幕間 悍ましきナニカ

『時差ボケがあるからいきなり体を動かすなよ』


『はい』


(繋がった)


 ギリシャに割り当てられた訓練場で、引率者やトレーナーが代表選手達に注意喚起をしていた。当然それをサポートするスタッフも忙しく動き回っていたが、その端で椅子に座っている眼鏡を掛けた女性スタッフが、チェックシートに目を通す振りをして、実際にはロシア選手団の様子を盗み見ていた。


 この女性、非常に希少な能力を持った能力者で、所属も民間ではなく軍の情報部という、ある意味この場に相応しい立場の人間だった。そんな彼女の能力とは、自分から一定の範囲に存在する、鏡面状の物に映った映像を自分の視覚情報として読み取る力だ。この鏡面状の物という条件は融通が利き、鏡に始まり単なる金属の端でもいいため、現代において非常に強力な異能と言えるだろう。


(やはりほとんどが超力者、変わったところもない)


 その力を使って彼女は、ロシア選手団が使用している訓練場の金属片を介して、全く気が付かれずに情報を集めていた。だが見られている前提で動いているのは、ギリシャも含めどこも同じだ。強力な異能者は国防に関わる為、戦車や兵器と同じように各国共に詳細なスペックを公表するはずがない。それでも彼女は、ルーキーという若さゆえに少しでも本来の性能を見せる隙があるのではないかと、淡い期待と分かっていながら与えられた仕事をしていた。


 勿論ギリシャが、それなりのリスクを背負ってロシアの様子を盗み見るよう彼女に命じたのには理由がある。ある時まではそこそこの関係を維持していた両国だが、ギリシャにとって忌むべき事件、ヒュドラ事件に置いてロシアが戦略ミサイル部隊を動員したことが原因となり、決定的に決裂してしまったのだ。


 それはそうだろう。ヒュドラを仕留めるためとはいえ、危うく核の飽和攻撃を受ける寸前だったギリシャは、それ以降かなり過敏にロシアの動向に注意しており、この女性が派遣されたのもそういう理由からだった。


 だがそこまで。彼女に与えられている仕事はあくまでロシアに対する情報収集であり、大会そのものには関与しない事となっていた。


 だからセーフだった。


 鏡というものは気を付けなければならない。人が古来からそこに魔を見出してきたのには理由があるのだ。例えば、無限に続くと思わせるような合わせ鏡の一番奥で、映る筈のない男がじっと覗き返しているかもしれない。


 ◆


 ◆


 時間は大きく過ぎて草木も眠る丑三つ時。場所は森林訓練場。


 真っ暗な森の中で明かりもつけず、一人の男が紙とペンを片手に移動していた。


 その国の名誉のために、敢えて彼の国と表現しよう。


 彼の国には使命があった。それは憎きロシア連邦を打倒するという崇高な使命だ。しかし今まではある問題があった。それは大会があまりにもオープンな場で行われたため、小細工が介入する余地が無かった事だ。しかし今回は違う。新たに見通しの悪い森での戦いという要素が加わったため、その小細工が出来るようになったのだ。


 そこで抜擢されたのがその一人の男。彼は例え洞窟の奥底であろうとまるで太陽の下であるかのように見ることが可能で、この森林訓練場のマッピングを任されたのだ。そして万が一の時に証拠を隠滅しやすいように、彼の国の十八番である電子機器では無く、態々紙に書き込むほどの徹底ぶり。


 だからセーフだった。


 事前に森林訓練場への持ち込みが禁止されているのは、外部との連絡手段と電子機器だったため、紙に書き込まれた情報は明確なルール違反ではなかった。


 しかしそれを誰が判断していたのか。


 それは男でも見通せない深淵で形作られた、彼そのものだった。


 ◆


 ◆


 ナニカは喜んでいた。最悪の場合、例えば学園のサーバーから直接機密情報の抜き出しが行われ、学園長が制圧する事まで想定していたが、蓋を開けてみれば各国全てがお行儀よく真っ当に活動していたのだ。違反と言えば精々、森林訓練場にカメラを仕込んでいる程度で、これはほんのちょっとだけ大げさな監視をしてしまったかなと思っていた。


 だが緊急事態が発生した。どう考えても直接的な工作をするとしか思えない場所、食堂の調理場に侵入した者が現われたのだ。


 間違いない。下剤を盛るのだろう。


 明確なルール違反だった。


 よりにもよって真っ暗な調理場を進む男は、まさにナニカの腹の中。活かすも殺すもその気分次第。決定的な瞬間を行うと、即座に学園長が招かれて制圧されるだろう。


『?』


 しかし妙な事が起こった。調理場を横切る男はその調理器具には目もくれないではないか。ナニカは不審に思いつつも、自分の腹の中でなにが行われるか慎重に見送ることにした。


 そして調理場の壁に行きつく男。その時決定的な事が起こった。


 学園の最重要機密が書き写されてしまったのだ。


 だがである。その男には全く何も起こらず、満足したように調理場を去っていったではないか。


 判定はセーフだったのだろうか。


『……!!!!!!』


 いや、調理場の闇が激しく蠢いていた。ともすれば怒りすら感じさせるほどの蠢き。これは完全にアウトなのだろう。


 なにせ男が書き写した最重要機密とは


『レ、レシピが流出してしまったあああああああ!』


 そう! 伊能学園が世界に誇る食堂のレシピが流出してしまったのだ!


 実はこの学園の料理はかなり美味しいと、以前やって来たアメリカ校やロシア校が絶賛しており、じわじわと有名になりつつあったのだ。そんな食堂の最重要機密を書き写すなど、まさに世紀の大犯罪というほかなかった。


『でもセーフ……! 体は資本と言うなら、それを作るための食事を美味しくするのは立派な戦略……!』


 だが邪神的ルールではこれはセーフだ。食もまた他を一歩出し抜くための要素であり、レシピを直接盗むのではなく書き写しただけなのならセーフだったのだ。


 だがである。


『でも納得いかねええええええ!』


 また闇が蠢いた。


 そんな馬鹿というかアホな情報収集を真剣に監視する羽目になったナニカ、貴明にしてみればズッコケて悪態を叫ぶのは当然のことである。



 ◆


 そして、彼の頑張りのお陰で何事も無く、ついに世界異能大会が開催される日がやって来た。

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