第4部 再生

学校に復帰した私はまず、ご迷惑をおかけした全ての人に頭を下げて回った。

担任の教師、ハコの担任の教師、私に暴力を振るった体育教師、それぞれのの教科の先生方にも。

そして、部活の顧問の先生、残り僅かな高校生活を残すだけの先輩方、部活の部長。顧問の先生は、私の復帰を許してくださった。普通なら無断欠席を繰り返した者など即退部だし、そもそも一ヶ月も練習をサボった者など元のタイムを取り戻すことすらできないとおっしゃっていた。「1日休んだら、取り戻すのに3日はかかる。」

確かに、部活復帰後、体は以前とは比べものにならないほどのポンコツだった。春の大会の引退試合まで2ヶ月で元のタイムを取り戻すのは尋常じゃない。いや、ただ取り戻すだけではいけない。以前よりも早いタイムを出すこと。そうして復活しなければ、この1ヶ月間に起きたことを自分の力に変えて復活したとは言えない。意味がない。だから努力するしかなかった。

私は、毎朝5時に起床した。まだ夜の開けないうちから走り始める。以前の朝練はダメだ。ちゃんと目標を決めなくては。私はタイム設定をして走るようになった。最初は、10kmを40分で、毎日少しづつペースを上げて、タイムは縮まり、2週間後には、33分で走れるようになっていた。

普段の練習でも、とにかく全力で走る。1000mを8本のインターバルでも、最初の1、2本はとにかく先頭集団についていく。3、4本目になれば遅れてしまう。それでもいい。

今までは、他人の目を気にして(主にハコの目だが)、2番手のグループでもいいから、練習について行っているところを見せることが重要だった。

でも、今は違う。私は新入生と同じ立場だった。ただ、がむしゃらに頑張る。

いつの間にか、高校の練習にも慣れて、全力を尽くすことを忘れていた。以前の私は、「全力を尽くしているつもり」になっていたに過ぎない。だから伸び悩んでいた。高校に入学して、陸上未経験で、しかもスポーツのレベルの高い我が校で、練習には全くついていけなかった。一日でも早く、みんなに追いつきたくて、練習の最初から最後まで常に全力疾走だった。今の私はあの頃と同じ。

違うのは、今は決意があること。明確な数字としての目標があること。私の目標は、「高校ナンバーワン」つまり、中島守の勝つことだ。

走りにプロになり、みなを納得させること。そのことで頭がいっぱいで、もはや恥も外聞もなかった。

練習後も、一人で残って10km走をした。一日に30kmを走った。普通の部員の3倍の量をこなした。足の爪は剥がれ、踵からも血が滲んでいた。いつしか、私の靴下は血だらけになっていった。それでも、足腰の故障や、肉離れなどを起こすことは一度もなかった。丈夫な体に産んでくれた母に感謝だった。今は、自分で家事をする必要もない、栄養面の偏りもない、その分、走ることに専念できる環境にある。もちろん、整理体操や、準備体操、柔軟運動など、今まで以上に自分の身体には気を配るようにはなっていた。

最初は、焦っていた、一年生にもついていけない。周囲の態度も冷たかったし、早く結果を出したいと思っていたが、簡単にタイムは上がらない。すっかり衰えてしまった心配機能、筋肉は、復活させるのにそれなりの時間がかかるし、無理をして故障しては元も子もない。

春休みには女子陸上部は合宿をするという。男子はなし。私の普段の練習量は、今や合宿の練習量に匹敵する。だからなんの問題もなかった。

私が朝練をしていると、合宿中の女子がグラウンドを使用する。彼女たちは私に何も言わなかった。邪魔者扱いすることも、足から流血してうずくまっていても、声をかけることもしない。ありがたかった。今は非難も同情も受けたくなかった。彼女たちが私のことをどう受け止めているかは知らないが、非干渉の彼女たちにも感謝だった。

そんな無謀とも思える練習の成果は、徐々にだが、確実に現れていった。

まず、短い距離が早くなった。膨大な距離を走ることにより、筋肉は少ない酸素でも動くことを覚え、太い心肺機能がもたらされた。その結果、1000mなどの短い距離を全力疾走しても、最後の最後まで失速することがなくなった。

以前の自分の自己ベストのタイムをとり戻すまで2ヶ月もかからなかった。

高校入学して、そのタイムになるまで、1年と11ヶ月を要したものを、復帰後はわずか2ヶ月足らずで達成できたことは嬉しかったが、まだここで満足するわけには行かなかった。まだ、上がいる。まだ、中島守は、私よりもずっと速い。

4月の大会で、3年生は引退する。残るのは、スポーツ推薦で大学にいく者、実業団にいく者だ。私は、どちらにも進まないが、春の大会が終わっても、まだ引退はしなかった。まだ、中島守よりも遅いタイムだからだ。「自分が納得するまでやらせてください。」と先生にお願いした。それからも、私のタイムは順調に上がっていった。

5月。私の最後の勝負となる記録会。新緑のよく晴れた日だった。不思議と全く緊張はなかった。ウォーミングアップ中も、後輩たちと一緒に走ったり、リラックスしている。急激にタイムを戻していった私に対する後輩たちの態度は、以前とは変わっていた。

