日記⑥ 温もり

その日は年が明けて、最初の登校日。寒い日だった。

朝からポケベルのバイブが、彼からの短いメッセージを知らせた。

「キョウ、デカケヨウ」

てっきり、学校が終わってからかと思ったら、朝から彼は私の通学路で待っていて、そのまま二人で最寄りの駅に向かう。

生まれて初めて、学校をサボった。緊張。制服姿でウロウロしてて、補導されないかな。不安。もし。(警察官に)何か言われたら、どう言い訳するの。

ゆうちゃんは「海」に行くって言う。

ゆうちゃんがこんな強引なのは珍しいことだし、彼自身にもリスクはある。

でも私たちは、禁じられていることをしているドキドキ感を互いに共有している共犯者だった。

朝の電車は、まぁ人の多いこと!ゆうちゃんは満員電車で私が潰されないように、体を張って私を守ってくれていた。

表情は、いつもと変わらないのに、電車の座席の脇、ちょど出入口の隅に、私を立たせて、自分は向かい側に立ち、私の頭の上につっかえ棒のように伸ばした腕には力を入れて、血管が浮いている。

僅か30cmの距離に彼の瞳がある。目が合うと恥ずかしい。電車が止まる度に二人の体は密着してしまう。彼の体からは微かな夏の香りがした。


30分もすると、電車内は空き始めた。

そこでやっと、一息つけた。目に映る光景は新鮮だった。経済新聞片手につり革につかまる初老のサラリーマン、お化粧に励むOL風の若い女性、幼い孫を連れたおばさん、新聞を睨みつけて何やら赤いペンを走らせているおじさんもいた。

朝から様々な人々が、様々な理由で、それぞれの目的地にたどり着くため、にたまたまこの時間にこの車両に乗り合わせていることの不思議を思った。

普段、予備校に行くときは、電車に乗るとすぐに参考書を開き、自分の世界に入ってしまうので、こうして落ちつて周りを眺めることなんてしなかった。

ゆうちゃんとお出かけしないと、そんな余裕すら私にはないんだなぁ。

ゆうちゃんはとてもおとなしく、私の脇に座っている。

ゆうちゃん曰く、今日の私たちは、

「仲睦まじい、清純派高校生カップル。」

だそうです。ゆうちゃんはいつもポジティブでシンプル。私の心配なんて吹き飛ばしてくれる。彼の心は温かい。今日も明日も同じゆうちゃんでいてね。


朝から彼のそばに居られる安心感からか、背中にそそ戯れる温かい日差しおおかげか、また私は居眠り。普段は電車の中で寝るなんて有りえないけど、今日は特別。ゆうちゃんに甘えちゃう。ゆうちゃにくっついて眠りたい欲求には逆らえない。まだ海までは1時間以上かかるし。このフワフワした時間は滅多にないから。


「ハコ、着いたよ。」

ってとても優しいささやき声で目が覚めた。目が覚めて、すぐに彼がいることが幸せで、なかなかまどろみの中から出ようとしない私。眠る前につないでいた二人の手はそのままで、お互いの手は湿っぽかった。

手を離さないでいてくれたこと、私を寝かせてくれたことに感謝。


「ずっと起きてたの?」

「うん」

「ごめんね。退屈だったでしょ。」

「いいや、初めてハコの寝顔が見られて、幸せだったよ。」

「やだ、変な顔してたでしょ。」

「天使みたいだった。」

そう、彼はそう言うことをサラッと言う。「天使」なんて、他の人が聞いたら、ちょっと恥かしい。私だって、他人が言っているの聞いたら、「キザなやつ」って評価する。でも、いつも自然体のゆうちゃんが言うと、なんの違和感もない。


下車したのは、JR鎌倉駅。平日の午前中だと言うのに、人がたくさん。

ここも彼の「お気に入りの場所」らしい。

「鎌倉には海も山もある。歴史的な建造物、都市化されずに古い街並みも残っている。いつ来ても、何かしら花は咲いている。今の時期だと、蝋梅、水仙、福寿草なんかかな。民家の間を走る江ノ電は情緒があって好きだし、日本家屋の間を散策して、小さな古民家カフェに入るのも好きだし、神社の境内で一休みするのもいいし、山の中でぼんやりしたり、海岸を歩くの好き。」

