幕間 ミカエルvs■■■

『日本国際空港にて、神の遺物らしきモノが発見された。航空機爆破テロを引き起こしているテロ組織"天秤"との関係は不明だが、空港内の一斉捜索を推奨する』


 極東の雄、異能研究所所長源道房が、関係各国に出した秘密裏の声明は、既にテロにあった国を激震させた。それも当然だろう。神の遺物を用いてのテロなど、下手をすればヒュドラ事件の焼き回しが起こる可能性があるのだ。


『バ、バチカンに連絡を取れ! カバラの派遣を要請するんだ!』


 中でも特に、ギリシャが起こした反応はまさに恐慌だった。全人類にとって忌まわしきヒュドラ事件の爆心地であるこの国にとって、忘れられた神話の犠牲になるのはもうたくさんだったのだ。


 そのため人類の切り札ともいえる"カバラの聖人達"を派遣するように、バチカンに要請したのだ。


 だがバチカンはこの手の要請など聞かない。彼らカバラの聖人達は、一神教の総本山であるバチカンの切り札であり、そう簡単に他国に派遣していい存在ではないのだ。


『これは……断れんか……』

『単なる調査なら、まあ……』


 しかしバチカンにはギリシャに対して負い目があった。それはヒュドラ事件の際に、カバラの聖人を派遣しなかったことだ。勿論当時はカバラの聖人達の事を公表していなかったのだが、発表した今となっては、当時まだカバラの聖人達は存在しなかったという、バチカンの主張を信じる者など誰もいない。そのため事ギリシャに対してだけは、カバラの聖人を失う可能性があまりない、念のための保険的な協力を要請されると、断ることが出来なかったのだ。


『だが誰を?』

『調査ならラツィエルだが……』

『彼は今動かせん。それに実際の所、ギリシャが欲しているのは調査員ではなく、何かあったときの保険的な戦力だ』

『ミカエルでどうか?』

『うむ。サンダルフォンとメタトロンが切り札である以上、ミカエルが適任だろう』


 単なる調査なら知恵の天使であるラツィエルを派遣すればいいのだが、ギリシャが欲しているのは何かあったときの直接的な戦力であった。


 そしてバチカンにとってサンダルフォンとメタトロンが切り札である以上、それ以外のカバラとなるのだが、中途半端な者では冷え切ったギリシャとの関係が修復出来ないとなると、実質的に実動班のトップであるミカエルが相応しいと決定したのであった。


 しかし、恐慌、恐怖という言葉に興味が引かれるのが悪魔ならば、それはある意味必然であった。


 ◆


 つまりギリシャ国内で、記されている歴史上初となる、カバラの聖人と逆カバラの悪徳が激突したのだ。


「【ミカエル】よ!」


 先週"天秤"のテロによって多数の飛行機が爆破された空港の滑走路で、ミカエルの契約者はその身に天使の力を宿し


「なに!?」


 宿せなかった。


「あははは! どうしたのかしらミカエルの契約者さん?」


 ミカエルと相対するのは、腰まで伸びたブラウンの髪の女性だが、その美したと言ったら。赤く光る瞳に、それよりも更に赤い唇はまるで濡れている様で、仮に世界中の美女を集めたとしても、彼女に太刀打ち出来ないのではないか。そう思わせる女性だったが、その肢体も負けず劣らずで、薄いマントの様に羽織っている布からでも分かる、男なら誰もが理性を失い、目を血走しらせて襲い掛かる様な起伏を持っていた。


 だがそんな存在が、単なる人間な筈がなかった。


「まさかこれが"不安定"の力か!?」


「あはは! 言うとでも思った? でもせいかーい!」


「リリスうううううう!」


「あはははは! 怒っちゃやーよ! さあ、正々堂々戦おうじゃない!」


「【聖な】くそっこれもか!」


 ミカエルの契約者は愕然とした。そのミカエルの権能を降ろすことが出来ないどころか、なんと自らの異能さえ外部に発することが出来なかったのだ。


(出来るのは……体の強化だけか!)


 自らのコンディションを把握するミカエルだが、出来る事は異能者にとって基礎の基である身体強化のみ。


 クリフォトたるリリスの権能"不安定"。それは、相手が外部に発する能力を不安定にする、どころか無効にするという恐ろしいものであった。


「【原女の幻】!」


「ちいっ!」


 5人に分裂するリリス。しかもその上、リリスの方は全く関係ないとばかりに権能を使う始末だ。あまりにも不平等。これこそが夜の女にして、原初の、原女リリス。彼女の前では、鍛え上げた全ての技が意味をなさないのである。


「貴様だ!」


 しかしまさに百戦錬磨のミカエル。ほんの僅かな違和感から本物のリリスを見抜き、強化した体で肉薄すると、その非鬼すら一撃で粉砕する拳を放った。


「な、なぜ!?」


 だがしかし……渾身の力を込めた拳は、リリスの目の前で止まってしまう。


「あははは! 男が夜の女に! 最初の女に手を出すの? 出せないわよね! これが私の、リリスのもう一つの権能【婦侵犯不神判!】」


 人間の男は本能で知っている。女がいなければ次代が、子孫が生まれない。それは即ち、人類の滅亡に直結すると。勿論それは逆もまた然り。しかし原初の女は、男のその意識を更に更に高めて……


 攻撃すら封じてしまうのだ。


「こんな馬鹿な事が!?」


 権能を封じられ、その上更に攻撃まで出来ないミカエル。


 あまりにも、あまりにも強力過ぎる男に対する特効。そう、原初の女に男は何も出来ないのだ。


「さあ死になさい!」


 その無力な男にリリスは死を告げながら、鋼鉄を容易く切り裂く爪を伸ばしミカエルに襲い掛かる。


「舐ぁめるなああああ!」


 しかし忘れる事なかれ。ここにいる男は凡百な天使の契約者ではない。サタンを下した大天使長、神に似たりし者、ミカエルの契約者なのだ。


「んなあ!?」


「ぐっ!?」


 ミカエルの放った拳は、リリスの肩に確かに当たった。


「ぐうううう!?」


 だがそれが限界だった。リリスの顔ではなく、子宮のある腹でもなく、肩に拳を当てただけなのに、ミカエルを襲う途方もない罪悪感と、真っ正面から本能に逆らった故に起きる脳のエラーで、彼の動きは止まってしまう。


「こ、こんな馬鹿な事が!?」


 だがリリスも混乱していた。


 今まで起こった事が無いのだ。男に、絶対の優位を持った相手に殴られた事など。ただの一度も。


「よくもやってくれたわねええええ!」


 リリスは美しい顔を憤怒の赤に染めて、ミカエルに襲い掛かる。


「ぬううううう!」


 それに相対するミカエルだが、脂汗を流しながらも、しっかりとその目はリリスを捕えていた。


 ◆


 ◆


 ◆


 ◆


「ふううう! ふううう!」


「あーあ、いつまでもやってられないわ。またね」


「待てリリス!」


「ばーい」


 一方的にミカエルを攻撃していたリリスであったが、急遽編成された精鋭達の到着と、ボロボロになりながらも未だ戦意の衰えないミカエルに嫌気が差し、転移を用いて撤退する。


「この体じゃミカエル相手はだめだったわね。次を探さなきゃ。あ、そうだ。いい事思いついた。確か中級の契約悪魔が、天使の羽を代償にしたって自慢してたわね」




 より美しい女に乗り移り、その体を我が物としてきたリリスの契約者は












「確か無性だったはずだけど、そんな事私ならどうとでも出来るし、天使の、同族の体ならミカエルはもっと手出しできないかも! うふふ!」


 新たな体を欲していた。

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