日記⑩ 価値観
人間は生まれた瞬間から死に向かっている。
死んでもしまえば、皆同じ。現世でいくら社会的な身分が上がろうと、金持ちになろうと、善良な人間いにも、そうでない人間にも、死は平等に訪れる。
よく、「何のために生きるのか」を口にする人はいる。
でも。「何のために死ぬのか」を口にする人はあまりいない。
生きている現在において皆、死を意識しない。死から遠ざかろうとする。
「死」を見つめるよりも。「生の歓び」を見つめようとする。
しかし、「死」を意識せずい、「死」と言うものがなんたるかを見つめずに、果たして「生の歓び」なんて見つけられるのだろうか。
自分より、不幸な人間、哀れな事態を耳にしたり、目にしたりしてしか、現在の人間が「生」を感じないのではないだろうか。
高校生の中では「生」を勘違いして、「性」が氾濫している。
皆、気がつかない。
性行為は、「新しい命」を作り出す行為でもあるが、それは同時に「新しい死」をも作り出す行為であると言うこと。
「死」がなんたるかを知ることにより、「真の幸福」にたどり着けるのではないだろうか。今、生きているこの一瞬が、全ての事象が、平等に愛おしく、感謝しなければならないことであること。私たちは、「生きている」のではなく、意味があって「生かされている」と言うこと。
この世界に生きていくには、年々醜くなっていくことに耐えなければならない。
現に、「死」を知って今日まで、私は汚れ続けてきた。
「真の幸福とは、他者の幸福の為に己を置くこと」
それはつまり、自我を捨て去る。利己的で、自己中心的で、欲望の渦を巻いた己の心を捨て去り、自己満足や、自己犠牲の精神に酔うでもなく、他者の中に生きるということ。
哲学者、精神論者、宗教を享受するもの、学者、芸術家、彼らは、ある一つのことを深く掘り下げて考える志向にある。
彼らは、経済観念や社会的価値の有無ということのみで測られがちな現代においては生き難い。
人は己を知らなさすぎる、それは、本当の事故を突き詰めて考えるという行為を半ば諦め、放棄していると言える。なぜなら、そお方が「楽」だからだ。
自己の醜さに失望したり、自己を捉えることに苦心し、自己の中に埋没してしまう。そして、やっと「生」の意味を考え始める。
けれども、「生」に意味なんかない。生き生きと生きようが、死んだように生きようが、それはあくまで考え方、気の持ちように過ぎない。
「美」や「生」をプラスと捉えて、「醜」や「死」をマイナスと捉えたところで、それは表裏一体のもの。この世の電子、イオンモ全てプラスがあり、マイナスがある。光があって影がある。それは対称ではあるけれども、決して片一方では存在し得ないもの。
なのに、人間は、その片一方しか見ようとしない。もう一方はまるで存在しえないもの、あるいは、腫れ物に触るような扱いをする。
全ては「生」を基準に考えるから、その「生」を脅かす存在に対して、人は「不幸」を感じる。
それは、「死」の存在を受け入れていない証拠であり、またその恐怖からも逃れようとする姿にしか見えない。
人を動かす原動力は「愛」でもなければ、「生」でもない。
その対称の「恐怖」から逃れたいという欲求なのだ。
いかにそこから遠ざかり、日々、それを意識せずに、怠惰に生きられるかが現代人の価値観。
文明が生まれる前の人間たちには、きっと「死」はもっと身近だったに違いない。動物のように生きてきた人間たちは、「生」と同じくらいに「死」を捉えていただろう。
彼は「死」とは全く無縁のところにいる。
彼は「生」の真っ只中にいて、おそらく「死」への理解も思慮深さもない。
私たちは別々の世界に生きている。
なのに、どうして、私は、彼を選んだの。
この世に起こる、全ての事象に大した意味などなない。だからとも言える。
私は、彼の中に人とは異なる「何か」を直感的に感じていた。
それは、他者にはない、彼だけが持つ特有のオーラみたいなもの。
恋は盲目とか、「生」への思考転換とかそんな単純なことではない。
彼には真の幸福を理解できる素地がある。
「生」の中に生きる彼には、当然、「死」がなんたるかを理解できない。彼は必死に理解しようと努めているみたいだが、、、
彼の言動には理由がない。彼は感覚で生きている。言葉においても、彼には思慮深いというよりは、直情的と形容した方が正しい気がする。
下手に気を遣われるような場面では、彼は必ず何か失敗した。
「私はそんなこと望んでないよ。」
って思うことがある。逆に、彼が何気無く発言した言葉に私は癒される。
彼は、人との距離を保つことに関して、天性の才能がある。その才能のおかげで、彼は汚れを知らない。無垢なままだ。まるで、5、6歳の少年がそのまま体だけ大きくなったみたい。
そう、彼は「純水」だと思う。
彼は、幼い頃から多くの人の中で育ってきた。その環境の中で、自分がいかに受け入れてもらえるかを学び、身につけ、初対面の人間においても、瞬時の相手の性質を読み取り、自分の対応を決定することができる。いわゆる、人当たりのいい人間。でも、それはきっと彼の本質ではない。
彼が他者と違って見える最大の理由は、彼は本来、他者のことなどどうでもいい人間だからだ。
