日記③ 恋に落ちて
最近、気になる人がいる。同じ、陸部の里中ゆうき君。同じクラスになったことも話したこともないけど。
2年生になってすぐの頃、一人で駐輪場から自転車を出して帰ろうとした瞬間、土砂降りの雨が降ってきた。その場にちょうど居合わせた彼は、無言で傘を差し出してくれた。私は悪いからいいと一度は断ったのだけれども、彼は自分の家は近いからと、強引に私に傘をもたせて、雨の中へと駆け出してしまった。
あの時の傘をまだ返せていない。
それから、ことあるごとに、彼に傘を返そうとするけど、なかなかできない。
それは彼が、いつも誰かと一緒にいて、一人でいることが少ないから。
誰かの前で傘をわたして、変に誤解されるのも、彼だって迷惑だろうし、かと言って、黙って彼の自転車に置き去りにするのも、返し方としては、かなり失礼だし。
彼に傘を返す目的で、彼のことを見ていると、彼はどこか他の男子とは違う雰囲気がある。
男子は基本単位が一人なんだけど、彼はその中でも他と違って見える。
私の見る限りでは、彼は友人は沢山いるし、視線の先の彼はいつも誰かとお話していたし、楽しそうな表情はしているのだけど、彼の本質はそこにはないように思える。上手い形容の仕方が分からない。
彼は今時珍しくキチンとした服装をしている。大勢の男子が夏になると、Yシャツのボタンを広々と開けて、ズボンはわざと腰まで落として履いて、裾はビリビリ、上履きの踵を踏んづけて歩き、髪を染め、ピアスを開けて、だらだらと猫背で歩き、大声でしゃっべっている。
その中で彼は、いつもYシャツの第一ボタンまでしっかりと締めている。そのYシャツも学校指定のYシャツではなく、自前の落ち着いて、品の良い、華美でないデザインのものを着ていた。ズボンをひきづって歩くこともないし、上履きは嫌いなのか、足元はスリッパのことが多かった。スリッパも単色で、デザイン性の高いものだ。どこかのブランド物だと思う。ニットもラルフローレンではないし。
どうやら、噂だと彼は、某有名日本人デザイナーの服を好んで着ているらしい。
もちろん、Yシャツもスリッパも校則違反なのだが、彼のファッションには素直に共感できる。
さらに驚いたのは、彼はハンカチ、テイッシュを常備していること。他の男子なんて、トイレの後は、大抵がズボンで手を拭いているし、くしゃみも手で拭う人がほとんどなのに。
「内面は外見に表れる。」
と父がよくいう通りなのだろう。彼を見ているとそうなんじゃないかと思う。
いつも姿勢はいいし、他人と話す時は、愛嬌もある。短髪で、顔も小さくて、目も快活そうにパッチリとしていて大きいし、なんと言っても、清潔感がある。
私の目に映る彼は、明らかに他の男子に比べて大人な内面があるように見える。
その理由をユリから聞いた。百合は男陸に同じ中学の子がいて、その子からの情報によると、里中君は学校に内緒で、一人暮らししているらしい。理由まではわかないけど。ご実家が、お金もちなのかな?
私と同い年で、15歳から親元を離れて一人で生活しているなんて、他のチャラチャラした男子とは一線を画していて当然だ。
自分のことを自分でするから?それとも、孤独に打ち勝っているから?
