橘栞3

「学園長、橘栞です。入ります」


「入りなさい」


「失礼します」


 訓練場は開け放たれていたが入る前に一言断る。勿論普段からそうしているが、特に今は気を付ける必要がある。そうでないと母から雷が落ちるだろう。


「これはお久しぶりですな。奥方は初めまして。担任の竹崎重吾です」


「いやこちらこそご無沙汰しております」


「橘花子と申します。娘がお世話になっております」


 流石は学園長だ。既に故人の両親と会っても平然としている。この人が動揺しているところなど、ベルゼブブとの戦いを含めてすら見たことがない。まさに明鏡止水の境地。これが日本最強。


「しかし、歳を取られましたな。だが圧はかつてより更に大きい」


「いやはや何とも……」


 しかし流石に同年代だが、故人な筈の父に歳を取ったと言われると、なんと返せばいいかと困るようで苦笑している。


「積もる話もありますが、娘さんの事を優先しましょう」


「ありがとうございます」


 少し待ってください学園長。まだ心の準備が出来ていないんです。


「彼女は現在普鬼の訓練符を使用しているので、今日もそれを使います。いいな橘?」


「はい」


 よかった。まずは実技の方かららしい。


 ほっとしながら訓練場に上がる。はて? 成績の事を気にしすぎて、何か忘れているような……。


「では起動する」


「うっ!?」


 思い出した! というよりどうして忘れていたの!? 相手は……!


「ゴキブリとは斬新ですな。いや、娘は昔からあれが嫌いだったもので、克服するには寧ろ丁度いい。流石は実戦主義の独覚」


「これまた昔の呼び方を……」


「ほら栞、顔が引き攣ってるわよ。まだゴキブリを克服できてないのね」


 そう、相手はゴキブリ式符だった!


 しかもなんて気楽な両親の会話だろう! 二人とも私が子供の時から逃げ回っている事を知っているくせにこれだ!


(うげっ、浄力使いの姉ちゃんやん! うん? ほーん。おとっつあんとおかっつあんにええとこ見せんといかんのか? やけどワイは訓練相手や! ええとこ見せたかったら全力で掛かって来る事やな!)


 駄目だ。今日は色々あり過ぎたせいで、ゴキブリが関西弁で話しかけてきたような気さえする。


(ほな行くで! ぶーん、れつ!)


「うっ……」


 すんでのところで悲鳴を飲み込む。父と母の前で無様なところは見せられない。だが! 人間大のゴキブリが100匹に分裂して悲鳴を上げない方が無理だ! 四馬鹿達、特に如月優子が例外にすぎないのだ!


(食らえ! スーパーゴキブリ袋叩きアターック改!)


 ゴキブリが私の周りを取り囲み、前後左右どころか、飛び上がって上からも襲い掛かって来た!


「【雪塊ゆきかたまりの結界】」


 自分を中心にして、雪達磨の様な雪の塊を四方に配置して結界を結ぶ。そしての雪塊は、辺りに粉雪をまき散らし始めた。


(ちょい待ってや姉ちゃん新技かいな!?)


 確かに初めて披露する技だが、全くどうしてゴキブリの声なんかが聞こえてくるのか理解出来ない……。


(あっつううううううう!? この雪全部浄力で作られとんのかい!?)


 しんしんと降り注ぐ雪は浄力で編まれている。それがあっという間に地面を埋め尽くし、ゴキブリの足を焼いて清めていく。


(ワイも浄力対策しとらん訳じゃないで! 見せてやる! がーったっい!)


 がったい? まさか合体!?


(フハハどうや姉ちゃん! 密度が薄いからちょっとした浄力でやられてまうなら、合体してその分強化すればいいという結論に至ったワイの賢さよ!)


 奴は開始前の一体だけのゴキブリに戻った。頭がおかしくなりそうだ。いや、ゴキブリの声が聞こえてくるのもそうだが、結局それは群体型の利点を捨てて元に戻ったと言っていい。いくら普鬼下位の式符は、少鬼の延長上で戦えると言っても馬鹿すぎる。


「【粉々名残雪】!」


(ぐえええええええええええええええ!?)