私だけ。それ以外の人間には何を言われても、全く平気だし、社会的なあらゆるものを失ってもいいとすら本気で考えている。彼の世界は私だけで埋め尽くされている。それが私のにも、確かに伝わってくる。
一般的に私のような人間は、虚無を抱えた、寂しく、つまらない人間だと評価される。私は努めてそうでない人間を演じ続ける。親の期待に応える優等生。他者に迷惑をかけずに、目立たず、ひっそりと日々生きている。
彼には私に本質は確実に見透かされている。私の醜さも。「死」を捉えて、理解しよとしていることも。
つまり、彼には彼だけの「死」が存在している。
彼には、相手(私だけだが)をどこまでも赦す寛容さがある。それは、相手を甘やかすとか自己満足ではないと思う。
彼は、「人間の愚かさ」を理解している節がある。おそらく自分にコンプレックスがあるのだろが、彼は己の醜さに比べたら、他者の醜さなど取るに足らないことに映っている。彼は根底では自己否定している。そのことが、彼の全てのの行動の根源になっている。
「自己を捨て去り、相手の幸福の中にのみ存在したい」
という価値観があるように見える。
「死」を知らずして、その境地にたどり着くために、彼がどれだけの時間をかけて、どれだけ苦しんできたのだろうか。彼が物事を深くまで突き詰めて考えないのは、彼の選択の上のこと。
彼は幼い頃から、自己についてのみ深く思慮してきたはず。その結果、この境地にかなり早い段階から辿り着き、本能的感覚において、他者との関係や現世で起こるあらゆる事象についての考えを放棄した。それにはさして意味などないと知ったから。
美しいものがなぜ美しいのかなんて考えても仕方ない。醜いものがなぜ醜いのかなんて何の意味もない。肌の色も、言葉も、性別も、個々の違いや、種族の違いもなぜなんかない。それはただそこにあるだけなのだから。
彼は10歳よりも、前の幼い時の記憶がほとんどないという。
誰と何をして遊んだとか、家族旅行はどこに行ったかとか、あのことがどうしてもいやだったとか、こんなことが苦しくて辛かったとか、まるで覚えていないという。
特段、頭を強く打ったとか、IQが低いとかいうことはない。
彼はずっと感覚で生きてきたのだ。より、動物的に、本能で。記憶していなければならない記憶など、彼にはほとんどなかったのだ。
幼い頃の彼は、身内でも手のつけられないほどのわがままだったらしい。
自己の内面と向き合って向き合っていて、そのことだけが彼の絶対だったのだ。
それは、恐ろしいことだ。
まだ、自我に目覚めてもいない幼さで、人間の闇という大きなものを対峙していたとは信じられない。自我や精神が崩壊してもおかしくない。
宮沢賢治、芥川龍之介、三島由紀夫、彼は皆己の内面世界と向き合い続けた末に、自ら命を絶ったのだと思う。
彼は幼い頃から、皆と同じように現世で、同じ空気を吸いながら、同じ世界には生きてはいないで、いつもたった一人で孤独な戦いをしていたのだ。
自己を突き詰めて考えたとき、必ずと言っていいほど、「己の醜さ」と「この世界の不条理」という問題に当たる。それを不完全かもしれないが、彼は乗り越えている。だから今の彼がある。
物事の二面性。もしくは対極にあると言っても過言ではないかもしれない。
私にとって彼はそういう存在、切っても切り離すことのできない。そんな相手。
私は彼を否定しない。彼も私を否定しない。
私たちはきっと、前世からずっと来世においても互いに理解し合う存在。
そんな気がする。
もし、彼がいなくなったらって想像するだけでも涙が出てしまう。
ハコはとっても弱い子です。ゆうちゃんとずっと一緒にいたい。
前はこんなんじゃなかった。一人でも平気だったのに。
今は、分かってくれる人がいる。
ゆうちゃんがいるから頑張れる。
ゆうちゃん。ゆうちゃん。何度呼んでも足りなくくらい。
あなたは私を救ってくれた救世主。ハコのヒーロー。
ハコは幸せだよ。
明日は水族館だね。楽しみ。ゆうちゃんの隣で眠りたい。
私は、一文字、一文字、噛みしめるように、ハコの日記を読んだ。
「あの子がどれだけ、里中君のことを想っていたのか。よく分かったわ。」
1月17日以降は、白紙だった。一番最後のページに何か挟んである。
それは、私がハコに宛てて書いた、最初で最後の手紙だった。
その手紙はボロボロで、所々に血の跡がこびりついている。
「あの子、事故にあった時、自分の荷物まで自力でその手紙を見つけて、救急車の中でも、最後までその手紙を握り締めていたそうよ。きっとあの子にとっての宝物だったのね。」
その手紙はかろうじてまだ読むことができた。
「あの子のためにも、里中君には幸せになってもらいたいの。あなたはまだ若いのだから、これから輝く未来がある。たくさんのチャンスも。辛い過去に引きづられてはいけないわ。でも、、、たまにでいいの。ハコのことを忘れないでいてくれないかしら。ごめんなさいね。勝手なことばかり言って、、、。」
「忘れません。絶対。」
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