着の身気のまま
てん
第1話 雨の日は
空には重そうな曇。天気を気にしてか、グラウンドで遊んでいる生徒はまばらで、教室ではババ抜きに飽きた男子がトランプの投げ合いを始めた。こういう男子が教室で遊び出すとろくな事がない。私は席を立ち廊下に出て、突き当たりの窓から西の空を見る。天気予報通り、昼過ぎからは雨が降りそうだ。
5限。先生の板書を何となく写しながら、外を眺める。排水性能の衰えた運動場が水溜まりを増やしていくのを認めながら、胸の底をぞわぞわさせる。
HRが終わる。数少ない友達は帰る方向が逆だから、登下校はもちろんひとりだ。
ざあざあと降る雨を見上げる。興奮を隠しながら、惨めに見られたくないという自意識が持ってこさせた折り畳み傘を差す。早足で校門を抜ける。
曲がり角を二回曲がって住宅地を抜け、左側の竹やぶが視界に入ったところで周りを見回す。私以外の制服姿はない。さっきまで後ろにあった人影も消えたようだ。
折り畳み傘を閉じてビニール袋に仕舞うと、私は雨に打たれ続けながら遠回りで帰路に着く。
お腹を伝う水滴は服を張り付かせ、脚を伝う水滴はハイソックスに染み込む。つま先だけ濡れていたスニーカーはすぐに全部ぐしょぐしょになって、歩く度に変な音を立てる。不快感がやがて全身が濡れる。染み込む場所を無くした水滴が身体を滑るのを感じながら、私は立ち止まってゆっくりと瞼を閉じた。
「おかーさーん、バスタオルとってー」
びしょ濡れで玄関に立つ私に、台所に居るであろう母が呆れ混じりの声を飛ばす。
「また傘忘れたのー?」
「うん」
今日も嘘をついた。
「制服干しとくから洗濯かご入れて、シャワー浴びといで!」
「バスタオルとってー」
「今手離せないから!そこで脱いで風呂場行きな!」
何やらガチャガチャする音が聞こえる。何してるんだろう。
「えー……」
玄関で?玄関って家の中で一番裸になりたくない場所じゃない? 半分外みたいなものだし……。
仕方がないので、靴を避けて水が滴ってもいい空間を作り、急いで脱ぐ。玄関での脱衣は良くない事をしている感が凄い。一歩間違えば犯罪じゃないだろうか。下着は……さすがに脱がなくて良いだろう。
脱いだスカートを直角に曲げた左腕にかけた所で、最悪の事態は起きた。
がららっ。
最近替えたばかりの引き戸が勢いよく開いた。
「え」
「あっ、おっ」
がららっ、ぴしゃっ!
最近替えたばかりの引き戸が勢いよく閉じた。
「えっ?ちょっ……」
何だ今の。動揺しすぎて「あっ、おっ」とか言ってしまった。なんか恥ずかしい。
女の子だった。異性だったらと思うとぞっとする。そして今の女の子、めちゃめちゃ美人だった気がする。同じ学校の制服だったけど、同級生……ではないと思う。見覚えがない。誰だろう。うちに用があったのだろうか……?
社会的生命の危機を首の皮一枚で繋ぎ止めた私は、玄関の鍵をしっかりと閉めて、足早に風呂場に向かった。訪ねたければ呼び鈴を押しなさい。
あ、我が家は呼び鈴が無いのか。
翌朝。私はいつも通り、大勢と登校時間が被らないように早めに家を出る。横に広がる軍団が怖すぎるから。いつものように早歩きで、最短コースをずんずん進む。
「あの」
早く学校に着いてHRまで寝るんだ。出来れば校門に生徒指導が立つ前に。
「あのっ」
朝から生徒指導に挨拶して気力を消費したくない。ひとりで先生に挨拶するのって結構気力がいるのだ。(いつもひとりだな……)って思われてそうで嫌だし。
「あのっ!」
「えっ私?」
私か? 登校中の私に話しかけてくるなんて今まで宗教の人しかいなかったから……。
「はい、あ、あの……」
昨日の美人さんだった。息を切らしていても美人だな……。こんな顔で宗教勧誘されたら即入信しそう。
「は、はい。えーと、な、なんでしょうか」
相手が美人すぎるし喋るのが下手くそだし、何より昨日の一件があるせいで動揺しまくって大変苦しい聞き返しになってしまった。
「昨日、何してたんですか?」
「えっ」
えっ?玄関で半裸になってただけですけど……。
「傘あるのに、わざわざ仕舞って、急に両手広げて」
「わーーーーーー!!!!!わかったわかった!そっちね!ちょっと待ってください!」
まずい。見られてた。ちゃんと確認したのに。
興味津々といった顔を横目に、私はなんとか弁明しようと続ける。
「あれはね、なんかほら、気持ちいいから」
それしか思いつかなかった。事実である。
「雨に濡れるのが好きなんですか?」
「あーそうね、好きですね……」
「服が張り付く感じとか?」
「……」
怖い。心を読まれてる?
「水滴が肌を通っていく感じとか?」
やめて。理解しないで。
「……なんで?」
顔を見ないように曖昧な問いで返す。
「私も、同じなんですよ」
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