 それならこちらも範囲ではなく、個に対して強力な技を使えばいいだけの話だ。しかも、今の訓練場は雪が積もった私のフィールドと言っていい。その雪を全て使ってゴキブリを包み込み、圧縮して粉々に粉砕した。


「うむ。まあ、普鬼でも下位ならそんなものだろう」


「だからきちんと褒めてくださいと言ってるでしょうに。腕を上げたわね栞」


 訓練場から降りると、頷いている父と拍手している母が出迎えてくれた。昔も……昔もこうだった……初めて浄力を使ったときも、浄力の雪を出した時も……。


「それでは面談にしましょう。お掛け下さい」


 そしてついに事の時が来てしまった……。


「娘さんですが、特に古文の造詣は素晴らしく、古くからの家が多い推薦組でも一二を争うほどです。また、実技に関しても例外を除けば、現在普鬼の式符を使っているクラスのトップスリーです」


「うむ」


「だから、うむで終わらさないで下さいよ。凄いじゃない栞。頑張ってるわね」


 頷く父と、父を窘めながら褒めてくれる母。でも学園長、そこまで。そこまででいいです。本当に。


「その代わり数学がかなり低いです。はい。かなり。きちんとしたテストが目前ですが、このままではかなり危ういでしょう」


 学園長! どうしてかなりと三回も言ったんですか!?


「ああ……まあ……分かっていたことだ……」


「だからあれほど嫌いでもやりなさいと……」


 幸い雷は落ちなかった。だが、何というか、居たたまれない空気をひしひしと感じる。もしくはやっぱりねという感じだ。そうか、私が数学が少し不得意なのは昔からの事だった。


「将来の事ですが、御父上と同じ単独者を目指して普段から努力しています。まだまだ先の話ですが、その素養は十分にあると思っています」


「そうか」


「栞が昔から言っている事ですものね」


 間違いない。父も母も誇らしげだが、何処か心配もしている。特鬼との戦いで命を落とした父の最期を考えると当然だろうが、それでも私は単独者になると決めているのだ。


「学園での生活は心配する必要はないでしょう。仲のいい友人もいますし、チームメイトにも恵まれています」


「よかったわ。あなた、昔から人付き合いが苦手だったから」


 母に物申したい。学園長の言う通り、ちゃんと飛鳥という親友もいるし、チームでも上手くやっている。だが、ついさっき会った貴明君もと揶揄われるのは目に見えているので黙っておく。


「総じて言うと、非常に優秀な生徒ですので、数学以外は心配することはないでしょう」


「いや安心しました」


「竹崎さんありがとうございます」


 また数学の事について言った!


「では短いですが終わりとしましょう。ごゆっくりなさってください」


「忝い」


「娘の事、どうかお願いします」


 そうだ……これは一時のこと……両親の言うことが本当なら、お盆限定の奇跡なのだ……



 ◆


 ◆


 ◆


 ◆


 ◆


「ではな」


「風邪をひかないようにね」


 お盆が終わり両親が、父と母が……帰ってしまう……分かっている……死者は……蘇らない……


「泣くな栞」


「そうですよ」


「でも……」


 分かっていても涙が止まらない。父と母がまた去ってしまうのだ……。


「閻魔が言うにはまた来年だそうだ。それまでいい子にしてろともな」


「おほほほ」


「え?」


「ではな」


「頑張りなさい。私達の一番大切な栞」


「う、うん……」


 父は素っ気なく玄関を開け、母は私を抱きしめてから父に続き……そして消えていった………。


 夢だったのだろうか……いや、この数日は確かにあった事だ……。


 お父様、お母様……栞は、頑張ります。









 え? 来年?









 ◆


「電子化しねえとマジでめんどいんですって! え? 折角判を持ち上げる権限があるんだからどうか使ってくれ? いや、確かに鬼さん達には重要な意味があるんでしょうけど、一括でパスポートを処理したいんですよ!」

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