩前に進もうとした。


「よう分からへんけどストーップ!」


『は?』


 真っ白でなにもない世界の地面から、上半身だけ飛び出て来た金髪の、どこか軽薄そうな男が契約者の足を引っ掴むまでは。


『な、な、なんだ?』


 契約者が発したバカの様な言葉だが、彼にしてみれば本当に意味が分からなかった。自分が制圧した三女神の夢の世界に、全く見ず知らずの男が上半身だけ地面から生えてきて、自分の足を掴んでいるのだ。


『え?』


『はい?』


『うん?』


 勿論三姉妹も困惑した。例え今日寝なくても、いつかは絶対夢の中に侵入して、バアルの契約者が自分達を辱める未来以外は存在しなかったのに、急に異物が紛れ込んだのだ。


 もしそんな者がいるとしたなら、それは三姉妹達とは違う、運命を操れる者かそれすら支配する者、あるいは


 それを乗り越えられる人間か。


「さっぱり状況は読めへんけど、薄い本みたいな事になる直前と見たで!」


 まさに馬鹿そのものな事を叫んでいるのは、ニュクスに連れられて三姉妹の夢の世界に放り込まれた木村太一だった。しかし、バアルが完全に支配している世界だったため、中途半端に上半身だけが突っ込む形となり、まるで地面から生えたかのようになってしまったのだ。


 だが、例え見てくれが馬鹿でも、やったことは途轍もなかった。


『馬鹿な!?』


「っしゃあおら! ワイとここで根競べや!」


 自分を楔として夢の世界に打ち込んだ太一は、更に契約者との間に見えない繋がりを構築し、お互いを雁字搦めにして、世界の主導権を争い始めたのだ。


『猪口才な!』


 だがそれは微々たるものだ。元々契約者が支配している海に、一滴だけ黒い染みを垂らしたようなもの。例え形は契約者が鎖で止められたようなものでも、太一が死ねば意味がない。


『死ね!』


「ごぺ!」


 契約者は抱き付かれている足の反対で、太一の顔を思いっきり踏みつけた。これが現実ならその顔は陥没していただろうが、ここは夢の世界である。しかし肉体的な怪我は一切起きないが、代わりに痛みが精神が直接傷つけ、精神の崩壊という形で死を迎えてしまう。


『ウジ虫が!』


「ぶべべべべべべ!」


 一撃で精神の死を迎えなかった太一に、契約者は折角のお楽しみを邪魔された苛立ちも込めて、何度も何度も何度も何度も何度も何度も踏みつけた。


『もう止めて!』


『もう止めてよ!』


『もう止めてなの!』


 自分達を助ける必要はないと、太一に呼びかける三姉妹だったが、契約者と太一の周辺は、主導権争いをしているため空間が歪み近付くことが出来ない。


『死ね死ね死ね死ね!』


「ぐべべべべべべべ!」


 何度も踏みつけ続けられる太一。


 何度も何度も


 何度も何度も何度も


 一日が


 何度も何度も何度も何度も


 一週間が


『もう止めて……』


『もう止めてよ……』


『もう止めてなの……』


 何度も何度も何度も何度も何度も


 ひと月が


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も


 半年が


『うう……』


『ぐす……』


『ああ……』


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も


 一年が


 何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも耐えた。


『う、嘘だ……』


 一年と言っても夢の世界なのだ。体感に過ぎない。しかし、バアルは契約者として魂が歪み、三姉妹はモイライ三姉妹の力を受け継ぎ、少々精神構造が人間と違うため、体感とは言え一年もの間同じことの繰り返しでも平気なのは分かる。


「ぐべべべべべべべ!」


 分からないのは


 その体感一年中


 常に踏み続けられながら精神を攻撃されているのに


 全く、これぽっちも、欠片たりとも


 自我の崩壊も精神の摩耗すらも起こしていない


 木村太一という男だろう。


『……』


 もうこの時三姉妹は涙も枯れ、ただ自分達を守っている男をじっと見ていた。


『な、な、なんだお前はああああああああああ!?』


 そしてついに、契約者の精神の方が先にひび割れた。


「チャーンス! 今からここはワイのもんや! とう!」


 体感一年中踏み続けられたというのに、これぽっちもへこたれていない太一が、契約者から世界の支配権を奪い去り、異能を使えないというルールを書き換え、ようやく下半身が埋まっている地面から抜け出した。


「どっせえええい!」


『ぐうう!?』


 太一にタックルされて地面に倒れ、馬乗りされる契約者。これが現実世界なら一瞬で太一を振りほどけるが、最早この世界の支配者は太一なのだ。精神にひびが入った契約者ではどうすることも出来ない。


『こ、この女たちは俺の物なんだ! それが運命なんだ!』


「喧しい! まだよう分かっとらんが、お前に渡すくらいならワイのにする! 【権能式発動!】」


 精一杯に自己の正当性を訴える契約者に、精神のみで世界をひっくり返して自分のものとした男が、その権能使いとしての力を全力稼働させる。


『アナンケー了承』

『テュケー了承』

『デキマ了承』

『ノーナ了承』

『モルタ了承』

『ウルズ了承』

『ヴェルザンディ了承』

『スクルド了承』

『フォルトゥーナ了承』


 世界の全ての人間が畏怖するその技、業、権、能。


 太一に応えた全てが運命の女神。


『あ、ありえない! ありえないいいいい! 神と契約してもない単なる人が、こんな降神術を使うなんて!?』


 バアルがようやくナニを相手にしているか気づいた。


 例え扱える力が、日本以外の非戦闘系女神のみであろうと、他に一切の制限なし、全く条件なし。盟友、北大路友治が肉体的到達者であるならば、木村太一は霊的到達者。まさしく権能使いの頂点。至高の天。


