閻魔大王
アメリカ、ワシントンD.C.。まさに世界の中心である場所であったが、今日この日はまた別、話題という意味で世界の中心となった。
「え!?」
「は?」
「な、なんだ!?」
普段と何ら変わる事ない日常であったが、突如市内の開けた一画の空間が捻じ曲がり、なんと主にアメリカ人と、複数の別の国家の人間が、一瞬の内に招かれたのだ。
『傍聴人へ伝える。此度はクリフォト、逆カバラの悪徳、ナヘマーの契約者の裁判を執り行う事となった』
そんな混乱仕切っている彼らに声を掛けたのは、まさに見上げるほどの身の丈に真っ赤な顔、天に逆らう豊かな髭、頭に冠、官吏服、そして手には笏。
ヤマ、閻魔羅闍、閻羅王、その名は数あれど、日本の誰しもがその名を言うだろう。
そう、閻魔大王がそこに鎮座していた。
『この場に招いた者は、そ奴に親しい者が殺され、その傍聴席に座る権利がある善人のみだが、内容は凄惨なものとなるだろう。心の臓が弱い者、気の弱い者には負担となるだろうが、それでも権利がある故招いた。なお途中退席は自由であるため、具合が悪くなった者は係の鬼に申し出よ』
その厳つい顔には似合わぬ優し気な声と、存在としての格があまりに違い過ぎる事もあって、椅子、閻魔が言うには傍聴席に座っている人々の混乱は収まった。
だが、それを遠めから見てしまった人々の混乱は収まらない。まるでハチの巣をつついたかの騒ぎとなっており、閻魔大王としても騒がしい中で裁判をするのは嫌であったのだが、生者を地獄に直接招くのは、人間の魂魄が傷つく恐れがあったため、こうして現世に自らやって来たのだ。
『最初に謝罪する。この者に殺められた者達を、日の本の者と同じように数日でも蘇せることは叶わなんだ。一神教の理に対する守りが攻勢なもののため、洪水が再び起こる可能性があるのだ』
次いで言うと、出来ればナヘマーの契約者に殺められた人々も呼びたかったのだが、ヒュドラ事件の様に覚悟を決めて戦死した武士達は、強い執念があったため現世に留まり肉を与えることが出来たが、突然、訳も分からず殺された者達は既に現世を去っており、その上一神教圏の者達ばかりであったため、非常に一神教と相性が悪い閻魔、いや、その中身では手出しが出来なかった。
『では裁判の準備を行う』
傍聴席と閻魔が鎮座する椅子のみであった空き地に、空間を歪ませながら裁判所の様な椅子や机、証言台、弁護席、そして無数の鬼達が現われた。
『その鬼達は雑務を担当している。決して危害は加えないと閻魔大王の名に誓う』
その鬼達に怯えていた人々であったが、どこか父性まで感じる閻魔の声に再び落ち着く。
『準備はよいか?』
『ははあっ!』
閻魔がぐるりと見渡し鬼達に確認を取ると、彼らは裂帛の声で応える。
『それではこれより十王を代表して我閻魔が裁判を執り行う! 異論はいかに!』
『ありませぬ!』
『弁護人は十柱を代表してこの不動明王が行う! 異論はいかに!』
『ありませぬ!』
弁護席にいつの間にか、炎を収めた不動明王が鎮座しており、その声にも鬼達は声を揃えて応える。
『ならばこれより裁判を執り行う! 被告人を連れてまいれ!』
『ははあっ!』
困惑する人々の前に、幾重にも縄で縛られた西欧系の容姿、青いサファイアの様な目に、短く切り揃えた髪。この場に相応しくない、まるで黄金の様なと形容するに相応しい女性が鬼達によって連れてこられた。
『布告官、述べい!』
『ははあっ! 被告人、このすてら・ぐりーんなる者は、無垢なる者三十四、善なる者百七十八、中庸なる者三百九十六、悪なる者三百三十、邪悪なる者二百十一の命を奪っておりまする!』
