日記⑤ 告白
今朝、彼は私に真顔でこう言った。
「放課後話したいからタマヤの前で待ってる。」
「うん。」
ドキドキしながらそう返事をした。
きっとまた誰かの告白のお手伝いね。夏の告白の時と同じパターンね、って、早くなった胸の鼓動を押さえつけるように、自分に言い聞かせた。
なんで、いつも私への告白の仲介者が彼なの。そりゃ、同じ部活ではあるけれども、特に親しい間柄でもないのに。
きっと、彼は人に物事を頼まれやすい性格なのでしょうし、断れないのね。
友人に頼りにされることっていいことだけど、だけど、嫌。
放課後までの時間がすごく長い。不幸中の幸いなことに、今日は短縮授業で4時間で終わりだし、部活もないし、普段の日に比べたら、放課後までの時間はずっと短い。でも、いつもより長く感じる。
結局、なかなか重い腰が上がらずに、教室で30分もグズグズしていた。もしかしたら、もう誰も待っていないかもしれない。それならそれでいい。
また、知らない誰かに告白されるのも嫌だし、まして彼の仲介でなんて。
そのことを我慢してあげるんだから、ちょっとくらい待ってもらってもいいよね。自分勝手かな。
やっと、重い腰が上がったら、吹っ切れて、私は全速力でタマヤに向かう。
タマヤの前に着くと、店の前のベンチには里中君とまん丸に太った猫ちゃんが一緒に腰掛けてた。なんて平和な光景なの。漫画みたい。すごい。似合う。いい!って一人で感動。
「遅くなっちゃってゴメンなさい。それで、話って?」
(さあ、今度は誰がでてくるの。どっからでもかかってらっしゃい。ハコちゃんが相手してあげるわよ。)
「うん。」
彼は黙ってしまった。
(あれ?なんか様子がおかしいわ。誰も出てこない。)
「いい天気だね。」
(確かにいい天気だけど。彼、眠いのかしら。)
「君の事が好きです。僕と付き合って下さい。」
(はっ???一瞬、頭の中が真っ白になっちゃった。今、私に彼に告白されの?つまり、彼は私が好きって事?今、確かそう言ったわよね。聞き間違いじゃないよね。じゃあ両思いだったって事?信じられる?あの里中君が私を選んだのよ。どうしよう。決まっているわ。OKよ。OK。でも、こんなの予想もしてなかった。どうしよう。なんて言えばいいの。)
「こんな私でよかったら、、、よろしくお願いします。」
(お見合いじゃあるまいし、なんて陳腐な台詞なの!あぁ、恥ずかしい。)
「やったあぁ。」
彼は突然その場で飛び上がって喜んだ。満面の笑みを浮かべて喜ぶ彼の姿を見て、私も嬉しかった。
(この人はなんて素敵な表情をするのかしら。普段はとてもクールに見えるのに、可愛い。)
私は彼のことを知りたかった。
中でも一番知りたかったことは、彼の精神的支柱。どうしていつもあんなに頑張っているのか、どうして、そんなにいつも前向きなのか。それが知りたかった。
彼は即答だった。
「葉子さん」
「私?なんで、私なの?」
「長岡から君の過去は聞いた。感動した。一歩でも二歩でも君近づきたくて、君に見合う人間に、君を守れる男になりたくて、必死に努力してきました。辛い時はまず君の辛さを想像しました。そうしたら、自分の目の前にある辛さなんて、君の辛さに比べたら、辛いうちに入らないって思えました。僕を支えてくれたのは、力の源は、君への想いでした。」
再び、感動。この人、なんていい人なの。なんなの。こんなことってある。幸せすぎる。
とりあえず、今晩ユリに電話しよう。また長電話すると、お母さんには怒られるかもしれないけど、いいもん。今日から私は。「里中ゆうきの彼女」になったのだから。
彼と話せば話すほど、自分を好きになれる。彼はいつも真っ直ぐに、ストレートに表現してくれる。自分の気持ちを。今まで付き合った人の中で、こんなに純粋な人に会ったことはない。普通なら気恥ずかしくて言えないようなことも、彼はさらっと言ってのける。きっと本気でそう思っているからだ。彼はお世辞なんて言わない。本当の気持ちをいう。そう相手に信じさせるだけの力が、彼の言葉にはある気がする。
逆に、常にポジティブに私のことを受け止めてくれる割には、彼は自分のこととなると急に卑下するようなことを言う。私が彼の素晴らしさを説いてみても、彼は謙遜してばかり。彼は自分に厳しい。まぁ、だからこそ、謙虚で前向きなのかもしれない。