お年寄りみたいなことをいうゆうちゃん。でも、いいな。私はそんなお気に入りの場所なんてないから、羨ましい。ゆうちゃんは、お花に詳しいし、たくさん神社仏閣を知っているし、通りの名前や、地名、お店など、この街のことに詳しい。ちょっと意外で、ゆうちゃんの新しい一面を見た。

江ノ電に乗り換えて、「長谷」で降りる。3両しかないこじんまりとした電車。単線の線路。とても可愛い。電車を待っている人たちも都会のように時間に追われている人はいない。ここは時間がゆっくり流れている。それだけも、今日ここに連れてきてもらってよかったなって思う。車内はグリーンの座席に、床は木。観光客で賑わっていて、外国人や、首から大きなカメラをぶら下げている人もいた。みんなの表情は、一様に明るい。

電車はゆっくと進む。(本当に民家の間をする抜ける)窓を開けて、手を伸ばせば、民家の壁や、せり出した樹木に手が届きそう。視界がひらけた場所に出ると、窓の外は「海」。いいなぁ。私の街にもこんな電車が欲しい。(あと、海も)

海に行ったのは、もう随分と昔のことで、確か小学校4年生が最後だった気がする。身近に海がある生活なんて憧れるなぁ。生命の源。母なる海。どこまでも続く水平線に、マリンブルー。磯の香りがする。

ゆうちゃんは小さな声で「海は、広いな、大きなあ〜。」って歌っている。

私は海岸が見えたら、走って渚まで行ったけど、ゆうちゃんはあっと言う間に追いついた。さすが陸上部。

目の前には、閑散とした寂しい冬の海岸。冷たい風が音を立てて吹き付け、スカートの下から覗く足が寒い。夏のような、澄み渡るブルーはではなく、どんより雲と灰色の海。

それでも波打ち際に吸い寄せられていく。

彼は遠くからその様子を眺めていて、遠くから読んで見たけど反応がなくかった。

目を閉じると、波の音、車が走る音、トンビの声。英語のヒアリングみたいに、波の音だけを注聴する。集中力が高まると、他の音は消える。

人間の意識の力ってすごいなと時々は思う。

目を開けたら、ゆうちゃんが海の中にいた!

私は思わず彼を追いかけて、海に入る。膝まで海に浸かり、冷たい海水が靴に入り込む。

ゆうちゃんは泣いてた。私はすぐに解った。

7日前に。ゆうちゃんのおじいさんが亡くなった。ゆうちゃんはよくおじいさんとこの街に写真を撮りにきていた。ゆうちゃんは。おじいさんと仲良しだった。きっと無理してたんだ。私のために。ゆうちゃんはそう言う男の子だから。

彼はいつも自分のことより、私のことを優先する。だから、ちゃんとおじいさんの死を受け止められず、「ちゃんと悲しむ」ことができていなかったのだと思う。

私のせいなら、本当に申し訳なく思うのと同時に、彼のそんな優しさを愛おしいなとも思う。

初めてゆうちゃんの弱い部分を見た。彼の心震える瞬間に、そばに入られてよかった。

私の肩にかかる彼の重み。伝わる彼の熱。愛おしい時間。

「生きていることと死んでしまうことに大した違いなんてない。あるとしたら、この『温もり』それがあるかないか。ただそれだけ。」


それはあなたが教えてくれたのよ。

あなたが、人として大切なことを私に与えてくれた。

「人は一人では生きられない。」「人間は弱いから互いに助け合う。」「人は信じるに値する。」「善行は己に返ってくる。」

そういうことを本気で私に伝えてくれたよね。

そんなあなたはとても立派よ。あなたは私の誇り。

あなたが抱きしめてくれて、私を必要としてくれた。

それだけで私は幸せ。胸が一杯で、満たされてる。

あなたのためなら、この冷たさも、この後の今日一日の面倒な後始末も気にならないわ。

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