節度と自制心が、責任感がないとなかなかできないよね。
そう考えると、彼のその凛々しい表情から、一本筋の通った信念見たいなものがあるようにも見えてきた。
今の私は、単純に彼への興味がある。
けれど、私から彼に近づくことはしない。何もアクションを取ることもしない。
もう恋愛なんかしたくない。
興味本位で相手に近づいて、相手に変な誤解を与えたり、自分が相手に異性として惹かれていくのも嫌。
第一、今は恋愛なんてしている場合じゃないし。
毎日忙しくて、あっと言う間に時間は過ぎちゃうし、自分がやらなければならないことは分かっている。
当然、自分から行動しない限り、向こうから近づいてくるなんて可能性はゼロだから。私が余計なことをしなければいいだけの話。
それに彼は、ここ最近、人気急上昇中なのだし。髪の毛を短くしてから、彼は、最近放送された某ドラマの主人公の俳優さんに似ているともっぱらの噂で、学年問わず、学校の女子に人気だ。
噂はこんな感じ。
「身長は高くはないけど、ジャニーズ系の顔立ちと。まだ少年らしさの残る可愛い笑顔、センスのいい服装、落ち着いた仕草は品がいい、人当たりもいい。」
ユリはこう言う。
「競争率は高いと思うよ。休み時間には学年問わず、女子が彼のクラスに遊びに来て、プリクラ交換したり、ベル番交換したり。外を歩いていても、「ゆうきくーん』て校舎の窓から手をふる女の子までいるし、ちょっとしたアイドル並みよ。まぁ、すぐに熱も冷めるだろうけれど。その内何人が本気で相手にされているんだか。」
だそうで、他によくない噂だって耳にする。
「B組のA子とO駅を二人で仲良く歩いていた。」
「来る者は拒まずで、次々に彼女が変わっている。」
「実は、高校の誰とも付き合っていなくて、女子大生の彼女と同棲している。」
とか。
もっとも、女子はあることないこと、特に他人の噂話の類は大好物なので、何が本当なのかなんてわからないし、もしかしたら全部嘘かもしれないし。
噂話を信じると、私が軽蔑する種類の男性。その一人暮らししているアパートだかマンションだかにファンの女の子を何人もとっかえひっかえ連れ込んでる、不誠実で、いい加減な男。
そんな男だったら、私が間違っても引っかからないし、これからだってなんの接点も持つはずがない。さっさと傘を返してしまおう。
でも、少なくとも部活の時の彼は真剣そのもの。無心に走る少年の姿の彼。
サッカー部とかバスケ部とか野球部とかのメジャー球技部の男子はチャラチャラした人が多いし、クラスの中心的な位置にいることも多い。その点、陸上部は比較的皆、真面目で、目立たない控えめな人が多い。
団体競技は自己主張することも大切な要素だし、チームワークも必要だけど、陸上は個人競技だから、ただひたすら、寡黙に努力を研鑽し、自分に打ち勝つスポーツだから。言い訳もできないし、精神力も必要。ある意味団体スポーツよりは厳しいところもある。負けても人のせいにはできないしね。
彼を見ていると、女の子とか流行とか、そう言う俗世っぽい話題を一瞥し、毎日自分の限界に挑戦し、己を高めることに喜びを見出す孤高の精神を持って生きていそうに見える。
「孤独で、孤高」
なんてかっこいい。
孤独なのは私も一緒、流行りなんて興味ないし、自分の向上に時間使いたいし、周囲とは価値観にギャップを感じまくりだし。
でも、最低限は「高校生の社会」とのつながりや、「見えないランク社会」も意識して置かないといけない。面倒だけど。ちょっとでも人と違うと、すぐに非難中傷するのが日本の社会の悪いところ、いわゆる集団主義って奴。
「あいつ、うざい。」
がすぐ始まる。人よりも美形、勉強ができる、お金持ち、調子に乗っている。理由なんてなんでもいい。
きっと彼も大変なんだろうなあ。
そうでもないみたい。
彼とはその後、偶然にも英語の補講で一緒になった。
彼も文系の大学に進学するのかな。
英語の補講参加者は自由なのだけど、男子は彼を含めて二人しかいない。そのもう一人も徐々に不参加になり、20数名の女子の中に、男子が一人という構図。
彼は、そんなこと全く意に介さないといった態度で、黙々と黒板の文字を追っている。過去完了の表現。彼の表情は凛々しい。
週に2日彼と同じ時間を共有する機会に恵まれた。まぁ、だからと言ってこちらから話しかけることもないし、たまにペアで英会話の練習するときだって、大抵は他の女子が彼と組んでしまうから。
たまたま、その日は彼の席が隣だった。(彼が少し遅れて教室に入ってきて、そこの席しか空いてなかったから)
彼とペアになって英会話の練習をする。緊張する胸の内を悟られないように、淡々と英文を読み上げる。まず、私が彼に質問をする番で、英文を読む。なのに、彼からはなかなか返答がない。難しい英文ではないのに。普通の日常会話なのに、彼は黙っている。彼の表情からは、彼の意図はわからない。
私は、「ああ、またか。」と思った。
今までにも何回か同じことがあった。正しい発音で、正しい文法で、きちんと相手の目を見て話しているのに、相手は嘲笑していること。
「何、真面目にやってんの。恥ずかしー。」
「マジになっちゃって。あんた外人さん?」
本気で相手にしていると面倒なので、気にしないことにしていたけれど、まさか彼までそんな低俗な人間だとは思わなかった。
結局、私が頭の中で勝手に理想像を描いて、誤解していただけなんだ。その証拠に彼は普段真っ直ぐ相手の顔を見て話す人なのに、今日に限って私の顔を見ない。前回、他の女子の時はしっかり相手の目を見て話していたのに。本当に腹立たしい。
補講が終了すると、なんと彼が話しかけてきた。(一体、なんの用よ!)