それに、意外に彼はとっても「シンプル」だった。それが、今の彼にはぴったりな言葉の気がする。
単純・単細胞・馬鹿って言う悪い意味じゃなくて、もっといい意味で、簡潔・純粋・純真?そんな感じ。とにかく、彼の考え方はシンプル。
なんとなく、あれこれ悩むよりも、自分が正しいことをするって感じかな。
自分の信念に基づいて、正しいことをする。
彼の言う正しいって、当たり前のことばっかりなんだけどね。道徳的なこととか。彼の手にかかれば、どんなことも原点に還れる気がする。
例えば、彼は手を繋ぐことをこう表現する。
「相手と仲良くしたいから。たとえ喧嘩してても、手を繋いでいれば、許しあえるはず。片方の手が相手と繋がっているのに、いつまでも、その相手のことを怒っていられる?」
だって。里中君。それは、幼稚園生の理屈だよ。
ユリに電話した。
「信じられる?今時、こんな純粋な人がいるなんて。」
正しいことを正しいと言う。真っ直ぐ相手に好意を伝える努力を惜しまず、斜に構えたり、格好つけたりしないで、ありのままの自分で勝負している。
彼を見ていると思い出す。小学校やもっと昔のこと。大人の言うことを、素直に、ただ純粋に受け入れていたこと。
彼には彼女もいなかったし、噂みたいなことは一切なかった。
「本当?でも、ハコがそう言うなら本当なんでしょうね。」
「そうよ。他の男子にはありえないことでも、彼ならありえるわ。だって、彼はきっと嘘つかないもん。彼の外見からは、彼の真の人間性って見えにくくて、きっと彼は誤解されやすいのよ。」
「私もハコの話を聞くまでは、誤解してた。色々な噂があったからね。でも、良かったね。数いるライバルたちを差し置いて、彼をゲット出来たんだから。しかも、ハコの場合、他の女子達と違って、なんのアプローチもしていなかったのにね。これも、何かの運命かもね。」
「へへへ。うん。」
「でも、大丈夫?」
「うん。たぶん、、、。」
「これから、色々大変かもしれないけど、頑張ってね。とりあえずおめでとう。応援しているからね。」
ユリは、時々、私にとって頼れるお姉さん的な存在になる。だから、なんでも話せる。
ユリにも彼氏がいる。もう半年以上も付き合っている。彼女は私なんかとは比べ物にならないくらいモテる。学校でもトップクラスの美人。だから、男子が放っておかない。そんなユリとは、同じ部活だったから仲良くなれた。
陸上初心者の私に気さくに声をかけてくれた。彼女は美人なのに、気取らなくて、気も利く。
最初の頃はよく、「ハコはすごい可愛いんだから、彼氏作ればいいいのに。」
って言ってたけど、私が過去の話をしたら。それから彼女は、その手の話題には一切触れて来なくなったし、自分の彼氏とのことも、私が聞かない限り、自分からは積極的に話すこともなかった。それでいて、彼女はそれが、窮屈に感じるそぶりも見せない。完璧な人。ユリからしてみれば、
「昔から外見のことで、悪いことばかりだった。ハコは私の外見のことを初対面の時から何も言わないでいてくれた、唯一の友達。だから、私も気兼ねなくなんでも話せるのよ。」
「気になる人がいる。」
って最初にユリに里中君のことを話した時、彼女は目を丸くして、また嬉々としてその話題に乗ってくれた。
「ハコにも春が来たのね。」
と自分のことにように」喜んでくれたのを思い出す。そんな彼女の期待に応えられたこと。これからはお互いに恋愛の話ができることを、今は純粋に喜びたかった。
私はよくユリに相談した。
「どんどん、彼に惹かれていく自分に戸惑うの。」
「、、、。どうして、いいことじゃない。彼女になって、付き合っているんだから。当たり前のことよ。」
「ユリは、セーブが効かなくなりそうになったことはない?」
「そうなの?」
「うん。それと、、、。」
「昔のこと?」
「うん。」
「ハコ。私には無責任なことは言えないし、月並みな言葉になってしまうけど。」
「分かってる。」
「じゃあ、、、。」