『被告人、異論はあるか!』
「こ、ここは一体!?」
ナヘマーの契約者にとって、突然意識を失ったかと思えば、いつの間にか縄に巻かれてこのような場所に連れてこられたのだ。まさしく混乱の極致と言えよう。
『被告人! この命を奪いし者達に異論は有るや非ざるや!』
「お前達は何者!? 私に何をした!」
『裁判に関係のない発言は許されておらん! 係官、天幕を降ろしやれい!』
『ははあっ!』
全く話を聞かず身を捩って逃れようとする契約者に、閻魔は傍聴席と被告人の間に存在する天幕を降ろすよう命じた。これは音と視覚を両方遮断する物であったが、なぜそのような事をするかというと、人々への配慮であった。
「ぎいいいいいいいいい!?」
鬼達が握っている縄の端から真っ赤な、深紅の炎が迸り契約者を焼いていく。
『再び問う! この命を奪いし者達に異論は有るや非ざるや!』
「し、し、知らない!」
生存本能故に迸った言葉であったが、日本人なら絶対にしなかったであろう。
閻魔大王の前で嘘をつくと、どうなるか分かっているから。
『天幕を上げよ! この者に関わる証言者はおるか!』
天幕が上がった。
次第に状況が呑み込めていた傍聴席の人々。自分の隣人が、愛する者が、家族が、友がいなくなったのはあいつに原因がある。と。
そんな彼らに閻魔が問うと、一人の女性が手を上げた。
『係官!』
『ははあっ! こちらへ』
傍聴席に控えていた鬼が丁重に証言台へと案内する。
『証言を述べよ』
「は、はい……あ、兄がこの女を連れてきたことがあるんです! 素敵な女性と出会えたって! で、でもそれから兄はおかしくなって、彼女と一緒に行くと言って帰ってこなかったんです!」
幾分柔らかい閻魔の声に促されて証言台に立った女性が、少なくとも兄の失踪に関わっているのは間違いないと証言する。
『被告人! 証人との面識、兄との関りについて述べよ!』
「し、知らない!」
『よかろう! 浄玻璃鏡を持ってまいれ!』
『ははあっ!』
歪んだ空間から、何か超巨大な物体がゆっくりと現れて来る。そう、少し前に使われた真実を映す鏡、浄玻璃鏡なのだが、サイズがビルほどもあり、その下には浄玻璃鏡に結ばれた荒縄を、無数の馬頭鬼と牛頭鬼が、その鏡の重さ故、顔に血管を浮き上がらせながら鼻息荒く引っ張っていた。
まるで馬車や牛車を引くのと変わらぬお役目であったが、しかし彼らの心は誇りに満ちて、運び終えるとその場に跪いた。
『浄玻璃鏡よ、真実を映すのだ!』
『素敵な女性と出会えたんだ。今日は紹介しようと思ってね』
その巨大な鏡に映し出されていたのは、証人とその兄、契約者が一緒に話している場面であった。
『証人、これに間違いないか?』
「間違いありません! そいつが知らないと言ったのは嘘です!」
証人にとって原理は分からなかったが、まさに記憶にある通りの映像が鏡に映し出されていた。そしてそれは、知らないと言った契約者の嘘の証明でもあった。
『証人を戻し幕下ろせい!』
『ははあっ!』
証人として立った女性が席に戻ると同時に再び幕が下ろされた。。
何故そのような事をするのか。答えは浄玻璃鏡に映し出された、死である。証人の兄は、契約者が遊びで誑かした後、その生気を吸い取ってまるでミイラ様にして殺されたのだ。
『んんぬぬぬぬぬぬ! 貴様はこの場で嘘をついたな!? この! 閻魔庁の! 閻魔の前で! 係官、やれい!』
『ははあっ!』
まさしく怒髪天と言うに相応しい面の閻魔が控えていた鬼に命を下す。