 その運命の女神全てが太一の味方として


「拒否!」


 太一に拒否された。


 今必要なのは外からの力ではない。


 だから呼びかけた。


「今日で最後言うてた今日はもう終わり! 明日の予定がなかったんなら、学園の案内してやるで!」


 今日が最後だと悟っていた三人の女性は、太一から向けられた言葉に。


『クロトー了承!』


『ラケシス了承!』


『アトロポス了承!』


 運命の三女神の力を持つ者として、彼が行う力に


「そっちやない!」


 違うのだ


「自分を言え!」


 最後は


『『『明日を見せて!』』』


 自分でそう答えた。


「おうよ!」


 これで最後の一押し


「【人間女神髪結い結納式】!」


 三人から女の命と言える髪が一本ずつ離れ、それが太一の左手の薬指に巻き付く。


「くたばれやああああああ!」


『ああああああああああああああ!?』


 最後はもう、権能とか業とか言えたものじゃなかった。女の命を結ばれた左手では殴りたくないと右で殴ったが、そんな事は関係ない。運命の女神、モイライ三姉妹の力が宿ったその拳が、運命を破壊するため、バアルの契約者の顔面に突き刺さった。


『あ』


 そして、幾ら権能や業でなくても、その力を直接受けたのだ。契約者は、未来、現在、過去の糸がグチャグチャに絡まり引っ張られ捻じられ、その全てから否定され、最後はこの世でもあの世でもない、運命と時の狭間へ永久に追放された。


「じゃ、また明日案内するね。おやすみー」


『え?』


『はい?』


『うん?』


 余韻もなにもない太一の言葉に呆然とする三人だが、太一にしてみれば何時までも淑女の夢の中にいるのはよくないと、自称紳士らしく振舞っただけで、本当に夢の世界から去ってしまった。これが漫画なら、ぴゅーっと乾いた風が吹いていただろう。


『……絶対に』


『……逃がさないから』


『……覚悟するの』


 女の夢に入り込んで、自分達に何もしないで去ったふざけた男に、彼女達はそれはもういい笑顔で宣言するのであった。


 ◆


「ってなことがあったんや」


 ふーん……お前、体感一年くらいその三人の為に戦ってたんだな。そいつにお礼参りしたいんだが、この四人とも結局、その世界から追放された奴の事を知らないときた。時と運命の狭間とか、流石に覗いた事がないな……。


『本当に素敵だったわ』


『本当に素敵だった』


『本当に素敵だったの』


 話しの前はほんのり頬を染めてチャラ男に寄り添ってた三人が、今はうっとりとした表情で抱き付いている。


「そっから今日まで捕食されそうで逃げてたんやけど、さっき清いお付き合いからって事で話が纏まって、まあ、その、あれや」


 いやあ、と照れくさそうなチャラ男だけど、お前さん分かってる? ギリシャ神話の女神だよ? 清いお付き合いから正反対の、どっろどろな情念がお前にこびりついてんだけど。っつうか三人同時と付き合って清いとはこれいかに。ついでに言うと、三姉妹に抱き付かれて埋もれてる今のお前、最高にチャラいチャラ男だから。


 ま、まあこれで彼女達がどうして強くなってるか分かった。権能使いとしてトップのチャラ男と深く結び付いたことで、その女神の力を引き出しやすくなったのだろう。ところで、なんで夢の中で指に結んだはずの髪の毛が、今もあるんですかねえ。


「という訳で、ワイこれから晩飯作って貰うんや。だよね?」


『勿論よ』


『勿論』


『勿論なの』


 ニッコニコな三姉妹だけど、チャラ男よ、その晩御飯のメニュー、お前の名前じゃないよな? いやマジで。気を抜いてたらそれこそ捕食されるぞ。未来、現在、過去にこれでもかと絡まれてるんだ。予言者じゃなくてもチャラ男の先を当てられる。墓穴だ。


「そんじゃまた明日ー」


「あ、はい」


 世間話でも終えたかのようなチャラ男が、三姉妹と一緒に去っていった。墓碑銘はチャラ男、ここに死すでいいな。


 ……使うか? 去年のクリスマスには間に合わなかったが、ついに完成したリア充が爆発する呪いを使っちゃうか?


「今日は鶏むね肉が安い」


「はい翼先輩。売り切れる前に買わねば」


 マッスルと中性先輩が仲良く歩いている。


 ……よし使おう。


 いや待てよ? それを使ったら今年の俺も爆発するな。なんといっても俺はお姉様と結婚した、リ! ア! 充! だからな! ですよねお姉様!


「ぷ…………ぷ……………」


「お、お姉様あああああああ!?」


 な、なんて事だ! チャラ男の話がツボに入ってしまって、お姉様が大ピンチを迎えている! スーパーウルトラプリティあいてっ。でへへ。


 しかし……何故だかよく分からんけど、俺の立場が非常に危ない気がする。こう、座っていた椅子から無理矢理蹴飛ばされて奪われたような感じが……。

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