「でもね、ダメなの。彼を想えば想うほど、どんどん昔の記憶が鮮明に呼び戻されて来ちゃうし、そうなることくらい始めから分かっていたことだし、頭では分かっているのだけれど、どうしても自分が許せなくて、情けなくて、彼が純粋であればあるほど、私は自分が不純な人間に思えてならないの。」
「ハコ。恋愛をしてれば、多かれ少なかれ、以前の人と比べるものよ。最初から相手との関係を上手く作れる人なんていないのだから、失敗して、その失敗から学んで。段々と上手に付き合えるようになっていくんじゃない。それが普通よ。きっと彼だって同じよ。そんなに気にしなくてもいいんじゃない。」
「比べているだけじゃないの。」
「じゃあ、なに。もういない人のことを持ち出してどうするの。どうにも出来ないでしょ。それより、今、目の前にいる大切な人のことを真剣に見つめるべきじゃない。厳しいこと言うようだけど、そうしないと、本当の意味で乗り越えて、前に進めないんじゃないかな。」
「辛いのは私だけじゃない。彼も。彼はいつも優しい言葉で『ゆっくりでいいよ』みたいなこと言うけど、彼だって幸せになりたいはずよ。付き合っていたら、当然、順番に次のステップに進みたいはず。それが普通でしょ。なのに、私がいつまでもグズグズしてる。ユリも知っているでしょ。彼、モテるのよ。こんな私じゃなくても、他にももっといい人が、、、。」
「でも。彼は、数あるアプローチを全部蹴って、ハコに告白したんでしょ。ハコの過去も含めてハコのこと好きって言ったんでしょ。だったら、いいじゃない。もっと自信を持っても。それとも、彼に何か言われたの?」
「ううん。何も。」
「前に、ハコが私に言ってたのよ。彼は『ハコが幸せなら、僕も幸せ』って言ってくれたって。彼がそう言っているなら、どうしてそれを信じてあげないの。彼が辛いって、ハコの思い込みじゃない。ハコが彼を信じないで、誰が彼を信じるの。付き合い始めた時、あんなに一生懸命に、私に彼の素晴らしさを説いて聞かせたのは誰だったかしら。」
「ごめん。」
「それと、セーブが利かなくなってもいいんじゃない。本気で人を好きになれば、当たり前だよ。私なんか逆に羨ましいわ。そんな風に相思相愛になりたいわ。」
「でも、、、。」
「怖いの?」
「うん。」
「そうねぇ。もし、それで、間違えてしまったらとか、食い違ってしまったらとか、上手くいかなかった時のこと考えると不安で仕方ないよね。でもさあ、無難に形だけの付き合いとか、惰性で一緒にいるよりも、きっとずっと意味があると、私は思う。逃げていても何も始まらないし、私も応援するから、出来る限り精一杯やってみたら。」
「うん。」
涙で受話器が濡れていた、上手く声が出ない。
ゆうちゃんに会いたい。と心のそこから強い思いが込み上げる。時計に目をやると、短針は12時を指している。あと5、6時間もすれば、世が開ける。明日は晴れるはず。ゆうちゃんに会いに行こう。
ゆうちゃんは夜明け前の時間をこよなく愛している。深い青に包まれた世界を。
その時間は写真を撮ることが多いと言う。明日が写真を撮る日かどうかは分からない。でも、私とゆうちゃんの心は繋がっている。こんなに彼が愛しくて、こんなに彼を必要としている。きっとこの思いは伝わる。だって、
「僕たちは出会うべくして出会った。」
って彼は言った。
運命なんて言葉を今までは信じていなかったし、神様の存在について、母のように真剣に考えたとこもない。でも、きっと奇跡は起こる。私たちは言葉を交わすこともなく、こうして惹かれあって、付き合っている。それだけだって、十分に奇跡なはず。
私はまだ、夜が明けきらないうちに、そっと家を出たて、通学用の自転車にまたがり、彼の家を目指してペダルを漕いだ。朝露で自転車のサドルが濡れていて、お尻が冷たい。冬の朝はとても寒い。普段ならお部屋で寝ている時間。きっとほっぺたも真っ赤になっているはず。マフラーをなるべく上まで巻き直して、顔を守る。手袋を忘れて、大失敗。
きっとこんな時間に、いないかもしれない恋人に会いに行っているおバカな17歳の女の子なんて、世界中見渡しても私くらいしかいない。
20分後、彼の家のすぐそばまで来た。彼の部屋の電気はついていない。私は多少の気落ちはしたけど、もう出かけているかもしれないと思い直して、近くの田畑に自転車を走らせる。冬の朝は誰もいないし、ちょっと怖い。