その鬼が手にしているのは、いまだ見えていないが西洋人にとってプライヤー、日本で言うところのやっとこ、もっと言えばエンマとも呼ばれる……
「な、なにを!? はなっ!?」
舌を引き抜く道具であった。
『神妙に致せ!』
「がぎっ!? ごぼおっ!?」
周囲の鬼に取り押さえられて、口を無理矢理開かれるナヘマーの契約者。そして……悲鳴は上がらなかった。聞こえるのは、引き抜かれた舌から溢れた血が気管に入り、濁った水を吐き出そうとする音だけ。
『幕上い!』
『ははあっ!』
ナヘマーの契約者は未だ取り押さえられていたままだが、傍聴席の人々は憎々し気な目で彼女を見ている。
『弁護人!』
『応! この者が殺めし悪と邪悪に関しては、食うか食われるか、弱肉強食ならば、獣の本能、原初の真理故致し方なし!』
『むう!』
不動明王は、悪と邪悪の者はお互いがお互いの首を狙っている様であるならば、それは原初の理論、弱肉強食を両者ともが納得して行っている事であり、これに関しては罪に問うべきではないと弁護した。
それに対してあくまで公正な裁判官、閻魔大王としてここにいる身では、例え命を落とした者が邪悪でも、殺めた命として罪に問うつもりであったが、その不動明王の弁護に一理あると頷かざるを得なかった。
『なれど人の理に生きし者達には適応されぬ! これに対しては公平な裁きが必要であると考える!』
『相分かった!』
しかしながら、それは獣と獣のルール。人の営みを生きる者達にとっては適応されないとして不動明王の弁護は終わった。
『第一審の判決を述べる! 無垢、善人、中庸、少々の悪を殺めた事に関して有罪! 大きな悪、邪悪の者を殺めたことに対しては無罪とする!』
第一審の判決が下り、それを二人の書記官が今までの事を含めて書き込んでいく。
『係官、これを!』
『ははあ!』
そして紙に玉璽の様な判を押した閻魔が、第一審の結果を記した書類を鬼に手渡す。
『続いて第二審、盗みの罪について!』
裁かれる罪は大きく分けて四。即ち、殺生、盗み、邪淫、虚言。そして邪悪の権化、ナヘマーの契約者が行っていない筈がない。
◆
『三回の再審は不要である! ここに判決を言い渡す!』
死者が望めば三回の再審が行われるが、それすら不要だと閻魔は言い切る。
『判決有罪! これから貴様が向かうは無間地獄! 剣樹に刀山、煮えたぎった湯、毒虫大蛇、獄卒達の責め苦、ありとあらゆる苦痛を刹那の間もなく、三百四十九京二千四百十三兆四千四百億年に渡って受け続けるのだ! 連れて行け!』
『ははあ!』
「ごぼおおおっ!?」
かつてアドラメレクの契約者は、人間の慈悲によって無間地獄より一つ楽な大焦熱地獄に堕とされたが、閻魔にとって判決は公正でなければならない。そのため、ナヘマーの契約者は地獄で最も下層。最も地獄。無間地獄へと送られることとなったのだ。
そして獄卒達が、未だ血の泡を吹く契約者を連れていく。
『以上を持って裁判を終える! 閉廷!』
傍聴席の人々にとって長い裁判が終わり、そこで顕になった契約者の罪、そしてその者に対して閻魔が宣言した刑に感謝と満足を覚えながら、閻魔の力によって元居た場所に戻される。
『係官、持って参れ!』
『は、ははあ!』
しかし閻魔の役目は終わっていなかった。人を裁いた罪を犯しているのが閻魔であるならば、その罪を償わなければならないのだ。彼は鬼達が持って来た大きな鍋、その中に入っている煮えたぎった銅を三度飲み干すことによって償ったのであった。
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