第2話 寄り道


「私も好きなんですよ。濡れるの」

「そうなの……」


 そうなのとしか言えない。他に何て返せっていうんだ。

「中野」と書かれた名札のカラーは青色。後輩だと分かって少し気が楽になった。とはいえ、だ。


「いつから見てたの?」

「生徒玄関出て、ちょっとニヤついてから傘さして……」

「そこから!?」


 前すぎる。ていうか私ニヤついてたの?もうダメかもしれない。今すぐ家に引き返して布団被って叫びたい。


「いつ頃からそれやってるんですか?」

「え?布団叫び?」

「いえ、雨に濡れて帰……布団?」

「いや、なんでもない」


 観念した私は、こほん、と咳払いをして正直に自白する。


「小三くらいから……」

「早いですね」

「こんなのに早いとか遅いとかある?」

「私は小六からです」

「遅いね」


 それと、と美人さんは続ける。


「昨日はごめんなさい」

「えっ、ああ、いいよ全然、玄関で脱いでたのは私だし」


 鍵かけてなかったのも私だし。その美しすぎる顔に免じて許してあげよう。それはそれとして。


「なんでうちまで来たの?」


急に人んちの玄関を開けるやつがいるかよ。いるな。近所の高齢者全員急に玄関開けて「おるかー!?」って呼ぶな。


「違うんです、これ落としてて……」


 差し出されたのは鞄に付けてるアクリルキーホルダーだった。どこで失くなったかが全く心当たりがなくて、探すのを諦めていたのだ。


「ありがとう。これ探してたんだよね」

「すぐに渡そうと思ったんですけど、なかなか渡せるような感じにならなくて……」


 やめなさい。


「それと、先輩とひとつやってみたい事があるんですけど」

「うん?何?」


「次、雨降ったら、濡れずに一緒にうちに来てくれませんか?」




 雨は二日後に降った。梅雨時だけあって、太陽自体をしばらく見ていないように思う。一般的には不評な時期だけど、私は昔から好きだ。


「せんぱーい!こっちです!」


 生徒でごった返す玄関口で、美人さんの振る手を見落とさないように屋根を出て、合流する。


「行きましょ!」

「中野さんの家ってどのへん?」

「先輩の家の案外近くです。あと、結花でいいですよ」

「近いんだ。私は……明莉でいいよ」


 結花の家は、私の家から200mくらい、学校にコンパスの針を刺して、私の家に鉛筆を合わせて上に向けて線を引いたら結花の家を通る、そんな位置にあった。


「おじゃましまーす……」

「両親は夜にならないと帰ってこないので……。そこのリビングで座っててください。今お茶とお風呂入れますから」

「ありが……えっ、お風呂?」


 廊下の奥で「お湯はりをします」の音声が聞こえた後、鼻歌混じりに戻ってきた結花の右手にはコップ、左手にオレンジジュースがある。


「ジュースあったのでこっちにしました。あと20分くらい待っててくださいね」

「えっ、何?」


 そろそろ頭の上が疑問符でいっぱいになりそうだ。


「明莉さん、まだ分からないんですか?」

「いやいや分からないって、濡れてないからお風呂はいいよ」


 何をしようとしてるんだこの子は。


「着衣風呂、ですよ」

「着衣……あ、なるほど……」

「さすが明莉さん! 理解と順応が早い!」

「嬉しくないなあ……」


 こんな趣味をもっているのだから、今まで思いつかなかった訳ではない。でも母親は専業主婦で、さらに小学生の弟がいる私の家でやろうというのはあまりに非現実的で、実行しようとは一度も思わなかった。そうか。今日ついにできるのか。


「ニヤついてますね〜!いいですよ!その顔!」

「こら、やめなってそういうの……」

「明莉さん、すぐ顔に出ますね」


 謎の同志感からか、やたら距離が近い。私も不快に思わない。

 やがて「お風呂が湧きました」という声が聞こえると、結花はジュースを飲み干して立ち上がる。私もあわてて飲み干して立ち上がり、結花を見る。


「行きましょ!」


 手を引かれるままに脱衣場に行き、ついついハイソックスを脱ごうとしたのを咎められながら、人んちの風呂場の匂いを漫然と感じる。そんな頭とは裏腹に心臓は高鳴り、手足は少し震えていた。胸が鈍く痛む。