いよいよ私が走る番が回ってきた。見慣れたトラック。ラバーのトラック。見慣れた私のシューズ。この3ヶ月間共に戦ってきた相棒。最後も一緒に走るぞ。

種目は中距離の1500m。他校の生徒は1年、2年生が中心だ。一年生の頃、緊張して、自分の心臓の音がうるさかったことを思い出した。あの時はビリだった。

つい昨日のことのようだ。トラックで、疾走前に、こんな落ち着いている自分に違和感がある。

この3ヶ月間で、死に物狂いで努力してきた、やれることは全部やった。

陸上の良いところは、明確あなタイム、数字になって表記、評価されるところだ。

今日まで自分が培った経験、更新し続けた自己ベストが私に自信と落ち着きを与えてくれた。

「バン!」

スタートのピストルが鳴った。1500mのスタートは過酷で、横一列で全員同時にスタートすると、皆が我先にと前に出るので、肘が当たる、転ぶ危険がある。私は細心の注意を払い、スタートの危険を切り抜けた。

1500mは400mトラックを3周と300m。最初の300mは様子見で力をセーブした。それでも、私は2番目だった。2周目にはトップになる。1周ごとに後輩が読み上げるタイムは自分の自己ベストを更新するペースであった。最後の一周、一番辛いこの時間、誰もがペースが落ちてくるこの一周で私はさらにギアを一つあげて、2位の選手を大きく引き離す。すぐ後ろにいた足音がどんどんと小さくなる。辛い練習が思い出せれた。私はよく自分を追い込んだ。辛い時、くじけそうになったとき、諦めて、ペースを落としてしまいたい誘惑に誰もがかられる。それを強力な意思の力で押さえ込み、自分の限界以上の力を発揮し続けた者のみが、上に行ける。それが、陸上競技。これが、今まで中島守が見ていた世界。前には誰もいない、単独トップの世界。

終わってみれば、2位の選手とは200m以上も差を開けていた。一ヶ月前の、春の大会の時のままなら、私も2位の選手と同じくらいのタイムだっただろう。

正式なタイムが発表されて、顧問の先生に報告に行くと、先生も驚きを隠せない様子だった。先生は、最近の私のタイムの伸びをご存知ではあったが、ここまでの急激な伸びは想像外だった。今、引退するのは勿体無いとまでおっしゃってくださった。今回出した私の自己ベスト更新のタイムは、誰よりも速いタイムで、あの中島守よりも速い、県大会でも上位に入賞するほどのタイムだった。

「あの時の先生の寛大なはからないのおかげで、結果を残すことができました。今まで本当にありがとうございました。」

私の高校生活最後の走りは最高の形で終えることができた。悔いはない。


一方、勉強の方はというと。また高い目標を掲げた。学年トップ10に入る。

あと一度でも休んだら、出席日数の関係で、単位が取得できずに、留年が決定する教科すらあったのに。短い3学期の三分の一を休んでしまったのだから当然だ。そんな留年ぎりぎりの男が学年トップテンとは無謀だ。

私はまずクラスメイトにノートを借りた。数人のノートを借りた。そして教科書と照らし合わせて、重要部分をピックアップしていった。さらに、自分が理解できないことは、休み時間、時には放課後に職員室に通って、教師を捕まえて質問した。部活が終わって、帰宅するのが毎日夜8時、夕食と風呂を済ませて、毎日9時から勉強を始める。毎日5時間。2時まで勉強して、よく朝は5時起床。分からないところは、覚えられないところは、覚えるまで愚鈍に繰り返す。覚え方も、集中力がつけば、どんどんと要領がよく覚えられるようになるし、内容がわかってくると勉強は楽しくなる。

いつもは、テスト勉強は一週間前から始めるが、今回は一ヶ月前から始めた。すると、狭いテスト範囲の基本的なことは大体全て覚えきってしまった。さらに上を目指す私は、教科書の隅から隅まで暗記しようと試みた。

ハコのことを考えていた。毎日遅くまで勉強していた彼女。彼女のすごさが分かった。

私は全然辛くなかった。自分を向上させて行くことに全力を傾けて生活していたら、時間はあっという間に過ぎる。


学年期末考査は、現国、数学、英語W、英語R、総合英語、生物、地学、日本史、政経、保健体育の10教科だった。全て100点満点で、1000点。そのうち私は925点だった。学年で4位だった。今までは最高でも学年30位だったので、大躍進である。足をひっぱたのは、苦手な数学だった。唯一80点台だった。その結果には、先生方も喜んでくださった。私の質問に、嫌な顔をしながらも、付き合ってくださった先生方にも感謝だった。

こうして私の復活は周囲に知れ渡る。反応は様々だった。祝福と妬み。残念なことだが、私に耳に入ってきたのは後者が多かった。

「学校をサボっていながらそんな成績とって、絶対なんかズルしたに決まっている。」

妬む人は、私みたいに必死に努力したことのない人なのだ。

私は明確な目標をたて、それに向けて一心不乱に努力した。以前、ハコと付き合う前に自分を向上させていたあの頃の自分の姿と重なった。違いは、成長の速度。

信念を持ち、ただ目の前のことに本気になって、全力で取り組むこと。

人間の精神力の強さを実感した。今まで不可能と思って諦めていたことが、意志の力一つで、どんどんと可能になって行く。

以前の自分。愚かだった自分を認めて、決別するために、努力を始めた時点で、人は変わり始めているのだろう。



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