でも、誰もいない方が、彼に出会えた時は、好都合。彼と二人きりになれるから。
(ゆうちゃん、どこ。)
心の中で何度も彼の名を呼ぶ。
あたりは暗くて、白い靄に包まれている。こんなに曖昧模糊とした世界だなんて思いもしなかった。
田んぼに水を引くための用水路の脇に、一本の桜の木がある。春には綺麗な薄ピンクのに色づくのだけど、今は葉っぱ一つなくて寂しい。私は桜の木の脇に自転車を止めた。
「寒い。」
白靄の中で、呟いた。両手は真っ赤。息を吹きかけて、手をこすり合わせて、少しでも手の感覚を取り戻そうとした。
「カシャ」
白靄の中から、自然界では有り得ない人工音。機械音。私は音のなる方向へ歩いていく。見慣れた背中。
私の気配を察知した彼は手を止めて振り返る。
「ど、どうしたの!?」
「おはよ。」
(ほらね。やっぱり会えた。)
胸が熱くなる。身体が急に熱を帯びる。彼に抱きついた。ぎゅっと抱きしめて欲しい。ゆうちゃん。会いたかったよ。
「ゆうちゃん。出会うことの素晴らしさに感謝したことある?この世界で50億もの人がいて、その中で私たちは出会い、恋している。同じ時代に生まれて、同じ国に生まれて、真冬の朝に桜の木のしたで出会う。これって奇跡じゃない?」
彼のすごいところを見つけた。それは、彼は自分の人生を俯瞰しているところ。彼がなぜ高校生という立場で、敢えて一人暮らしをしているのかを尋ねた時、彼はこう答えた。
「兄たちは学費がかかり、私の家にはお金がない。私は高校も公立しか受験していない。もし落ちたら、二次募集を受験するつもりで、私立は考えていなかった。大学も行かない。国立だって何百万もかかる。だから高校3年間が、私にとって、人生で最後の学生生活で、だからこそバイト、部活、恋愛と充実した日々を過ごそうと決めた。この3年間が私の自由な時間。人生で一番輝いている瞬間なんだ。」
私は彼の家庭環境のことは知らなかった。15歳で、長い人生の中で、今、自分がどういう位置にいて、何をすべきかを正確に把握して、自らの人生を決められる人はそんなに多くないはず。彼はとても親孝行だし、だれかに言われた訳ではなく、自らそう決めた。普段の天然で少年のような彼とは違う一面。
一体どうしたら、若干15歳でそんな考え方ができるの。
彼にとって、家族のために犠牲になることは、自然で当然のこと。
二人の兄に対する親の期待値が高すぎなのかな。その割には、彼には劣等感や自己否定はない。
自分で決めたからこそ、人生という長い道のりの中で、自分の現在を的確に捉えることができるのかな。
彼は私のことをすごいって言ってくれるけど、彼の方がよっぽどすごい。同年代のみんなは、誰もが自分の人生がどうなるか分からない不安と戦っている。彼はとっくにそんな悩みから解放されている。だからこそ、同級生とは価値観が合わないのかもしれない。自分で自分のことも決められない人たちは、きっと彼の目から見れば随分と子供に写るだろうから。
「ゆうちゃん。だったらなんでそんなに一生懸命勉強するの。大学受験はしないんでしょ?」
とバカな質問をしてしまった。
「だって、最後の学生生活なんだよ。もう僕は同級生たちと机を並べて学ぶ機会は、おそらく人生の中でない、貴重な時間だし、もう一つは、君に相応しい人間になるためにも、最低限の教養は身につけておきたい。社会に出て恥をかかない程度の知識も。今時、高卒なんて珍しい学歴になる訳だし、働いてお金を稼ぐということ、社会は、そんなに甘くはないはず。だから今しっかりと勉強するべきなんだ。」
私の勉強の半分はお母さんの期待という半ば強制だし、大学に行っても、将来自分がしたいことをなかなか決められないと思う。
教師なんて、お母さんは絶対認めない。手塩にかけた娘が、地方公務員になるなんて、父も兄も一流企業に勤めるのに、私がそんな職に就くことは許されない。私はお母さんを説得できる自信もない。自分の人生を決めることすら出来ない。人が決めたレールの上を歩く優等生から外れるのが怖いから。
ゆうちゃんはすごいなぁ。尊敬。
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