私は言ってやった。
「里中君も、私のことバカにするのね。」
彼の返答は、私の予想とは真逆だった。
「頑張っている姿は男女問わず、かっこいいよ。勉強だろうが、スポーツだろうが、自分の得意分野で頑張ればいいし、言いたい奴には言わせておけば。分かる人にはちゃんと真実はわかるよ。きっと。」
あったかかった。
久しぶりにこんな気持ちになった。冷え切っていた私の心に温かいものが染み渡り、「感謝」という名前の液体が目からこぼれ落ちそうになった。
彼はやはり私が想像していた通りの人。とても前向きで、信念がある。
私は毎日一生懸命努力していることを、彼に肯定されて、自分のことをちょっとだけ褒めてあげたくなった。失いかけていた、誇りや自信を持ってもいいって言われた気分。下駄箱まで彼と一緒に歩いて行ったけど、心の中ではスキップしていた。本当に嬉しかった。
家に帰って日記をつけていると、もう私は彼に恋していることを認めないわけにはいかない。彼とのことを書くことが日増しに多くなっているという事実。
多分、きっかけはあの雨の日なんだろうな。いつの間にか気になって、いつのまにか目で追うようになって、そして今日の彼の温かい言葉。
不覚にも、私、白糸葉子は里中ゆうきに恋してしまいました。
でも自分の気持ちを認めたからって何をすることもしない。アプローチも告白もしない。ただ、一日に何回彼を目にすることができるか。それくらいの愉しみでいい。
今は勉強第一。学校の勉強だけじゃなくて、受験勉強も。秋からは予備校にも通うし。
彼みたいに部活に必死になる必要も私にはないし。腰も痛めて、通院もしているし、彼とは本気度がまるで違うから。
休みの日は、お母さんと教会にもいかなければならないし、お母さんだって男子と付き合うなんて絶対反対するはず。
彼だって何か目標があるから頑張っているはず。私も自分の目標に向けて頑張らなくっちゃ。
彼の目標ってなんだろう。大学は?将来は?スポーツ推薦のために部活を頑張っているのかなあ。
彼の練習量はすごい。中学時代未経験の彼は最初からだいぶハンデがあるからか、私が登校する頃には、グラウンドで、もう汗びっしょりで走っている。練習が終わっても一人でグラウンドで残って練習しているし。彼はずっと走っている。
その練習の成果なのか、彼はどんどんトップグループに近づいている。彼のそんな努力家のところは尊敬する。
一体、彼の信念ってなんだろう。何が彼を支えているのかな。一人暮らしして、部活も一生懸命に取り組んで、英語の補講にくるくらいだから、勉強も熱心なのだろうし、聞いた話だと彼はクラスでも成績はトップクラスらしい。
やっぱり彼女かな。そうだよね。あんなに女子達から騒がれて、人気者だし、彼女がいない方が不自然だよね。
悶々とする。勉強のても止まる。あぁ。
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