エピローグ② 中島守の物語

俺にとっては選択肢はここしかなかった。

中学時代から、県大会入賞レベルの実力があり、各高校からスカウトされた。しかし、スカウトにきたほとんどの高校は、私立だった。そこには県内ナンバーワンの常勝軍団のS高校の名前もあった。S高校は全国からスター選手をかき集めている。今の俺の実力だと、Cランク。せいぜい入学金免除だろう。

そう、うちには金がない。両親は離婚。と言うか、お袋は蒸発しちまった。俺が中学校の部活から帰ると、もうお袋の姿はない。今は、タクシードライバーの親父と、2歳年下の弟との、男三人暮らしだ。その親父も、去年、脳梗塞で倒れて、今年になってやっと仕事復帰したが、言語障害が残っているため、いまいち何を言っているのかわからないことが多々ある。

そんな訳で、俺は公立で唯一声をかけてくれた、県立のスポーツ校に入学した。

要は、どこでも、実力さえあれば、上に行ける。昔からそうだ。結果さえ出せば、皆、黙る。

俺は、親父のようにはならない。なんの力もなくて、自由も希望もない。

そんな大人になんかなりたくない。必ずこの足で、将来を切り開いて見せる。

とはいえ、現実的は、金がいる。親父の入院と、俺の高校入学で家に金はない。むしろ、借金がある。週に一度、学校には内緒で、近くの工場でバイトをしている。弟はまだ働ける歳ではないし、親父の収入はあてにはできない。かと言って、俺が、お袋がパートで稼いでいた部分をフォローできるかといえば、そんなことはない。

正直、生活するだけで、こんなにも金がかかるなんて知らなかった。元々、ダチも口数も少ない俺は、高校に入っても、周りのチャラチャラした奴らと仲良くする気になんかなれない。

部活のやつらも同じだ。奴らは、走ることに関しての意識が低くすぎる。中途半端に、健康のためにやってます。なんて奴は辞めちまえばいい。

ここの監督さんは厳しいおっさんで、ヤワな奴はどんどん辞めていくから、ありがたい。俺の性に合っている。

さすがに県内で五本の指に入るスポーツ校だ。先輩も、全国には行かないまで、県大会ではある程度の成績を残している者も多い。

同級生は雑魚ばっかりだ。特に目立つ奴はいない。いや、いた。里中ゆうき。こいつは、どうしようもない、素人で、皆の足ばっかり引っ張っていやがる。遅いくせに、なかなか辞めようともしないし、要領よく先輩に取り入っているから怒られることもない。俺はこう言うナメた奴が一番ムカつくんだ。俺が一番の実力者だからか、やたらと俺に話しかけてくる。仕方なく、相手はしてやるが、正直、もっと早いタイムが出せるようになってから、対等の口をきけと言ってやりたい。

なのに、不思議なもので、毎日こいつと顔を合わせて、それなりに共に時間を過ごしていくうちに、どんどんこいつのペースにひきづりこまれていく。まぁ、悪い奴じゃない。俺の高校で、俺に話しかける数少ない人間の一人だ。

2年生になった時点で、俺には敵がいない。同級生と俺との間には、圧倒的な差があった。一年生は話にならん。3年生のほとんどの奴にも俺の自己ベストは勝っている。このペースで順調に伸びていけば、県大会、全国大会と成績を残し、未来が広がるだろう。油断大敵。自分を甘やかした時点で、この競技では、負けとなる。周りよりも、自分との戦いなのだ。

ところが、最近、奴は、急速な伸びを見せている。

里中ゆうき。理由は分かっている。白糸葉子。あの女にいいところを見せるために、奴は頑張っている。チラチラ、女の方を見ながら練習している奴は気に食わない。相変わらず、ズブの素人走りだ。ペース配分も何もあったもんじゃない。ただ全力で走ればいいと思っている。根性だけで速くなるなら苦労しない。愚弄するなと言いたい。

だが、奴の成長具合を見ている、そんなことも言えない。確かに、俺も陸上を始めたころは、ただ毎日がむしゃらに走り続けていた。あいつを見ていると、それを思い出す。

しかし、俺は、あんなスピードで成長しなかった。あいつは2年生の始め、Eグループからスタートして、たったの半年でBグループのトップまで登りつめた。素人が、中流選手へと、わずか半年で変態した。あいつの才能なのか。

それはとてつもないことだ。昨日まで三輪車に乗っていたガキが、今日はオートバイにまたがって、しかもちゃんと運転している。そのくらい、早いスピードであいつは成長している。元々の才能に、根性が加わり、あいつは今もなお成長を続けている。

俺は、楽しくて仕方がない。あいつがどこまでこれるのか。果たして、俺の敵となりうるのか。このままの成長なら、確実に俺の脅威になる。それはそれで、面白い。俺は誰にも負けない。少なくともこの学校ではな。

里中以外にグズどもに比べたら、あいつと張り合った方が、はるかに面白いだろう。俺とあいつの走りは、真逆だ。あいつが炎なら、俺は氷の走りと言ったところか。里中の成長を邪魔する奴は許さない。

実際に、あいつのタイムは俺に近づいてきた。駅伝の選手は落選したものの、冬には俺と同じAグループに昇格してきた。いよいよ来たか。と思った矢先。

あいつは姿を消した。理由はまたあの女だ。まあ、同情の余地はある。なんせ死別だからな。しかし、正直がっかりした。せっかく、ここまで来たのに、女と別れたからと言って、人生を棒に振るなんて考えられない。逆に、女のために頑張る奴のことも、俺にはよく分からん。あの女にどれだけの価値がある。スタイルがそこそこいいからってなんだと言うんだ。女と付き合って、大学に行けるなら話は別だが、とにかく勿体無い。あいつは、うまくすれば、大学からもお声がかかる選手になっただろう。兼本の命令であいつを探したが、見つかる訳もなく、約一ヶ月であいつは帰って来た。

無論、あいつはDグループへと降格した。終わった。もう、あいつは高校で俺のライバルになることはない。

それでも、あいつは諦めなかった。

俺から見ても、復帰後のあいつは鬼気迫るものを感じた。寡黙になり、走ることに徹していた。しかし、完全なオーバーワークだった。そんな練習していたら、普通は、いや、この俺でさえ、故障していただろう。普通じゃない。異常だ。

もはや、それは奇跡だとしか言いようがない。

Dグループから再出発したあいつのタイムは、信じられないスピードで上昇の一途を辿っていった。

2月から僅か2ヶ月で、あいつは再びまたAグループにまで戻って来た。

そして、5月の記録会で、あいつは俺と同じ1500mに出場し、俺のベストタイムのさらに上へと駆け昇っていった。

不思議と俺は悔しくなかった。あいつの努力は、俺を含めて周りを納得させた。いつかはこんな日が来るとも予想はしていた。今日からが、本当のスタートだ。

しかし、あいつは引退した。

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