 洗い場の冷たいタイルを踏む。


「ほら、入ってください」


 促され、ハイソックスを履いたまま、右の足先を湯船に浸ける。


「わ」


 裸の時と違って、温かさがじわっ、と広がる。ゆっくりと脚まで入れて、ハイソックス越しに風呂底を撫でる。

 結花の方を見ると、「いい顔してますねぇ」と満面の笑みで言われた。自分の頭があまり回らなくなっているのが分かった。

 左脚も浴槽に入れて、湯船の中に立つ。


「わぁ……」


 内心、物凄く興奮していた。感じたことの

ない背徳感と得体の知れない快感のようなものが脚から伝わって、みぞおちから上でぐちゃぐちゃになっている。


「私も入りますねー」


 自然、手を取る。柔らかくて、ほんのり温かい。


「ぅふふ」


 堪えきれず、笑いと快感が混じったような声が出た。それを聞いた結花はなぜか嬉しそうに少し笑う。綺麗な二重だ。恥ずかしかったけど綺麗な二重に免じて許してやる。


 結花がゆっくりと浸かるのを眺めながら、自分の時よりも興奮していることに気づく。もしかしたら今、よくない方の扉を開いてしまったのではないだろうか。


「じゃあ、ゆっくり浸かりましょうか」

「うん」


 手を重ねたまま浴槽の淵に置く。「始まる」と思った。顔を直視すると情緒がおかしくなってしまう気がして、身体に目をやる。


 腿を浸ける。素肌なのであまりいつもと変わらない。お尻まで浸したら、自分でも顔色が変わったのが分かった。温かくなる下着が背徳感をぐんと上げる。結花も今、同じ状態なのだ。目眩がする。へその下まで浸したところで限界が来た。


「ちょ、ちょっと待って」

「どうしたんです?」

「なんか、あの……ヤバい」


 胸から上でぐちゃぐちゃになっていた背徳感と快感が、氾濫を起こしていた。


「まだお腹じゃないですか、行きますよ?」


 ぎゅっと手を握られる。逃がさないぞ、という意味だろうか。握られた手の質感が余計に私の中をぐちゃぐちゃにする。

 胸の下まで浸かる。結花のスカートがシャンプーハットのように広がろうとして、浴槽の左右に阻まれる。自分もきっと同じようになっているのだろう。


「肩までいきましょうか」

「う、うん」


 鎖骨まで浸かる。少し慣れてきたものの、やっぱり氾濫は収まらない。


「うわ、うゎ……」


 自分の感覚に驚いて、結花を見て、結花も同じなんだと思って、触れたくなって、ぐちゃぐちゃになって、忙しい。情報量が多すぎる。眼前に透けた下着を見た私は、ついに情報の処理を諦めた。


 肩まで浸かる。目の前には着衣風呂をする絶世の美女。ギリギリ残っている理性で確認を取る。


「あ、あの」

「なんですか?」

「だ、抱きついても、いいですか」


 もっと聞き方ってものがあったはずだ。でもこれしか出てこなかった。ヤケクソである。


「いいですよ」


 言葉を聞き終わる前に抱きついた。体温を感じられるのは顔だけで、あとは服越しの肌の質感だけだった。

 ふわふわと皮膚に触れる布と、布越しに身体同士が密着した部分の感覚の違いが、自分の奥底にある何かを舞い上がらせる。


「……もういいですか?」

「あっ!ごめん!」


 弾かれたように手を解くが、身体は水の抵抗でゆっくりと離れる。波が起きて顔に跳ねた。


「えっと、上がりましょうか」


 少し顔を紅くした結花が告げる。

 徐に立ち上がり、二人で洗い場に立つ。水滴はブラウス、スカート、下着を伝って脚に流れ、ハイソックスを通してタイルの床に流れる。


 張り付く布は徐々に冷めていく。


 結花を見る。年相応の綺麗な身体に、幼さを残しながらも整った顔。それに張り付く制服と伝う水滴。

 耐えられなくなり、もう一度抱きつく。今度はひんやりとした布越しに、結花の温もりがあった。




「どうでした?」


 結花が身体を拭きながら聞く。私はドライヤーを止めて、しばし考えるが、適当な返答が思いつかない。


「なんていうか……よかったの?」

「私はよかったですけど明莉さんがどうかは……」

「そうじゃなくて、その、抱きついたりして……」


 それを聞いた結花がなるほど、という顔をする。髪が半端に濡れている。綺麗だ。


 周りに誰もいないのに、わざわざ近くまで来て小さな声で。


「またやりましょ」


「うん」


 気づいたら頷いていた。



 洗濯していけばいいのに、という結花に遅くなると心配かけるから、と断り、ビニール袋に濡れた衣類を入れて中野家を出る。雨は上がっていた。


「時間が合えばですけど、明日から一緒に登下校しませんか?」


二つ返事で了承した。


 今着ている服は結花の私服だ。それだけで胸が高鳴ってしまう。でもやっぱり右手のビニール袋は超大規模なおもらしをした人みたいで恥ずかしい。誰ともすれ違いませんように。


 明日はどうかと聞いたら、曇り予報な上に結花は部活があるらしい。明後日の天気も曇りだが、信頼度はC。待ちきれない。ずっと雨だったらいいのに。


 体験したことのない高揚感を持て余して、鼻歌が出る。前から人が来るのを見つけて、あわてて鼻歌を止めて袋を後ろ手にした。余計に怪しくなった。




 翌日。玄関から二刀流で出てくる結花を見て、初めて傘を忘れていたことに気づいた。


「今日は夕方から雨になったらしいです。降ったら、サボります」


 悪い顔をする結花は、やっぱり美人だった。

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